貴重な存在、森達也監督の作品「A」「A2」「FAKE」

8月10日の回で紹介した「福田村事件」がかなりヒットしている。日本の影に光を当てた映画を見たい真摯な観客がいたことや作品の質が高いのに加えて、人気実力共にある若手俳優が多数出演していること等々が原因だろうか。
この映画は、湯布院映画祭でも上映されたが、関係者から聞いた話が興味深かった。クラウドファンディングで3600万集まったと言うのは快挙に近いと思うが、そのサイト運営会社は運営料として15%を取るそうである。およそ500万円。少しアコギじゃないか(実は私も若干寄付)。
ラストシーンは井浦新と田中麗奈夫婦の乗る小舟が利根川に浮かぶショットであるが、代案としては、カメラが上に上がりパンして、現在の野田市を捉える終わり方があったそうだ。もしそれなら、この映画の提起がより現在に繋がった、即ち、我々にも差別がないか、自分の頭で考えることを放棄していないかという問いかけになったと思う。予算の関係でドローンが飛ばせなかったそうだ。残念。
井浦や田中たちは、経費が掛からない様に、マネージャーや付き人を連れて来ず(!)、宿泊も普通のスタッフと同じ安いビジネスホテルに泊まったそうである。昨年の9月、まだ暑い時期、京都で撮影が行われたが二人はエライと思う。

さて、今回は監督をした森達也のことを書きたい。この人は、日本にとって、大変に貴重な存在ではなかろうか。「福田村事件」で劇映画を初監督したわけだが、これまでドキュメントを4本撮り、本も多数出している。
森達也の魅力とは、そのクールかつ柔軟な姿勢だ。決して対象を固定観念で見るのでなく、まず、単純に好奇心から、一体どうなっているのだろう、なんでこうなっているのかを探ろうとするのがいい。

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 記録映画の第一作「A」(1998)はオウム真理教の信者の生活と活動を追ったものである。この映画は、オウムの映画とは言え、オウムが引き起こした事件や裁判の総体を描こうとする作品ではない。1995年3月の地下鉄サリン事件の後、5月に山梨県上九一色村の教団施設に警察の捜査が入り、教祖麻原彰晃たちが逮捕された後、本部に残って広報副部長として活動する荒木浩の日々の様子を描く作品だ。

森はフリーのカメラマンとして教団本部に寝泊まりしながら、ずっと荒木のマスコミ対応、修行など公私の姿を撮っていく。他の報道機関もフイルムを回して取材することを頼んだのだが、森一人が許されている。
見る前は、信者は凶悪集団の面々で、凝り固まった思想の変な人物たちばかりと思うかもしれないが、見ると、違うのである。驚くほど、信者ひとりびとりは素直で、穏やかだ。優しく弱弱しい者が多い。
荒木氏たちには、気の毒さを感じたほど。上の幹部たちがサリンをバラまいて逮捕され、突然、言わば「小物」だった人たちが教団の幹部となって矢面に立ちマスコミや訴訟に対応しなければならなくなってしまったのだ。

現世で生きづらさを抱えて、あらゆるものを捨て(親きょうだいも捨て)、純粋に精神的なものを求めて出家して、哀れにも、不味いものを食って穴の開いた靴下を履いて、マスコミにさらされながら対応を続けている。道場ではヘッドギアをして熱心な修行も続ける。
誤解のないよう言うと、もちろん、酷い人たちである。教団が殺人行為を行ったのに、(撮影当時)きちんと謝罪することをしないわけだから。

「A2」(2001年)では、信者たちが活動場所を求めて転々とする様子が描かれる。群馬、横浜、茨城の行く先々で、住民から排斥活動を起こされる。しかし、驚くことに、群馬では、段々と、監視役を担っている地元のおっさんたちと親しくなっていく。
住民は酷い奴が来たと思いこんで行動を開始したのに、段々と信者に対して、あいつら、人間的には変わらない、素直な人物たちじゃないかと思いはじめ、「情が生まれ」(映画中の発言)、親しく言葉を交わしゴミまで持って行ってあげる関係が構築される。
映画を見ているうちにこちらの固定観念も崩れて行く快感のようなものがあるのがいい。

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第3作「FAKE」(2016)も面白い。盲目の作曲家として有名になった佐村河内守のマンションで、彼の生活や仕事ぶりを記録した作品だ。彼は作曲出来ず、影武者と言うか、別の作曲家に依頼したとマスコミに伝えられたが、映画の最後には出来ないはずの本人が見事に作曲をやりおおせてしまうのだ。それが映画として記録されている。

(by 新村豊三)

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