【 日本史魔談 】魔界転生(15)

【 問 答 】

「坐禅は、なんのためにするのかな?」
かずくんはグッとつまったが、数秒を置いて言った。
「い……息をととのえるためにやります」
「そうだ。いい答えだ」

広々とした大広間に座っているのは我々4人だけだった。開け放した縁側から時折そよそよと流れてくる微風が気持ちよかった。不思議なことに、この広大なお堂にはエアコンも空調設備もなかったが、山をくり抜いたトンネルのように外とは違う種類の空気が漂っていた。

年配の僧が発するおだやかな声は(教室における先生のように)意識して大きな声を発しているわけではなく極めて自然な音量だったが、一語一句がはっきりと耳に届いた。
おそらく山で修行を積んだ僧が発する言葉は、都会人が発する言葉とは、そのスピードも、一語一句の言葉にこめるスピリットも、異なるのだろうと今の私は想像している。しかし8歳の私にそんなことがわかるはずはなく、私はただ緊張して年配の僧とかずくんの問答に全神経を集中していた。

「さて、そこでかずくん」と年配の僧は静かに言った。
「はいっ!」
「息をととのえるのは、なんのためにそうするのかな?」
再びかずくんはグッとつまった。
「し……止観するためです」
「そうだ。そのとおり」

かずくんは安堵してフウッとため息をついた。彼の極度の緊張は、すぐわきに座っていた私が見ていても痛々しいほどだった。正座した彼の両膝は微妙に震えていた。一方の私は緊張してはいたものの、どこかリラックスした気分も感じていた。かずくんのように将来に僧になるつもりは全然なく、またかずくんのように問答を試されることもまずあるまいといった門外漢、一種のオブザーバー的な気楽さがあった。自分はこんなところに来ていったいなにをしているのだろうといったとりとめのない不安はあったが、家に帰りたいとは思わなかった。

私はその大広間の静寂が好きだった。年配の僧が発する声も好きだった。しかし会話の内容はさっぱりだった。しかん?
8歳の私に「止観」という言葉がわかるはずもなかった。いや8歳どころか多くの大人だって「しかん」と聞いて即座に漢字が頭に浮かぶ人は、そうはいないだろう。

「息をととのえる?……しかん?……」
私はその問答がさっぱりわからず、けげんな表情のままじっと黙って座っていた。
年配の僧はふと私を見た。軽く笑いながら立ち上がった。
「かずくん、れいくんに坐禅の仕方を教えてやりなさい」
「はいっ!」

年配の僧は彼に続いてゆったりと立ち上がった若い僧を見た。
「1時間ほど座らせたら、部屋に連れていってやりなさい」
「わかりました」と若い僧は言った。ふたりの僧は大広間を出て行った。

1時間?
私は驚いた。当時の私は「坐禅」というのはどういうものか大体のところは知っていたが、15分とか半時間とかじっと座って余計なことを考えない。……その程度の知識だった。
1時間もじっと座る?
途中で飽きるんじゃないか。そうした不安しかなかった。

【 坐禅止観 】

最後に「止観」についてちょっと述べておこうと思う。
延暦寺では「坐禅止観」と呼ばれている。「坐禅」はともかく「止観」とはなにか。なにを止め、なにを観るのか。
これは外界からの様々な要因により「乱れがちな心」を静止させ、
「正しい心眼」によりあらゆるものの本質を観る、
……と解釈して良いのではないかと思う。
そのためにはどのような坐禅が正しいのか。
次回は私の体験談とともに、「坐禅止観」における作法というか、延暦寺ではどのような坐禅をしているのかも述べてみたい。

【 つづく 】


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