エドガー・アラン・ポー【 2 】南北の狭間で

【 スコットランド系アイルランド人 】

今回はポーが生きたアメリカの時代を語りたい。
作家が生きた時代と、その作品。これは相互にどのような影響を及ぼすものなのだろう。もちろん個人差はあるだろう。魔談で取り上げてきた作家の中に谷崎潤一郎がいる。彼が常に作品で描いてきたのは、男女の愛のもつれだった。「時代? 社会? 私の作品にはなんの関係もない」みたいな作家が谷崎潤一郎だ。

ポーの場合はどうか。彼が生きた40年間を調べていくと「アメリカの不穏」とでも言おうか、南北の格差と対立が次第に深刻になっていった社会情勢がじわじわと見えてくる。迫り来る大暴風雨の予兆とも言うべき強風が徐々に吹き荒れてくるような時代だ。

強風など「どこ吹く風」で全く眼中になく、ただひたすらに経済発展の成果を謳歌する北部。時代の発展から取り残され北部から田舎者扱いされ、因習的な貴族的プライドから北部に対する反感を次第に募らせていく南部。
経済謳歌で楽観に走る北部。暗い情念にとりつかれてゆく南部。

ポーはボストン(北部マサチューセッツ州)で生まれた。……が、その後すぐに孤児となってしまう。両親はどうしたのか。
彼の両親は旅役者だった。男優の父は突然の蒸発。愛人ができて駆け落ちでもしたのか、なにか事件に巻きこまれたか、よくわからない。失意の母はポーがまだ幼い時に病死。この両親は共にスコットランド系アイルランド人だったと言われている。このあたりを調べていくとなかなかに面白い。アイルランド人の血が、アメリカ人のポーにゴシック・ロマンス小説を産ませたのかもしれない。

ポーの兄弟はどうだったのか。2歳上の兄がいた。すぐ下に1歳違いの妹がいた。ポーは次男だったのだ。
兄弟は3人いたのだが、父は蒸発、母は結核で他界。兄弟3人はそれぞれ違う家に引き取られることになった。こんな幼少期で素直な子が育つはずはない、というと言い過ぎだろうか。

ともあれポーは両親と親交のあったリッチモンド(南部ヴァージニア州)の養父に引き取られることになった。この時から彼は「北部で生まれた南部男」ということになるのだ。リッチモンドに行かざるをえなかった少年ポーが成長するにつれ南北の落差をどう感じていたのかはわからない。

この養父はどんな人だったのか。幅広い商品を扱って成功した輸入業者だったらしい。その商品はタバコ、小麦、織物、奴隷(!)だったと言われている。夫婦に子はなく、夫人は(自分たちと同じ)スコットランド系の孤児を望んだ。ポーにとって「スコットランド系アイルランド人」が幸いしたのだ。

【 ロリコン & アル中 】

青年ポーは(開校したばかりの)ヴァージニア大学に進学。成績は優秀だった。また詩人として作品も評価されるようになった。このあたりも(勝手な想像だが)アイルランド人の血が彼をして詩人へと向かわせたのかもしれない。
ところがこの頃から「賭博 & 大酒」という暗黒フォースが、彼の人生に波乱を巻き起こすようになる。賭博の借金で養父と喧嘩。家を出て陸軍に入隊。さらに除隊後は士官学校に入学。規則違反で退学。規則違反?……なにをしでかしたのか、おおよその見当はつくというものだ。

こんな状況で文学を目指す?……普通じゃまず「ありえんでしょ」と思うのだが、そこがこの男のすごいところだ。ポーはアメリカで「文筆だけで身を立てようとした最初の作家」と言われている。

ポーはリッチモンドを出た。ニューヨークの安ホテルに滞在。出版社を訪れるようになる。
この時期、北部では雑誌文化がパアッと開花した時代だった。アメリカ・リネサンスと言われている。彼の文才はその時流に乗ったのだ。雑誌社から雑誌社へと渡り歩き、作家として、あるいは編集者として腕をふるう男になった。彼は雑誌『メッセンジャー』編集長の椅子に座った時期もあった。
「えっ? ポーが編集長? 怪奇雑誌なの?」などと思ってはいけない。ポーが書いたのは怪奇小説だけではない。じつに多彩にして前例のない小説を次々に発表した。推理小説、SF小説、海洋冒険小説などなど。後世の文学評論家がポーを絶賛するのも、じつはこの多彩ぶりにある。彼は「文学ジャンルの創始者」と言われている。このことについては、後にじっくりと語りたい。

文名は得たのだが、ポーの作品は(皮肉にも)アメリカよりヨーロッパで高く評価された。
「全く信じられないことだが、ポーの作品は、当時の(アメリカの)作家たちに刺激を与えることは全然なかった」(エラリー・クイーン)
このことがポーに暗い憂鬱感を与えていたのかもしれない。作家 & 雑誌編集者となっても、ポーの「賭博&大酒」暗黒フォース面は相変わらずだった。トラブルを頻繁に起こし、いくつもの出版社を渡り歩いた。生活は常に貧窮していた。

1833年。ポー24歳。彼は『メッセンジャー』編集長のポストにあった。従妹ヴァージニア・クレムに求婚した。その当時、彼女は11歳。小学生じゃん!
周囲から猛反対を受け(当然ですな)、飲酒&トラブルが増えた。どうしようもない「ロリコン & アル中」男としか言いようがない。そのため『メッセンジャー』編集長のポストは短期間で降りることになってしまったが、26歳でヴァージニア(13歳)とはついに結婚した。結婚誓約書には彼女の年齢を21歳と記した。神の前で新妻年齢を8歳も偽ってるじゃん!

この直後は、ポーにとって人生の絶頂期と言えるかもしれない。次回はこの「27歳の絶頂期」から「40歳の謎の客死」までをたどろうと思う。

【 つづく 】


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