【 アンジェラ 】
その夕方、カフェバーで愛美から聞いた話はじつに衝撃的だった。「人形」というものに対する私の一般的な概念というか通常のイメージというか、そうしたものを覆す力を持っていた。
その日の夜に帰宅した私にはまだその話の強烈な余韻が残っており、「いま書いておくべきだな」と思ったので、詳細に会話の内容を記録している。
このような時、私は日記帳やノートにそれを書かない。A4サイズのコピー用紙を10枚ほど目の前に置き、2Bの鉛筆を使って書き始める。気分が乗ってきてなにか情景やビジュアルのイメージが浮かんできた時は、それもどんどん描く。
この時もまさにそうしたテンションに突入したが、正直に言って、その話に漂う一種独特の薄気味悪さは当時の私にとって一種の脅威だった。いったい誰が「死んだ人形の話」なんて聞きたがるだろう。「危ないな」と記録を残しつつ私は何度も思った。
「……あまり深入りするのは禁物だ」
「そんなんじゃ入れる前に逆戻りじゃないか」
「逆戻りじゃないです」
愛美はほとんど反射的にそう言ったものの、すぐには言葉を続けなかった。うっすらと微笑してテーブル上のどこかを見ていた。独特の間の取りかたをする娘だな、と私は思った。さてどんなふうに説明したものか、とでも考えているのだろうか。この説明が彼女にとってはうれしいのだろうか。確かにこんなことを説明しようと思う相手は滅多にいないかもしれない。
「でも魂は出ていったのだろ?」
「痕跡が残ってます。人形は、魂が抜けてもまた帰ってくるのを待ってます。ずっと待ってるんです」
「なんだか残留思念みたいな話だな」
残留思念という言葉を御存知だろうか。この言葉については、次回の冒頭で説明したい。
愛美はこの言葉には特になんの反応も示さなかった。知らないのかもしれないし、知っていたとしても「私の人形には関係ない」といった態度だった。反応がないので私は霊媒師に話を向けた。
「〈その子はまもなく死ぬよ〉と言った霊媒師みたいな人だけど」
「お名前を明かすことはできないのですが……」
「ははあ」
「ナギサというお名前なら大丈夫だと思います」
思わず笑ってしまった。
「第3の名前みたいなもんかね。……ナギサがその人形のために魂を呼んでくれた」
「はい。アンジェラという名前の子でした」
「……で、君は、アンジェラをお迎えしたいと希望した」
「はい」
「なのにナギサは〈まもなく死ぬ〉と?」
「はい。ほどなくアンジェラは出ていくだろうと聞きました」
「ふーむ。それでもいいと言ったのか?」
「はい」
私はテーブル上の3枚の写真を見た。3人のうち2人は棺桶に入っている。
もしかしてアンジェラは?
直感のようなものが走った。私は棺桶に入ってない人形を指差した。
「もしかしてこれがアンジェラか?」
愛美は再び目を丸くした。驚いた表情の愛美は意外なほど素直な表情だった。
「……どうして」
「いやなに、もしかしてアンジェラはまだ死んでないのかも、とちょっと思っただけ。ただの勘だよ。……で、こっちの2人は棺桶に入ってる。つまり死んじゃってるということなんだね?」
「そうです」
「アンジェラがまだ生きてるのなら、会話はできるわけだ」
「毎日してます」
「ふーん。じゃ死にたい理由も知ってる?」
「聞いてます」
「なんで死にたいの?」
彼女は再びうっすらと微笑してテーブル上のどこかを見ていた。私はどこまで質問を重ねて良いものやらわからなくなってきた。彼女もまた、おそらくどこまで答えていいものやらわからなくなってきたのだろう。
【 つづく 】