【 魔談484 】盆栽

【 慣れる・だれる 】

当時、つまり延暦寺に10日間ぶちこまれていたとき、かずくんに対して私が当初から抱いていた最大の疑問は「なんでお坊さんになりたいのか?」ということだった。朝から晩までずっと一緒にいたのだから、彼に対して疑問に思っていたことなど、いくらでも聞く時間はあったはずだ。しかし延暦寺に到着して1日目や2日目は、彼には一種独特の「なにか切羽詰まった雰囲気」とでも言おうか、そのようなものがあった。最近の言葉で「テンパる」というのがあるが、まさにそれに近い。ある種の「寄るな触るな的ガード」とでも言おうか、「精神的ハリネズミ」とでも言おうか、彼にはそうした雰囲気があった。私は気軽に話しかけることを避けた。

ところが4日目、5日目ともなるとさすがに双方ともに延暦寺生活に慣れてきたというか、「慣れる」イコール「だれる・サボる」といった方向に傾いていったことは確かだ。そもそも8歳程度の少年に朝から晩まで修行生活を強いること自体に無理があったとも言える。上記の疑問も彼の方からごく自然に語ってくれるようになった。

【 盆 栽 】

「おれはお寺が好きやねん」
あるとき彼はこんなことをぼそっと言い出した。彼が言った内容については私は書き残している。しかしいつ彼がその話を始めたのか、なぜその話を始めたのか、そのようなことは書いてない。おそらく庭掃除とか御堂掃除とかの時に、適当にサボってのんびりしていた時とか、そのような時に話してくれたのだろう。彼は自分の弱い面や自堕落な面を次々に私に知られることにより、私に対してより開放的になっていったのかもしれない。

彼の言う「お寺」は、自分家のことだった。そこそこの広さがあるらしく、庭には池があり、池には小さな石の橋があり、その橋の下には鯉がいるという話だった。彼はこの庭をこよなく愛していた。御堂よりも庭を愛していた。
「毎日、掃除してるねん」と彼は目を細めて言った。
「その庭やったらな、何時間でもいられるねん」
当時の私には理解できない熱意だったが、自分家の庭をそんなふうに自慢できることは率直に「ええなぁ」と思った。

「……そういえば」と、私は篠田先生(かずくんの父親)が2年前に離婚したことを(かずくんの話を聞きながら)思い出していた。その話は篠田先生が北野家に来て私の父と飲んでいた時に何度か出てきたのだ。8歳の少年をわきに置いて(しかも酒の席で)離婚話でもあるまいと今では思うのだが、篠田先生にはそうした大らかさというか、無神経というか、そのような面があった。その話の中に「息子は母親についていかなかった。寺に残った」という話も何度か出てきた。その時は会ったこともない少年の話だし、私にはどうでもいいことだったので、右から左に聞き流していた。その少年と会うことになる(しかも10日間も山で寝食を共にすることになる)とは想像もしていなかった。
「……そうかそれでお寺に残ったんか」と私は改めて納得し、彼を見た。彼は熱心に庭の説明を続けていた。

「盆栽の手入れが好きやねん」
「ぼんさい?」

私は盆栽を知らなかった。彼は笑い、盆栽の説明をしてくれた。お寺の住職(彼の父である篠田先生の兄)が熱心な盆栽愛好家らしく、自慢の桜や黒松があるという話だった。
「鉢で育てる木なんやけどな」
彼は小枝で地面をひっかいて盆栽の絵を描いた。
「これぐらいの大きさなんやけどな、ほんまもんの大きな木に負けへんほどドシッとしてるねん」
その絵を見てなんとなくわかった。私の実家近くに住んでいた大工さんも、玄関先に棚をつくって鉢植えを並べていた。その中には草花ではなく幹が曲がりくねった木もあった。
「毎日、世話をするのん?」
「そうや」
自分家の庭の手入れ、盆栽の世話、それをして1日を庭で過ごすのが彼にとっては至福らしかった。
「お寺から外に出とうない」と彼は言った。どうやらそれが本音のようだった。
「会社なんかに入りとうない。会社はえげつないとこやで。いけずな人がいっぱいいるで。出世したい人はな、他人を押しのけて出世しようとするねん。男はな、玄関から一歩外に出たら7人の敵がいるて、うちのばあちゃんが言うとった。そんな怖いとこに毎日行って出世競争するなんて、地獄や」

この話は8歳の私にとってなかなか強烈だった。そんなふうに会社勤めを否定した人はそれまでいなかった。率直に「そうか、会社というのはそういうとこなのか」といった一種のイメージを私に植え付けたように思う。
彼は周囲をちょっと見回すようにして、声をひそめた。
「ここにいるお坊さんたちはな、なんやかや言うても結局はおれと一緒や。会社に行くのが嫌で、こんな山の中に住んでるのや。絶対にそうや」

【 つづく 】


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