時々、五月の風のような、サラッとして爽やかな、都会を舞台にした映画が見たくなる時がある。今回紹介する「マイ・ニューヨーク・ダイアリー」もまさにそんな映画で、見ながら気分がほぐれていく中々の佳作だった。
ほとんど予備知識なく見始めたが、映画が始まり、英語のタイトル「My Salinger Year」が出てすぐに理解した。この映画は、90年代に大学を出てニューヨークの出版エージェントに就職した女性が、高名な作家サリンジャー(「ライ麦畑でつかまえて」等)の担当になる話である。
出版エージェントとは、作家にいい本を出させるべく、装丁家や適切な出版社を斡旋する仕事をしている会社だ。主人公ジョアンナは、ニューヨークで作家志望の恋人と同棲生活を始めながら、仕事に取組み、失敗しつつ成長していく。
面白いのは、サリンジャー宛てのファンレターが沢山届くのだが、サリンジャーは俗世間との関係を絶ち、全く受け取らない。それでジョアンナが、代わりに返事の代筆をするところだ(これは、当然、社長に怒られる)。
サリンジャーと連絡が取れずに大学の単位を落としたと抗議に女子大生が乗り込んでくるところも面白い。
ジョアンナの恋人との生活の描写も面白い。台所の流しがなく、洗い物を風呂場で行ったりする。
違う州に住むサリンジャーとは、仕事の際、電話で話すだけだが、元々は作家を目指す彼女に、彼が、「毎日15分でも書くんだ。それが作家になることに繋がる」とアドバイスするところもいいなあと思う。
シガニー・ウイーバー扮する女社長もスキのない、やり手の経営者であるが、妻子ある男性を愛するなど実人生では弱みを見せるところもある。そこも、この映画の好ましいところだ。
淡々としていて、派手な演出の映画ではないが、段々と引き込まれる魅力がある。
さて、ニューヨークが舞台で作家が登場する映画なら、大好きな2000年の「小説家を見つけたら」を思い出す。バスケット好きの黒人高校生がひょんなことから、昔は有名だったが今は隠遁して世捨て人の生活を送る幻の作家フォレスターと出会う。
髪の毛が無くなり初老のいい味を出しているショーン・コネリー扮するこの作家は、この高校生が文学の才能を持っていることを見出し、貧しい黒人の地区の高校から、東海岸の優秀な高校へと転学させていく。
と同時に、隠遁生活を送っていたフォレスター自身も前向きに生きるように変わるストーリーだった。
ニューヨークの風景を瑞々しく捉えた撮影も魅力的だった。また、今でも覚えているが、フォレスターが若者に言う言葉が良かった。「第一稿はハートで書け。第二稿は頭で書け」だった。いいこと言っているなあと思う。もうひとつあった。「女性の心をつかむコツは、思いがけないタイミングで思いがけない贈り物をすることだ」。これは、実践はしていないが、心に刻みたい名言だ。
好きな映画をもう一本! ニューヨークが舞台でソフィスティケートされた、しかも人間の可笑しさが滲み出る映画が撮れるのはウディ・アレンを措いて他にいないだろう。彼の2021年の「レイニーデイ・イン・ニューヨーク」は、これまた、軽いけれどきちっと撮られた娯楽映画の傑作。
中西部の大学から、新聞部に属する大学生2人が、ニューヨークに出てきて、映画監督にインタビューしようとする。
女の子(エル・ファンニング)は、監督と会い、紹介されて脚本家にも会い、あこがれの男優とも会うことになる。男の子(ティモシー・シャラメ)は、元々ニューヨーカーで、大金持ちの家の子である。この二人の話が、少しずつ、あれよあれよと心地よくズレていく展開が実に見事なのだ。
ティモシーには、高級娼婦が登場したり、堅物の母親の意外な過去が明らかになったりする展開があり、エルには、男優とセックスしそうになったりする展開がある。
メトロポリタン美術館も舞台で登場したり、ニューヨークに憧れる人が楽しめる観光映画にもなっている。
ウッディ・アレンの、この職人芸的、流れるような脚本作りと自然な演出には感心させられる。
ティモシー・シャラメは今一番旬のアメリカ人若手俳優だし、エル・ファニング(可愛い!)も、田舎娘が大都会で有名人と会って舞い上がってしまう感じを上手く演じていて、二人を見るだけでも一見の価値はある。
(by 新村豊三)