丁度20年前の9月11日の夜、家でたまたま、久米宏がキャスターを務めていた「ニュースステーション」を見ていた。久米が、「今、入ったニュースです。ニューヨークのツインタワーに飛行機が突っ込んだという情報が入りました」と伝えた。どういうことか事態が呑み込めず、ツインタワーを映す画面に切り替わったテレビをボウっと見ていると、数分後、2機目の飛行機がツインタワーに激突した。リアルタイムでその瞬間を見てしまったわけである。
これから「世界が変わる」と漠然と思ったが、果たしてそうなってしまった。世界のどこでもテロが起きることを漠然と意識し出した。
イスラムが一方的に悪と喧伝された時もあったが、一方で、この20年、我々のイスラムの理解も進んだのではないか。元々イスラム教徒は平和的であり暴力的な行動を取るのは、アメリカを中心に進んだ弱肉強食のグローバル化がはびこった事への反発だろう(と、考えるが、イスラムの肩を持ちすぎか)。
「9.11」の記憶は風化したと思う。しかし、忘れたいわけではなく、その後の20年の中で、大震災やコロナといった未曽有の事が次々に起こり段々と頭の隅に押しやられたからだろう。
今回は「9.11」を色々な側面から描いた映画を4本紹介したい。
1本目は02年の「11‘09“01/セプテンバー11」。様々な国の11人の監督が、同時多発テロをテーマに、自分の視点で、「9分11秒」の短編を撮ってオムニバス形式にしたものだ。
特に印象に残るのは、イランの映画。アフガン難民の子供たちが通う小さな学校で、若い先生が、亡くなった人のために祈ろうとする。これには、敵も味方もない、ただ犠牲になって死んでいった人の冥福を祈ろうとする、美しい姿がある。
イギリスの社会派ケン・ローチの映画は異色だ。チリからロンドンに亡命している男性が、30年前の「9月11日」にアメリカの支援を受けてクーデターを起こしたピノチェト政権が市民を弾圧したことを告発するのだ。その弾圧の事実を知らなかった私は強い衝撃を受けた。それにしても批判精神の強いケン・ローチは「9.11」のテロでやられたばかりのアメリカを非難しているのだ。勇気あるというか、容赦ない反米意識だ。
2014年に「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」でアカデミー作品賞を取るメキシコのアレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥの映像は強烈。黒味の画面のまま、ニュースキャスターの声だけを流す。時折黒味の画面から、ツインタワーから落下する人たちを垣間見せる。悲痛と言うか、言葉がない。
インドのミーラー・ナイールの映画も胸にこたえる。パキスタン系移民の善良な市民が、警察から犯人と見なされ追及を受ける。普段から、アメリカ社会がインド・パキスタン系の人々に偏見を持っていることが基底にある。
次に2006年アメリカ映画「ワールド・トレード・センター」。激突の後、ビルの中に入った湾岸局警察の警察官チームが建物の崩壊で生き埋めになるが、奇跡的に救出される過程を描く。正直、不安なまま待つ家族の様子の描き方がやや長いが、涙を誘われる箇所もある。崩壊した瓦礫の山が生々しく、被害の甚大さを視覚的にも伝える。
3本目は06年の映画「ユナイテッド 93」。ドキュメントタッチで衝迫力ある力作だがあまりに生々しい。今回見直して、気を静める酒が必要になった程。当日4機の飛行機がハイジャックされたが、ユナイテッド93便だけ、ワシントンに向かう前に墜落して結果的に首都の破壊を防いだ。前半の管制センターの混乱の描写がリアル、後半は乗客が犯人たちに反撃するという展開。
好きな映画をもう一本!
2007年アメリカ映画「再会の街で」は静かな感動をもたらす秀作。NYで歯科医をしているアランは、大学の友人で歯科医のはずだったチャーリーと偶然、街で再会する。チャーリーは変わり果てた様子で世捨て人の生活を送っているが、「9.11」で妻と3人の娘を亡くしたからである。彼は、仕事をするわけでなく常にイヤホンで音楽を聴いてはマンションで「ゲーム」に没頭するだけだ。アラン自身も仕事に問題を抱えるが、何とか友を支えて立ち直らせようとする。そのプロセスが胸を打つ。精神科医とのやり取りも描かれ興味深い。
映画の原題になっている「Reign Over Me」(「オレを支配する」位の意味)などロック音楽の使い方も良い。また、ニューヨークの街も美しく撮られている。
(by 新村豊三)