第21章【 おわり、そして新しいはじまり 】
さて最終章。第21章のタイトルは「おわり、そして新しいはじまり」。
謎の工事現場に入りこんだモモ。なにしろ時間がない。「ままよ」とばかりに穴の中に飛びこみ、土管の中に潜りこみ、とうとうアリス的落下となった。つまり延々と落下していくのだ。
この「際限なく落ちてゆく」という人類共通のトラウマ的悪夢とでも言おうか、あなたはどうですか? 悪夢で味わったことはありますか? 一度もない? 幸いである。
私はわりとある。複葉機から落ちたことがあり、タイタニックレベルのでかい客船から暗黒の海に落ちたことがあり、どこから落ちたのだかよくわからないのだがとにかく落ちた(笑)ことがある。映画の見過ぎ? 誠にごもっとも。
夢分析では「落ちる」という行動は意外に悪くないらしいのだが、悪夢で落下している時は「悪くない」なんて思うような心の余裕があるはずがない。常に絶叫。自分でも憐れむほどに、健気に真剣に落下し、毎度寿命が縮む思いをしている。
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さて本題。地底深く潜入したモモは、ついに灰色の男たちの本拠地である大広間に到達する。とてつもなく長い会議用テーブルがあり、その奥に巨大金庫の扉がある。その扉は少し開いたままになっている。たまたまドアを少し開けた時に、マイスター・ホラが時間を止めてしまったからだ。灰色の男たちは葉巻のおかげで時間が止まっても動いていられるが、彼ら以外のすべての時間は停止している。
その大広間で、灰色の男たちのじつに見苦しい同志撃ちが始まる。貯蔵金庫の中に冷凍保管されている「時間の花」はたっぷりあるのだが、ドアが少し開いており、解凍が徐々に進行している。どれほど節約したところで「いずれこの貯蔵は底をついてしまう」という恐怖に彼らはすっかりとりつかれている。その結果、同志撃ちが始まるのだ。
宇宙船を舞台にしたSF映画では、時々こういうシーンが出てきますな。「船内の酸素残量がもうほとんどない」と判明した時点でお互いの目を探るように見つめ合う乗務員。そんなシーンがありますな。
まあそんなわけで、灰色の男たちは「コインの表裏占い」で仲間を次々に消していき、最後に6人が残る。モモがやっつけるまでもない。結局彼らはじりじりと自滅に向かっていくのだ。しかしここで全滅してしまったらモモの出番がない。モモは机の下を四つん這いになってソロソロと進み、ついに貯蔵庫の扉をパタンと閉じてしまうのだ。
驚きのあまり総立ちになる6人の男たち。なぜ(時間が止まっており動かないはずの)貯蔵庫の扉が動いたのか。なぜモモが動いているのか。男たちはモモが持っているただ一輪の「時間の花」に気がつく。モモからそれを取り上げようとして大追跡(というよりも鬼ごっこ)となる。しかし半時間先の未来が見える亀のおかげでモモは地下のあちこちを逃げ回り、なかなか捕まらない。必死で追いかける男たちの方が葉巻を落としたり仲間ゲンカをしたりで、次々に消えていき、とうとう最後のひとりとなってしまう。
結局この最後の男も葉巻を落として自滅していくのだが、やはり最後だけのことはあり、さっさと消滅しない。
さいごの灰色の男はゆっくりとうなずきながら、つぶやきました。
「いいんだ……これでいいんだ……なにもかも……おわった……」(原作)
映画なら「モモはどうやって地上に戻るんだ」という面倒くさいシーンを割愛するために、脚本家はここでスパッと「The end」にしてしまうかもしれんですな。しかし原作ではそうはいかない。モモはかろうじて残っている「時間の花」の花びらを使って貯蔵庫の扉をいっぱいに開ける。すると「閉じ込められていた時間の花」は一斉に解凍し、「自由となった時間」の嵐となってモモを包み、一気に地上に吹き上げるのだ。
さても見事なハッピーエンドかな、てな感じ。自分の時間を取り戻した人々は、魔法の呪縛から解き放たれたように、せかせかと仕事するのをやめた。やめたどころか「時間はたっぷりとある」といった余裕の生活をするようになった。さてもめでたしめでたし。
「エンデ魔談」最後の余談。
この物語における「灰色の男たち」と葉巻の関係、これは穿った見方かもしれないが、私にはアメリカ映画における「マフィアたち」と葉巻の関係を、エンデが面白がって皮肉ったものに思われてならない。
アル・カポネ。ご存知だろうか。この男の名前を聞いて「ははあ」と、その時代のアメリカの殺伐たる「きな臭い空気」をなんとなく感じ取れる人には私の説明は不要だろう。一言で表現するならば「マフィア横行の暗黒時代」ということになるのだが、この悪党どもがこよなく愛したのが葉巻だった。常に口の端に高級葉巻をくわえていることが彼らのステイタス・シンボルだったのだ。
こんなシーンが思い出される。なんの映画だったが忘却の彼方だが、マフィアの幹部どもが狭い密室に集合してなにやら談合している。額を寄せ合うようにして、悪い悪い相談をしている。どの男たちも自慢の葉巻を口から離さない。そのうちに密室はもうもうと立ちこめた紫煙で、ついにお互いの顔も見えなくなった。
とうとう我慢できなくなった男たちは転がり出るようにして密室の外に出て、げえげえと吐くような無様な格好で咳き込む。ところが(驚いたことに、というか笑っちゃうことに)ひととおり心ゆくまでげえげえと咳き込んだ後、彼らはまるで何事もなかったかのように再び密室に集合し、額を寄せ合い、葉巻をふかせつつ悪い悪い相談を再開するのだ。どうですかこの愛煙ぶり。まさに愛煙家感涙の「懲りない男たちシーン」と言えよう。
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今年の年頭からざっと5ヶ月間に渡り延々と語ってきた(魔談史上最長の)「モモ」談。最後までおつきあいくださり、誠にありがとうございました。
さて次回からどうするか。「文学魔談」という路線をもう少しやりたい気分なんで、エドガー・アラン・ポーを大いに語る意欲です。精力的な執筆、大酒飲み、乱行、恋の破局、40歳という若さで謎の突然死。この作家が後世の作家たちに与えた影響はじつに大きいと言われています。もしポーがいなかったら、アガサ・クリスティも、コナン・ドイルも、スティーブン・キングも出て来なかっただろうと。
どのような時代の、どのような人物であったのか。初回ではそのあたりからじっくりと語っていきます。どうぞお楽しみに。
【 完 】