第8章【 ふくれあがった夢と、すこしのためらい 】
なかなか意味深な章タイトルだ。「モモ」を読んだ人により、その解釈はまちまちかもしれない。これは「ジジが(ひとりで勝手にどんどん舞い上がっている)夢」vs「時間どろぼうとの戦いにためらっているモモとベッポ」と私は見ている。
さて時間どろぼう。彼らはいよいよモモに目をつけた。自分たちの仕事にとって邪魔な存在のモモ。どう排除するか。「なあに相手はたかが貧乏少女」とでも思ったのだろうか。物欲作戦に出た。大きな着せ替え人形。声も出る。山のように積まれた豊富な着せ替え衣装。多種多様のグッズ。
これを全部あげる。そうなれば、きみはもう友だちなんかいらないだろう?
風木氏はこの言葉にピーンときたそうである。
「スマホあるよ。ゲームあるよ。もう友だちなんていらないだろう?」
じつに同感。最新の時間どろぼうが開発した最大の武器がスマホかもしれない。
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本題に戻ろう。この物欲作戦はモモには通じなかった。逆にモモのなにげない質問にタジタジになって轟音と共に自動車で逃げ去った灰色紳士。まだぼんやりしているモモのところにやってきたのはジジとベッポだった。
ふたりはモモから一部始終を聞く。たちまち舞い上がったのはジジだ。この青年は話を聞いただけで、すでに敵に打ち勝って町の群衆から歓喜と共に拍手されている英雄像を夢想している。戦闘意欲満々で走り出してから「さて作戦は?」というタイプだ。実際の戦闘では真っ先にコテンパンにやられるタイプだ。
しかしモモに「どうやって戦うの?」と問いつめられて少し冷静になり、アイデアを次々に出す。とはいえ所詮はその場の思いつきに過ぎない。モモから散々にツッコミを入れられて作戦は変更につぐ変更だ。この間、ジジと真逆の性格と言えるベッポは一言も口をきかない。かれは憂愁に沈んでいる。
ジジ作戦の最終は「時間どろぼうの存在を大勢の人たちにバラす。同時に多くの仲間を得て時間貯蓄銀行の在処をさがす」ということになった。明日の午後3時に円形劇場に集まってもらおうということで、3人は手分けして人を集めることに。
結果、大人たちは来なかったが子どもたちは50人ほど集まった。「気分は英雄」のジジの演説が始まる。しかし「(時間どろぼうとすでに会った)モモの話を聞こう!」とジジが言った時点でベッポが反対する。そんなことをしたら、モモも、みんなも、危険な目に合うというのだ。ベッポの慎重論は大切だが、ジジの演説をここまで聞いてしまった子どもたちはモモの話を聞かずにはおれない。
とうとうモモはその話をする。子どもたちはみな真剣にその話を聞いた。話が終わった後は長い沈黙。こわくなってしまった子どもたちを見て、ジジは(持ち前の強気で)子どもたちを煽動する。
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以下余談。
ヒトラーが愛読していた「群衆心理」という書がある。これはフランスの心理学者ル・ボン(1841-1931)が書いた本だ。群衆は政治家やメディアの狡猾な作戦により、たやすく扇動されてしまうことがあるという警告の書だ。ヒトラーは逆にそれを(有効な演説テクニックとして)大いに利用したのだ。
この本の中に、こんな話が出てくる。群衆を煽動する有効な方法は、正統な論理ではない。もっと単純な「断言 & 反復」だというのだ。つまり「これはもう絶対にこうだ! こうに決まってる! これ以外にないっ!」といった断固たる主張。さらにそれを何度も何度もくりかえす。すると群衆は(その場のムードにも寄るのだろうが)盲目的に納得するというのだ。じつに怖い話である。
さてジジの演説。エンデが「群衆心理」を意識したのかどうかはわからない。とはいえ、「断言 & 反復」はジジの演説で見事に発揮されている。
「ひとつのことだけは確かだ。いまやおれたちは生きるも死ぬも一緒に覚悟して、団結しなくちゃならないんだ!」
こうした「断言」の直後に、必ず出て来るくりかえしの呼びかけ。
「だからもう一度みんなに聞く。おれたちと一緒に戦う人はいないか?」
ジジの前に集合しているのは50人ほどの子どもたちだ。「ごっこ遊び」のノリで、子どもたちはたちまち興奮していく。ついにプラカードや横断幕を押し立てて町を行進しようということになる。デモをやろうというのだ。
ジジの(天性ともいうべき)煽動演説により、子どもたちはとうとう町でデモを始める。交通の邪魔だというので警官がとんで来て追い払う。しかし子どもたちはへこたれない。すぐにまた別の場所に集合し、再びデモを始める。町中の子どもたちがこれを見て「なんか面白そう」というのでどんどんデモに加わる。ついに「子どもデモ」は数千人にふくれがった。
この章はここで終わる。第8章はまさに「不穏の始まり」あるいは「戦いの序曲」といったところだろうか。
【 つづく 】