エドガー・アラン・ポー【 7 】モルグ街の殺人

【 稀覯本 】

前回魔談の最後に稀覯本(きこうぼん)という言葉が出てきた。稀覯本とはなにか。今回はそのあたりから話を始めたい。

「モルグ街の殺人」で登場のデュパンは、一冊の稀覯本をめぐって語り手の「私」と知り合うようになった。つまり二人は同じ稀覯本を求めて「モンマルトル街の名もない図書館」で出会い、仲良くなり、意気投合し、ついには同居するに至ったのだ。

……と言えば、多くのフランス人は「ははあ」という表情をするかもしれない。我々日本人にはいまひとつピンと来ない話だが、フランス(特に都会)では男性同士の恋愛がじつに多い。私はパリ郊外で二人の男性警察官が手を繋いで歩いているのを見てちょっと唖然としたことがある。しかしデュパンと「私」は、そのような関係ではない、と思う。

話を戻そう。稀覯本の「覯」という漢字は普段見慣れない漢字だが「思いがけず出会う」という意味を含んでいる。つまりその存在自体が非常に稀で、滅多に出会うことができない貴重な本という意味なのだ。「滅多に出会うことができない」のならぜひ出会って我が物にしたい、というのが人間の悲しいエゴである。かくして「世界に数冊しかない」とかの超「稀覯本」を収集するコレクターも出てくる。

映画「ナインスゲート」(1999年/フランス・スペイン)はご存知だろうか。この映画は稀覯本収集にとりつかれてしまったコレクターのアホな執着を見事に表現している。主演のジョニー・デップがじつにいい味を出している。……とはいえ、彼は上記「アホなコレクター」ではない。大富豪コレクターに雇われて稀覯本を探しに行くという、いわば稀覯本探偵なのだ。

「ナインスゲート」に登場の奇妙な稀覯本版画。

馬に乗った騎士は口に人差し指を立て「誰にも言うな」といった仕草をしている。

そうそう。この「ナインスゲート」、冒頭のシーンが素晴らしい。じつに魔談的なオープニングだ。古い城塞の門の扉が次々に開いてゆく。しかも夜だ。門と門の間の中庭は闇に沈んでいる。やはりこういうのは夜でなくてはならない。
ちなみに「闇」という漢字、あなたはシゲシゲと観察したことはあるだろうか。「門」の中になぜ「音」があるのか。これは門を閉ざした漆黒の暗闇で視覚的にはなにも見えない状態でも、音は存在する。その存在を隠すことはできない。なので「門」の中に「音」なのだ。漢字、恐るべし。今の中国はアレだが、漢字を生み出した古代の中国人は「スゲーやつらだな」と改めて思うことがある。

【 都市遊歩者 】

さて本題。
このようにしてデュパンと出会った語り手の「私」。ちょっと奇妙に思うのは、ではこの語り手は何者なのか。なにを仕事としているのか。そのあたりがどうも判然としない。貧しい没落貴族であるデュパンよりも、経済力はあるらしい。デュパンと同居するにあたり「へんぴな淋しいところにある、崩れかけた、古い、怪しげな屋敷」を借りるのだが、「彼よりはいくらか暮し向きが楽な私」が家賃を払っている。ポーとしてはデュパンの強烈な人間像にスポットを当てたかったので、語り手は(カメラ背後の映画監督のように)曖昧で謎めいたままにしておこうという方針にしたのかもしれない。

ともあれ、かなり風変わりな共同生活を開始した二人。
語り手はデュパンにますます魅了されてゆく。驚くべき観察力と分析力。そこから生み出される推理と想像。デュパンは面白い表現をしている。

「自分にとってみれば、大抵の人間は胸に窓をぽっかりと開けている」

これはどういう意味か。「胸のうちを探る」という言葉がある。興味をもった人間の行動や仕草や言葉を注意深く観察し分析すれば、その人間が考えていることは大抵わかるというのだ。

……といえば、ポーの作品は読んだことがない人でも、ホームズを愛する人ならきっと「ああ、ホームズが(多少自慢げに)自分の推理を披露する、あのシーンね」とすぐに連想するシーンがいくつかあるのではないだろうか。
「……えっ? ホームズ以前に、ホームズみたいな人がいたの?」と驚く人がいるかもしれない。いたのだ。いや単に「いたのだ」ではなく、そこからホームズは生まれてきた。まさにデュパンがホームズのキャラクターをつくったのである。

さて語り手とデュパン。この二人の生活ときたら、グロテスクな屋敷でじつに奇怪な生活を開始する。
・自分たちの好みを評して「夜を溺愛」。
・明け方になると、鎧戸(よろいど)をみんな閉めてしまう。
・ロウソク2本だけをともし、本を読んだり、ものを書いたり、雑談をしたりする。
・夜が来ると街へ出て食事したり、夜更けまで歩き回ったりして都会の夜を大いに楽しむ。

……というわけでまあ不健康そのものというか、ほとんどドラキュラ生活というか、そうした趣味でも二人は一致していた。なにかの本で読んだのだが、こういうのを「都市遊歩者」というらしい。私に言わせれば、この二人の「遊歩」は夜に限定されているので「夜間都市遊歩者」とでもいうべきか。

次回からいよいよ「事件」に入りたい。それは地元紙の夕刊に出た記事が二人の興味を引いたことから始まった。
「奇怪なる殺人事件」がその見出しだった。

【 つづく 】


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