【 愛欲魔談 】ファム・ファタール(3)モローが描くサロメ

【 新約聖書のサロメ 】

大学の図書室に行って「サロメ」と「ギュスターヴ・モロー」を詳しく調べた。その結果、意外な事実が判明した。なんと新約聖書に記されているサロメは「母の希望をかなえるべくヨハネの首を(王に)所望した」というのだ。これはどういうことか。

前回の「魔談」で以下のような部分がある。
……ヨハネはサロメの恋など全く寄せつけない。サロメの母ヘロディアス(エロドの妃)をなじるばかり。

そう、ヨハネは「エロド王と不義の再婚をしたヘロディアス」を声高になじっていたのだ。おそらくは牢獄にぶちこめられる以前から大いになじり、牢獄でも大いになじり、サロメの前でも大いになじったのだろう。イエスから洗礼を受けた聖人とはいえ、こんな男がヘロディアスにとって面白かろうはずがない。ついにこのお妃はヨハネに殺意を抱く。

一方、母親思いのサロメはエロド王の願いで踊りを披露し、王を大いに喜ばせ、「褒美として望みのものをやろう」と告げられて母のところに行く。
「王になにを願いましょうか?」
「ヨハネの首を」

このようなわけでファム・ファタールの代表格とされてきたサロメは、じつは原典たる新約聖書ではファム・ファタールどころか「母親おもいの娘」だったということになる。

【 出現 】

「なんでこうなる?」
すると「劇団」は目を細め、「オレを責めるな」みたいな、一種茫洋とした表情で言った。
「……まあお芝居の世界ではよくあることだし」
「ははあ」と私は思ったものだ。「……コイツ、自分の脚本じゃないから〈どうでもええわ〉態度だな」

ところが「どうでもええわ」で済まなくなってきたのだろう。座長からの依頼とあらば、一座の脚本担当たる者、従わないわけにはいかない。この脚本家は「ギュスターヴ・モローが描いたようなシーンの追加を」と依頼されて「ギュスターヴ・モローって、なんすか?」とは聞かなかったのだ。あきれた男だ。そんな質問をしたら座長から叱り飛ばされることがわかっていたので、咄嗟の判断でお芝居をしたらしい。さすがは劇団員。

「……で、僕のところにぶっ飛んで来たというわけだ」
「そのとおり。持つべきは男子寮の友」

私は図書室から貸し出してきた画集を広げてみせた。ギュスターヴ・モローはサロメを数点描いている。その中でも最も有名な作品が「出現」である。宙に浮いたヨハネの首。ヨハネのまなざしを跳ね返すかのように睨み返すサロメ。

この絵画が完成された瞬間、サロメは「母親おもいの孝行娘」から一転、戯曲によりファム・ファタールとなって後世に伝えられていくことになるのだ。

 つづく 


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