【 早すぎた埋葬・余談篇 】
今回から数回に渡り、「早すぎた埋葬」(第12回/5月3日公開)で予告した棺桶人形について語りたい。上記魔談ではこのように書いている。
私は実際に棺桶人形を見ている。この話は【早すぎた埋葬】の次に、余談篇ということでゆっくりと語りたい。
なぜ「ゆっくりと語りたい」と思ったのか。単に棺桶人形を実際に見てどうこうといったような話ではなく、それを愛する主人サイドの心理に興味を持ったのだ。かわいらしい、愛らしい、美しい、生きてるよう……それが通常の人形愛であれば、「死んじゃってる人形」というのはいったいどこに魅力があるのか。「屈折してる」とか「病んでる」とか決めつけるのはよくない。ドンビキしてしまったら話はそこで終わってしまう。明らかに通常の人形愛からは逸脱し魔のゾーンに踏みこんでしまった人々が、棺桶人形をこよなく愛しているように思われる。
この話はその中の一人、私が出会った専門学校受講生(20歳)と彼女が愛する棺桶人形の話である。
【 個別面談 】
新宿で講師をしていた時代、ゴスロリ系の受講生が3枚の写真を私の前のテーブルに並べたことがあった。彼女はポラロイドカメラを愛しているらしく、まあそれはいいのだが、まるで占い師がカードを並べるような独特の手つきで私の前に正方形のポラロイド写真を1枚ずつ丁寧に並べた。見ると3枚とも人形の写真なのだが、そのうちの2点は棺桶に入っている。
「この人形は死んだのか?」とまず思ったのだが、即座に「いやそんなバカな」と思い直した。私はほとんど無意識にニヤッと笑ってしまったのだろう。彼女はそれを見逃さなかった。
その受講生を仮に愛美(まなみ)としよう。我々は専門学校の会議室で個別面談していた。愛美はファッションデザインコースに在籍していた。当時、私が担当していたクラスはグラフィックデザインコースやイラストレーションコースだったが、たまにイレギュラーで他のコースに出講を依頼されることがあった。人物デッサンやヌードデッサンを教えるためだ。
愛美は3年間のカリキュラムをほぼ終了し、もう2週間ほど経てば卒業、という時期だった。我々は卒業後の進路や就職活動について個別面談していたのだ。これは本来、学校の職員ではない非常勤講師がひとりでやるべきものではなかろうと私は思っていたし、まして私はファッションデザインコースの担当ではない。職員でもなくコース担当講師でもない私がなんでひとりで個別面談しなければならんのかよくわからなかったが、ともかく「なにか事情があるのだろう。学校側も困っているのだろう」と察して引き受けることにした。
その当時、専門学校は女性職員が大半だった。「女性だから」という理由を挙げるつもりはないが、ハードな勤務で体調を崩してしまう職員が多いと聞いていた。その日も私の隣席にはそのクラスの担当である女性職員が着席する予定だったのだが、彼女は頭痛と眩暈(めまい)で前日から欠勤しているという話だった。
愛美はその職員が同席しないと聞いて喜んだ。理由を聞いてみると、以前にその職員にもこの3枚の写真を見せてドンビキされたらしい。今度は声をあげて笑ってしまった。さもありなん。
改めて人形が棺桶に入っている理由を聞いた。やはりというか当然というか、「死んでるので」という返事。
「死んでるのがいいのか」と聞くと、「それがたまらなくかわいいので」という返事。
(大抵の人間ならこの時点でドンビキだな)と思いつつ、私のような男は、このような趣味に限りなく興味が湧いてくるのがどうしようもない。
「生きている方がこの人形にとっても幸せなんじゃないのか」と聞くと、「この子は死んじゃって幸せだと言ってるの」という返事だった。
【 つづく 】