【 ファム・ファタール魔談 】ギリシア神話・絶世の美女ヘレネ(5)

【 アキレス 】

このところ「ファム・ファタール魔談」はギリシア神話について語っている。ギリシア神話といえば、「トロイアの木馬」で有名なトロイア戦争である。ファム・ファタールとして悪名高きへレネが巻き起こした戦争と言われている。ところが「どんな悪女か」と思って調べてみたら悪女どころか、絶世の美女なるがゆえに他国の王子に拉致されたお妃だった。

いくら絶世の美女でもねえ、すでに王家に嫁いで子も授かったお妃である。それを盗んでしまったらどんなことになるか、わかろうというものだ。「アホな王子や」としか言いようがない。しかし戯曲家は「アホな王子」の話など書こうとは思わない。かくしてギリシア神話はねじ曲げられ、戯曲家の筆によって、ヘレネは「自分を盗みに来た他国の王子にひとめぼれしてしまう女」にされてしまうのだ。

以前に語ったサロメといい、今回のヘレネといい、あまりにも大きい「ひとめぼれの代償」とでも言おうか。それともお芝居を観にきた客はそうした展開を喜ぶものであり、戯曲家としては「その展開を使わない手はない」ということなのかもしれない。

さてトロイア戦争といえば、勇士アキレスである。映画「トロイ」(2004年・アメリカ)ではブラッド・ピットがアキレスを演じている。今回はトロイア戦争に登場の勇士、アキレスについて語りたい。……そう、「アキレス腱」のアキレスである。

我々日本人が日常的になにげなく使っている言葉にも、じつはギリシア神話由来の言葉がいくつかある。3500年前の、日本から9560km(直線距離)も離れた場所で語られた、わがままで気まぐれで享楽的な神々が下界の人間にちょっかいを出す話が、いまの日本の日常的な言葉として残っている。驚異的というほかない。

さてアキレス腱。人体最大の腱である。できることなら「断裂」などという想像するだけでも身の毛もよだつようなトラブルは自分の人生で経験したくないものですな。人間が歩いたり、走ったり、跳んだりする時に「爪先 & かかと」の動きに最も重要な役割を果たす腱である。もしこれが切れてしまったらもう歩けない。人間の歩行運動にとって最も大事な部分なのだ。

ではなぜその腱に勇者アキレスの名前がくっついたのか。
話はアキレスが生まれた直後にさかのぼる。アキレスを生んだ母は「この子の体を不死身にしてギリシア1の勇者にしたい」と願った。そこで彼女は伝説にしたがい、生まれたばかりのアキレスの全身をステュクスの水に浸した。
ステュクスとはなにか。ギリシア神話では「地下を流れる大河」とされ、生者と死者の世界はこの大河によって分けられているという。日本ではまさに「三途の川」だ。

アキレスの母はどうやってステュクスにたどりついたのだろう?……まあそれはともかく、母はなかなか豪快な女性だったにちがいない。というのも「赤子の全身をステュクスの水に浸す」と言ってもずいぶん色々な浸し方があるだろうと思うのだが、この母はなんと赤子の両足首を持って逆さにしたあげく、川に浸したのだ。赤子はさぞかし驚いただろうが「これは虐待だ!」と叫ぶボキャブラリーはまだ持ってない。さぞかし水を飲んでギャアワアと泣いただろうが、ともかくもそれでアキレスの体は不死身となった。しかし母がつかんでいた足首は水に漬かっていなかった。……とここまで言えば、その後のアキレスの結末はもうわかったでしょう?

そう。かくしてアキレスはギリシア1の勇者としてトロイア戦争で大活躍するのだが、彼の全身で唯一、不死身ではなかった足首を矢で射抜かれてしまった。彼はそれが原因となって死ぬのだ。まさに「耳なし芳一」を連想させる話である。

(余談)
私が中学生のころ、体育系クラブでは「アキレス腱を鍛える!」という名目でやたらに「ウサギとび」をやらされた。一種のしごきに近いこのトレーニングは、雨の日などに校舎の廊下を何往復もさせられ、何度もダウンして廊下のタイルに頬をすりつけたものだ。そのため「紅顔の少年」であるはずの私の頬は、いつも赤いスリ傷だらけだった。
ところがその後、中学校も高校も卒業し大学生となった頃に、じつはウサギとびはアキレス腱を鍛えるどころか、「この無理な姿勢による過酷なトレーニングで、何人もの中学生がアキレス腱を切った」と聞いて唖然としたものである。

 つづく 


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