荒井晴彦の第4作目の脚本監督作品「花腐し」(はなくたし)が面白かった。これまでもそうであったように、短編小説を元にシナリオを作るのだが、今回も、原作は同名の2000年芥川賞受賞作だ。筆者は当時東大仏文の教授だった松浦寿輝。詩人でもあるが、松浦氏は映画を巡って荒井晴彦と対談をやった程、二人は親しい関係にある。
実は8月上旬、「福田村事件」同様、荒井氏から案内を受けて試写で見せていただき、下旬の湯布院映画祭でも見ている。
135分とかなり上映時間はあるが、全く飽きない。ストーリーがよく出来ている上に、演出が自由に行われる。もうほとんど何の制約なく好きなように演出している感じだ。
原作の小説を読んでみたが、まあ、大胆な脚色である。ビックリする位だが、これについては後述したい。
映画は現代の話で、冬、北陸の海に男女の心中の死体が上がった所から始まる。女の実家を訪ねた栩谷(綾野剛)は、売れないピンク映画の監督で、その祥子という名の女(さとうほなみ)と暮らしていたのである。
綾野は、住んでいる部屋の大家に頼まれ、古いアパートから立ち退かない男に退去を促しに
行く。その伊関という名前の男(柄本祐)も、ビデオのシナリオを書いていたことがあり、二人は、いつしか、家の近く、新宿にほど近い韓国バーで、お互い横に座り、酒を飲み、自分たちの過去を話し合っていく。
この映画が面白いのは、現在のシーンはモノクロであり、過去の回想シーンはカラーになることだ。さて、ここに触れないと、映画の面白さが伝わらないので書いてしまうが、実は二人同じ女、すなわち祥子を愛したことが段々と分かってくる…
原作では、部屋を訪れバーで色々と話をするが、同じ女を愛したわけでもないし、綾野の仕事は堅気の(?)デザイン会社の経営である。
荒井晴彦は、20年前の小説の「知らない男が出会い、バーで酒を一晩飲む」設定だけを借りて、全く自由に大胆に、自分の方に引き寄せてしまって現代の話を創作した。
荒井晴彦が今の日本に感じている閉塞感、人生に対するニヒルな見方などが滲み出ている。演出として色んなところに「荒井色」が濃厚に出る。男二人が行く韓国バーの名前はハングルで「생활의 발견(生活の発見)」。すなわちホン・サンスの初期の傑作「気まぐれな唇」(2002年傑作)の原題である。ソジュ(焼酎)にキュウリを入れて飲むディテールも細かい。また、彼が好きなのだろう、「ラストタンゴ・イン・パリ」「セント・エルモス・ファイヤー」など、様々な映画のことが言及される。「若い時の恋は発情である」という、上野千鶴子の本の引用もある。
綾野の部屋に戻って来て、「マジックマッシュルーム」でラりっている女の子とのセックスシーンが始まるが、最近の邦画でこれほどハードな描写はないと思う(荒井は、ピンク映画の若松孝二プロ出身)。
さて、ここだけはどうしても触れておきたい。この映画、実は、少し曖昧な終わり方をする。見る観客の解釈に任される。しかし、私は、綾野が、柄本が暮らすアパートに入っていく時の、「雨の降らし方」に解釈のカギがあると思った(雨の降り方が普通ではないのだ)。「異界」に入っていったのだと考える。
主題は、こんな時代、こんな日本にも男と女の愛はあり、一人の女を幸せに出来なかったことを男が悔悟することだ。ラストのカラオケのシーンで、綾野は、最初はおずおずと、途中からは一心に山口百恵の「さよならの向こう側」を唄うのだ。♪さよならのかわりに♪その心情にジンと来た。
演技としては、柄本佑が上手い。その自然で柔軟な演技に舌を巻く。先ほど触れたアパートでの乱交のセックスシーンは相当に長い。しかし、柄本の演技がいい。ケツに棒を突っ込まれてウっと来る表情なんて全くもって上手いのだ。
好きな映画をもう一本! 荒井氏自身から聞いたのだが、現在がモノクロ、過去がカラー、しかも男二人が話す女が同一人物という構成はホン・サンスの「ハハハ」(2010年)から取ったとのことだ。成程と思った。
映画監督と友人がソウルで会って旅の話をする。韓国南部の港町トンヨン(統営)に行ったのであるが、そこで二人が出会ったのが同じ女だ。ホン監督作の中では、それほど優れた作品とは思わないが、監督の「人物が酒を飲みながらだらだら話をする」という特徴がよく出ている。「気まぐれな唇」の主役のキム・サンギョンが監督役だ。
(by 新村豊三)