【 空腹効果 】
チョウの展翅標本店を出てから2時間ほどのんびりと歩いた。その日のパリは朝からずっと肌寒い曇天だったが、幸いというか寒風はほとんどなかった。空腹を感じていたが、気にはならなかった。「どこそこに行く」という目的が全くないただの異国徘徊だった。これが無性に楽しかった。
「そうなんだよな」と歩きながら何度か思った。
「……こういうのが一番楽しい男なんだよな」と再認識した。
「……こういう楽しみはやはりひとりでないと」と確信した。
ちょっと余談。
以前から思っていたことだが、いわゆる「山男」つまり登山をこよなく愛する男たちには、肥満はほとんどいない。目指す山の高度にもよると思うが、穂高など標高3000mクラスの山で見かける男たちはみな痩せている。そうでなければ高山にトライする意欲などわくはずはないだろうし、それともうひとつ、「空腹で歩く」という状況に慣れているからだろうと思う。
私がまさにそうで、30歳を越えたあたりから穂高を愛するようになり、二度三度と北穂や奥穂をトライしているうちに「空腹の方が登山には良い」という結論に至った。全ての人がそうだとは思わないが、空腹を感じつつ、それでも水しか飲まずエンヤエンヤと山を登っていると、やがて一種のランニング・ハイのような状態になる。それを期待して空腹を我慢しているわけではないが、「……あ、ドーパミンが出たようだな」と思うような瞬間がある。疲労が重なり体力の限界が近いことを悟った体が緊急対策をしてくれたような感じだ。
これは誠にありがたい。「自分の体にはちゃんと予備タンクがある」といった一種の信頼にも繋がっているように思う。こうした経験を積み重ねた結果、山から降りて街を歩いている時でも「空腹など全然平気」あるいは「空腹こそベストコンディション」という男になった。
【 かすかな音楽 】
さて話を戻そう。
徘徊中のささやかなエピソード。私と同じほどの年齢の男性がふたり、向こうからやってきた。手を繋いでいた。二人とも五分刈りで、兵隊のようにさっぱりした頭部だ。ひとりが私を見て微笑し、軽く右手を上げた。「やあ!楽しんでる?」みたいな感じだった。微笑も右手も極めて自然で、これもまた日本じゃちょっとお目にかかれないような仕草だった。
私も笑顔で右手を上げた。ただそれだけのことだったが、すれ違った後も爽やかな印象が残った。
✻ ✻ ✻
ふと私は足を止めた。風に乗ってかすかに音楽が聞こえてきたのだ。それは陽気な音楽だったが、古い手回しオルゴールのようにどこか寂しげな、郷愁を誘う音色だった。なにかのイベントだろうか。行ってみることにした。
いくつかの角を曲がり、立ち止まった。「いや違う。この方向じゃない」と引っ返した。少し立ち止まって耳を澄ました。本当にかすかな音色だった。車のクラクションや街頭の雑音でたちまちかき消されてしまうような音色だった。
またいくつかの角を曲がった。すると音楽は一気にグッと接近してきたように感じた。うれしかった。少年のように弾んだ気分になった。
遠い昔、5歳か6歳のころ……セーラー服を着た親類のお姉ちゃんに手を引いてもらって神社のお祭りに行ったかすかな記憶がよみがえった。林の向こうから風に乗って聞こえてくるかすかな祭囃子(まつりばやし)。今からそこに行くのだという興奮と期待。
【 移動式メリーゴーランド 】
やっとたどり着いた。そこは小さな学校の慎ましいグランド程度の広場だった。音楽の発信元はメリーゴーランドだった。
パリでは至るところでメリーゴーランドを見かける。遊園地でなくとも、ちょっとした広場でメリーゴーランドが回転している。移動式・組立式のメリーゴーランドなのだ。

それにしてもメリーゴーランド1台の存在感、それはなんと大きなものだろう。
この閑散とした狭い広場の真ん中に、トラックがやってきたシーンを想像した。メリーゴーランドが組み立てられ、その周囲には木のベンチが置かれた。さらにその近くには移動販売(車販売)の店が開店した。もうそれだけで、ここは立派な遊園地に変貌したのだ。陽気な音楽が始まり、モーターが始動し、ゆったりとした回転が始まった。子どもたちの歓声が聞こえてくるようになった。
移動販売の店を見て私は喜んだ。ハンバーガー店だった。
チーズバーガー(35フラン/¥700)とホットワイン(25フラン/¥500)をオーダーした。この国ではハンバーガーよりもワインの方が安い。いい国だ。なにしろ空腹だったのでチーズバーガーは美味かった。ホットワイン(赤)がまた絶品だった。熱いワインを飲むのも、紙コップで飲むのも初めてだった。私は左手にチーズバーガーを持ち、右手にホットワインを持ってメリーゴーランドを見つめた。ホットワインの湯気の向こうで、メリーゴーランドの華やかなイルミネーションが次々に流れた。
【 つづく 】

