閉館する岩波ホールの「ゲッベルスと私」、休館する新文芸坐の「徳川いれずみ師 責め地獄」

今年になって残念と言うか寂しいニュースを二つ聞いた。ひとつは、神保町の岩波ホールの閉館、もう一つは池袋の新文芸座の休館である。

岩波ホールは説明の必要がないと思うが、商業ベースに乗りにくい、世界の知られざる名画を映画ファンに提供してくれた、大人の映画ファンのための劇場だった。プログラムも充実していた。シナリオが掲載され、専門家や映画評論家が健筆を振るい読みごたえがあった。
岩波ビルの10階にあり岩波ホールに行くだけで、何か、知的な活動を行うという高揚感のようなものがあった。正直言ってレベルが高くて時に理解できない作品もあったが、その「分からない思い」はずっと持ち続け、また、何年か後に再チャレンジしてやっと分かるという作品もあった(例えば「旅芸人の記録」だ)。

1974年に映画の上映が始まったというから何と48年になる。ずっと続くものだと思っていたが、やはりコロナで観客が減ってしまったのが閉館の理由だ。観客の年齢が高かったから、コロナで外出を控えて岩波ホールにも行かなくなったのだろう。
昨年度は3回足を運んでいるが(「ブータン 山の教室」「夢のアンデス」「ゲッべルスと私」)、そんなに経営が危機的だったとはつゆ思わなかった。
岩波ホールで映画を見る前後、近くの古本街を回るのも好きだった。若い頃は高くて手が出なかったパンフレットも最近は少しずつ購入するようになっていた。岩波ホールが無くなれば、神保町へ足を向けるのも減るかもしれない。

「ゲッベルスと私」監督:クリスティアン・クレーネス他

11月に岩波ホールで見た2016年のオーストリアの記録映画「ゲッべルスと私」も衝撃的な作品だった(日本初公開は2018)。ドイツ語原題は「EIN DEUTSCHES LEBEN」(あるドイツ人の人生)。戦争中、ナチスドイツのNO.2である宣伝相ゲッベルスの秘書を務めたブルンヒルデ・ポムゼルへのロングインタビュー。撮影当時104歳であった彼女は、黒の画面をバックに、淡々と、自分の人生、仕事内容、元上司ゲッベルスの人となり、友人との関係などを語っていく。
当時のニュース、教育、プロパガンダ映像が挟み込まれた。ユダヤ人の死体がゴミのごとく乱雑に捨てられるなどのショッキングな映像が今も頭に残っている。
彼女の顔や首筋や手の皺がすごい。およそ見たことない皺だ。彼女は生涯独身であったが、「ナチ協力者」として戦後苦難の人生を送ってきたことが推察される(映画では直接言及されないが)。彼女の証言を聞く限りでは、積極的にナチに協力したわけではない。仕事として誠実に秘書の仕事をした、ということだ。しかし、一緒に働いていた友人のユダヤ人女性は収容所送りになっている。本当はどんな気持ちでいたのだろうか。彼女は「神はいない。悪は存在する。正義はない」と断言する。いろいろ考えさせられる映画だった。

さて、新文芸坐が休館すると聞いて「新文芸坐、お前もか!」と思ったが、改装のための休館だそうだ。しかし、昨年の秋頃から、それまでカラーだったチラシが黒白のチラシになっており、経費を節約しているのだと思った。経営は大丈夫だろうか。本当に「改装」のためだろうか。やや心配だ。
その新文芸坐の休館直前の上映番組が興味深かった。1月24日から30日まで「動員ベスト50より選りすぐり!新文芸坐を彩った名画たち」と銘打って動員ベスト50の中から14作が選ばれた。何と、「徳川いれずみ師 責め地獄」と「江戸川乱歩全集恐怖奇形人間」の2本立てが歴代動員NO.1だそうだ。

好きな映画をもう一本!
「徳川いれずみ師 責め地獄」は1969年、当時の東映エログロ路線から生まれた異形の映画。グロテスク、猟奇的だが、映画でしか描けぬゾクゾクする耽美的世界が現われる。これぞ、まさにカルト映画。監督はカルト映画の帝王と呼びたい石井輝雄。
江戸時代、二人の入れずみ師が御前大会で競いあう。騙された主人公が、入れ墨された女を外国人に売る犯罪組織に復讐する話だ。舞台は江戸と長崎。
女の首がのこぎりで挽かれるオープニング、逆さ釣りの女性が股裂きにあうラストの衝撃。しかし、一方で、コミカルな笑いもある。何より、体に彫られた入れずみが、闇の中で、ファッショナブルに蝶のように動く(!)映画的センスに溢れたシーンには痺れた。初見は、30年近く前、新宿の劇場だったが、この映画の記憶は今も生々しい。
この映画を支持した文芸座の観客の眼は全く確かなのだ。

(by 新村豊三)

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