年末魔談「クリスマス・キャロル」(4)

【 第1の精霊 】

今回はマーリの予告によりあなた(スクルージ)の前に現れた第1の幽霊について語りたい。

……とここまで書いて「さてどうするか」と思ったことがある。原作では「第一の幽霊」となっている。ところが映画の解説やパンフレットを見ると「幽霊」ではなく「精霊」となっている。亡霊マーリが予告したのは「3人の幽霊」。しかし映画では「3人の精霊」。
この「亡霊・幽霊・精霊」の違いについては魔談的に非常に興味深い。いずれじっくりと調べて魔談で大いに語りたい。とりあえず今回の年末魔談では「精霊」の方がこの物語にぴったりくるように思うので、「精霊」でいきたい。

 

本題に戻ろう。「いずれここへ3人の精霊が現れる」とマーリは予告した。しかしそれはなぜ3人なのか。それぞれどう違うのか。そうした点についてはマーリは説明しなかった。あなたもそれを聞くことはなかった。

マーリが去った後、あなたは恐怖やら疲労やら安堵やらでたちまち爆睡。しかしふと目がさめる。すると近くにある教会の鐘が12回打つ音が聞こえてきた。眠りについたのは午前2時のはず。なんとも奇妙に思いながら午前1時を待つしかない。マーリは「第1の精霊は午前1時の鐘がなったらあらわれる」と言ったのだ。

さて午前1時。「第1の精霊」とは何者か。原作では「昔のクリスマスの精霊だ」と名乗っている。もう少し具体的に言えば「あなた(スクルージ)には過去のクリスマスにどのような思い出のシーンがあるのかを見せる精霊」と言えるだろう。
ちょっと面白いのは、この「第1の精霊」はどのような姿かということなのだが、原作、ミュージカル映画、ディズニー映画の3作でそれぞれ違う姿をしている。

【 原作 】子どものように小さな老人。白髪の長髪。頭の上からまぶしいほどの光がさしている。また体のあちこちが光り輝いている。

【 ミュージカル映画 】なんと原作とは全く異なり、古風なファッションに身を包んだ上品な老婦人。なぜそのように変更したのか。これは第1につづく第2、第3の精霊キャラクターを比較していく上で「まずは優しい老婦人から」という設定にしたかったのかもしれない。この老婦人精霊は歌ったり踊ったりはしないが、ミュージカル映画という設定を考えると「小さな白髪老人」よりも適しているように思われる。

【 ディズニー映画 】「頭の部分がロウソクの炎」というじつに斬新なデジタルキャラクターの精霊。独特の愛嬌がある。それもそのはずで、このディズニー映画では、なんとスクルージも、3人の精霊も、すべてをジム・キャリーが演じている。まさに1人4役。しかし実写ではないのでメーキャップではない。随所に「すごい技術だな」と舌を巻くようなこの映像は「パフォーマンス・キャプチャー」というそうである。細かい説明を始めるとキリがないし(そもそもできない)、私が理解しているレベルでなおかつ簡単に比喩的に説明すると、以下のような手順で映像を作り上げていく。

(1)ジム・キャリーにスクルージの演技をさせる。実写ではないのでスパイダーマンみたいな格好。顔面のあちこちや体の随所に「ここはこういう動きをした」と記録できるセンサーがくっついている。なんと顔面だけで30ほどくっついている。ジム・キャリーにとっては1から10まで想像で演技をするわけで、さぞかし気持ちの悪い状況での演技だが、そこはやはり我慢のしどころだろう。

(2)そのセンサーがキャッチしたデータを集めて、画面の中でつくりだしたスクルージにあてはめる。つまりデジタルスクルージはジム・キャリーが演技したとおりの動きをするようになる。これはあれですな。私などは憑依(ひょうい)という言葉を思わず連想しますな。……ほら、「エクソシスト」で悪魔が憑依しちゃった少女がとんでもないことになるじゃないですか。「ジム・キャリーの演技が憑依したスクルージ」ということになりますな。

(3)このようにしてジム・キャリーの演技を吹き込まれたスクルージは、画面の中で飛んだり跳ねたり、マトリックス的に空中に放り出されて地面に激突して死ななかったり……とまあ、自由自在のネオ的(マトリックス)行動をするようになる。

【 昔のまぼろし 】

さて本題に戻ろう。ケチでイジワルで思いやりのない守銭奴ジジイにも、かつてはクリスマスを待ち望んだ少年時代があった。愛らしい妹もいた。第1の精霊はあなた(スクルージ)の手をとり、時空を越えてその時代のシーンを見せる。いや「見せる」というよりも、あなたをその世界にもう一度立たせる。

「これは昔のできごとのまぼろしのようなもの」と精霊は説明する。精霊とあなたはその場に立っていても、そこにいる人々はだれも気がつかない。それらはみな「過去のまぼろし」なのだ。
この状況はとてもせつなく寂しい。まさに幽霊と化している自分の存在をだれも気がつかない。それはわかっていても、あなたは思わず昔の少年時代に戻ってしまう。周囲の人々と一緒に笑ったり、大声を出したり、走ったり、はしゃいだりしてしまう。

そして青年スクルージ。恋愛に心をときめかすのだが……。
あなたは涙を流しながら精霊に懇願する。
「もうなにも見せないでください。私の家へ連れて帰ってください!」

 

原作もいいが、映画ではこのあたりからハンカチなくしては見ることができない。しみじみと涙を流しながら映画を観るのもたまにはいいものだ。この映画は、60歳以上の男性に観てもらいたいものだ。「守銭奴ジジイなんかと一緒にするな!」という声が聞こえてきそうだが、そうではなく、「昔の自分を思い出すよすがになる」と言いたいのだ。

昔の自分をしみじみと思い出す。ときにはいいものだ。私はいま66歳。66歳の特権は、10代の自分、20代の自分と、今まで生きてきた66年間分の記憶が体のどこかに必ず残っていることだ。20代や30代では、そういうしみじみとした感慨はまず起こるまい。

私の周囲のまだまだ元気な初老中老の男性諸氏は「昔のことなど思い出している余裕はない」という人々ばかりだ。それもまた元気でいいが、最近の私は夜のバーボンタイムにテレビを消し、静寂の中で「昔の自分」を思い出す時間を時々つくるようにしている。

正直に言ってじつに後悔が多い。そのほとんどが後悔に近い。情けない男だと思う反面、後悔の念もまた今の自分に必要だと思うことがある。「第1の精霊」なら、きっと「そう。そのとおり」と頷くにちがいない。

 つづく 


電子書籍『魔談特選2』を刊行しました。著者自身のチョイスによる5エピソードに加筆修正した完全版。専用端末の他、パソコンやスマホでもお読みいただけます。既刊『魔談特選1』とともに世界13か国のamazonで独占発売中!

 

スポンサーリンク

フォローする