東京で名画座の雄と言えば、池袋の文芸坐だろう。
西の京都の「京一会館」、東の東京の「文芸坐」と並び称されたものだ。その文芸坐(プラス文芸地下)も老朽化と観客の減少と共に1997年に一度閉館になった(2000年に「新文芸坐」として復活)。今回はその昔の文芸坐に関する思い出などを綴ってみたい。
池袋の東口、飲食店や風俗店の並ぶごちゃごちゃした一角に文芸坐はある。昔の文芸坐の頃は巨大な弁天様のレリーフ(!)が建物の外に立っていた。
70年代後半に学生生活を送った自分には、2本立て料金250円は安くて本当にありがたかった(当時封切の映画で確か800円ではなかったか)。スクリーンも大きかった。本当に、大スクリーンで満喫すべき映画らしい映画の鑑賞がここにはぴったりだった。もうひとつ長所を挙げると、監督や俳優の特集上映が頻繁に行われたことだろう。
この小屋で見た映画は多数あり感銘を受けた作品を絞り切れないが、ロシア革命を背景にした「ドクトル・ジバゴ」は忘れられない。イギリスの名監督デヴィッド・リーンのスケール大きな演出に3時間20分少しも飽きなかった。見るのを薦めてくれたのは四国から来ていた大学の同級生のM君だ。当時は今みたいに映画の情報が多くなく(世界の名画を紹介する映画の本も少なかった)、口コミが大きな役割を果たしていたと思う。
話が脇道にそれるが、M君とは一緒に、蒲田では東映の「聖獣学園」(修道女エロ映画)、上野では「ピンクサロン 好色五人女」(日活ロマンポルノ)なども見た。あの頃の地方出身の若者はいろんな遊び方を知らず、またそのお金もなく、娯楽と言えば映画位だった。また、盛り場の至るところに気楽にふらっと入れてそれなりに楽しみを得られる小屋(映画館)があったのだ。映画も隠微でゾクゾクするような妖しい魅力を放つ作品が多く存在した。そのM君も先年急に他界した。つくづく世の儚さを想ってしまう。
話を文芸坐に戻す。実は文芸坐で一番の思い出は、この映画館を使った映画のエキストラに出たことだ。日本を代表する巨匠今村昌平監督の「復讐するは我にあり」という映画で、自分が参加したのは79年の2月のある一日、朝から晩までの撮影だった。
直木賞を受賞した作品の映画化で、日本各地で連続殺人を犯して逃亡を続ける男の話だ。九州から逃げて来て東京の目白に居つきそこで愛人を作る。ある時、二人で池袋の映画館に入り、夕方見終わって出て来て二人で映画館の横の通りを歩いていくというシーンだ。
私は他のエキストラと共に二人とすれ違う通行人役を演じた。映ってほしいと念じたが、出来上がった作品には何も映ってなかった。
ただ、お昼に神宮球場前で撮ったシーンには、幸運にも、主役の緒形拳の横を友人と談笑しながら歩く自分の姿がちょっとだけだが確認できる(このビデオは宝物の一つです)。緒形さんからサインをもらったのも嬉しい思い出だ。
犯罪を通じて人間性の奥深いところに迫ろうとするこの作品は、その年のキネマ旬報のベストワンを獲得した。正直言うと今村監督の作品は力作が多くあり、これが傑出しているわけではない気もするが(偉そうにすみません)。
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さて、洋画で、映画館が重要な役割を果たしている好きな映画を、また一本紹介したい。映画オタクのクエンティン・タランティーノ監督の「イングロリアス・バスターズ」がその映画だ。
基本的にナチ物で、ナチに親を殺された若いユダヤ人女性が、ナチの連中が映画館で映画鑑賞をしている時に映画館に火をつけて、一味を焼き殺してしまうという、なかなかに鮮烈な「映画的興奮」に満ちた映画だ。
また、ナチの将校役のクリストファー・バルツが、慇懃無礼かつサド的な人物を演じていて印象に残る。これは見たら忘れられない。
(by 新村豊三)