昨年春の緊急事態宣言の際、映画館通い、飲み会、旅行等それまでの楽しみが突然停止され、やむに已まれず新しく始めたことはネット配信映画を観る事、近所の散歩、料理、新しい外国語の学習だった。
これを受け入れるしかなかったが、やってみるとそれなりに楽しみや効用もあることが分かって来た。
料理も、特に手間の掛かることを行う訳ではない。普段よく食するモノをちょっと工夫するとか、時々、シチューや鍋料理を作るといった程度だが面白い。気分転換にもなる。地元の新鮮な野菜はドレッシングが無くても、素朴に塩をかけてバリバリ食うだけで旨いことも知った。料理は素材だと思ったりする。
さて、そんな中、偶然ネット配信で見た2012年のフランス映画「大統領の料理人」がとても面白かった。ミッテラン大統領の時、1988年から2年間、大統領官邸で大統領個人の為の食事を作ったフランス史上初めての女性官邸料理人の実話だ。
料理人オルタンス(劇中名)は元々田舎でレストランを経営していたのだが、素朴な田舎料理を作る腕を見込まれて官邸にやってくる。他のシェフはすべて男であり、しかも、彼女に見事なまでに非協力的である。そんな「男社会」の中、いろいろな所で衝突しながらも段々とミッテランに認められ、食べ物を話題にミッテランと会話をする関係になるプロセスが描かれ、とてもいい。
何とミッテランも料理好き、子供の頃の愛読書が料理の本で、その中の一節をそらんじたりする。彼自身が、素材にあまり手を加えていない、「お祖母ちゃんから作ってもらった」素朴な料理が好きなのだ。
とてもいいシーンがある。ある夜、ミッテランが厨房に来て、ワインを飲みトリュフを食べながら、元気のないオルタンスにこう話しかける。「最近イジメられてるね。私もそうだよ」「逆境だね。逆境だからこそ私は頑張れる。人生の‘トウガラシ’だ。分かるね」
この「人生のトウガラシ」という言葉にハッとした。昨年12月30日の回で紹介した映画「サンドイッチの年」でも、ユダヤ人の老人が、辛い時が沢山ある年は「サンドイッチの年」であり、辛子が多くても、(人は)全部食べなければならないと言っていた。
ミッテランもこの映画を見ていて、それを踏まえて言ったのではと嬉しく想像する(1987年の「サンドイッチの年」は、原作もあり映画も口コミでヒットしている)。
さて、この映画は構成が巧みだ。彼女が官邸で働く姿と南極のフランス越冬隊のキャンプで働く姿を交互に描く(そう、オルタンスは大統領の料理人を辞めた後、お金を貯めるために南極で働いているのだ!)。冷たく官僚的な官邸と違って、この、にぎやかで気取りのない温かい南極越冬隊の男たちとの交流がとてもいい。
お金を貯めるのも、ニュージーランドでトリュフを栽培するための土地を買うためである。この積極的で希望に満ちた姿には爽快感を感じてしまうほどだ。
さて、好きな映画をもう一本!
デンマーク映画「バベットの晩餐会」(1987)が素晴らしい。19世紀後半、ユトランドの海辺の寒村で質素に暮らす牧師の娘姉妹の元に、フランス革命の為にパリを追われた中年女性バベットがやって来て、家政婦として住み着く。14年が経ち、亡くなった牧師の生誕100歳にあたる日に、姉妹は親しい信者と、知り合いだった将軍を呼んで食事の会を開こうとする。バベットは偶然、宝くじが当たり大金を手にしたため、フランス料理の費用を出すと申し出て準備を進める。
その晩餐たるや、年代物の高級ワインから始まり、海ガメのスープ、ウズラのパイといった超一流の料理が続く。料理する音も画面に響き、もうよだれが出そうなくらい美味しそうだ。
これは単なる美食の話では全くない。神を信じて敬虔で質素な暮らしをしてきたお年寄りが、一生に一度豪華な喜びを経験する。そこには、神への帰依と、料理という人間が築き上げた一つの「芸術」の体験、そして人生への感慨が一緒になった喜びが存在した。私にはそう感じられた。
正直に言うと、33年前に公開されて観た時はこの映画がピンと来なかった。当時30代半ば、感性が乏しかったと言えばそれまでだが、ヨーロッパの宗教や料理の知識が多少増え、ある程度の人生経験を経て、かつ、自分の人生もそんなに先がないと感じる今(自分が登場人物の年に近くなっている!)、初めてこの映画の豊かな味が分かったようだ。
(by 新村豊三)