9月10月、敬愛した映画評論家が相次いで亡くなられた。9月上旬に渡辺武信さん。享年86歳。死因は虚血性心不全。映画祭で知り合い、お家を訪問するなど40年程のお付き合いがあったので、武信さんと呼ばせてもらう。
武信さんは、映画評論家だけでなく、建築家、詩人でもあった。30代の頃、キネマ旬報に「日活アクションの華麗なる軌跡」という連載を7年半に渡って書かれた、このジャンルの評論の第一人者だ。
ミュージカル、ミステリー、また、特にウディ・アレン監督作品のようなウエルメイド、ソフィスティケートされた映画がお好きだった。著書「映画は存在する」(サンリオ出版)の「雨に唄えば」分析は絶品である。
建築家の立場で書かれたエッセイ集「住まい方の思想」(中公新書)は名著である。映画のシーンにも言及しながら、「居間」「収納」「照明」等のテーマごとに、自分の家でどう豊かに暮らすかの考察が、美しい文章で綴られる。自らの住まいの暮らしを楽しみながら、人生を肯定的に祝祭的に生きるという思想に貫かれており、私の生き方にも影響を与えた本である。
武信さんが好きなミステリー映画を一本紹介したい。「バルカン超特急」(1938 英)だ。原題は「The Lady Vanishes」、即ち「貴婦人消失」だ。バルカンのある国から、アメリカの若い娘アイリスが、年配の温和な英国人婦人ミス・フロイと共に特急列車に乗ってロンドンへ向かうが、途中で忽然とフロイが消えてしまう。
周りの乗客はいろんな事情で真相を言わない。実は、国際的な組織が絡む犯罪である。アイリスは、同乗していた音楽青年ギルバートと捜索に乗り出す…いろいろとあって、ラストはあっと驚く英国情報部の一失、となる。
モノクロの名人芸映画。ヒッチコック監督の緩急つけた演出は品があり、昨今の映画に散見するドギツサがない。英国流ユーモアも随所にある。武信さんの本で知った映画であった。
10月には白井佳夫さんが92歳で亡くなられた。知る人ぞ知る、60年70年代のキネマ旬報名編集長。77年に退社した後は映画評論家として活躍された。
白井さんの功績はいろいろあるが、多彩な書き手に原稿を書かせキネ旬を充実させ、ひいては日本の映画批評を活性化させたこと。誌面に「読者の映画評」を設け、一般の映画ファンの映画評を誌面に載せ、そこからプロの批評家が育ったこと。また、歯に衣着せぬ硬派の批評を続け、優れた批評と活動で映画人を応援なさったことだろう。
私は81年の湯布院映画祭で映画祭の仕掛け人であった白井さんを知った。自分の映画歴45年を二つに大別すると、間違いなく、前半期20数年は、映画の見方について最も大きな影響を受けた人だった。20代の頃、若い映画仲間でご自宅を訪問し、映画談義をさせてもらったことがある。
こんな思い出もある。1982年に、白井さんがゲストだった、「とりたての輝き」(1981年)という映画の上映会の後、二人でタクシーに乗り、「最近、面白かった映画ある?」と聞かれたので、緊張しつつ「ピンクのカーテン」(ロマンポルノ 美保純主演)と答えた。その2・3週間後の年末、NHKラジオで、佐藤忠男さん、品田雄吉さんなど映画評論家が集まりその年のベストテンを話し合う番組で白井さんが8位だったか、「ピンクのカーテン」とおっしゃった。名画座に見に行かれたのである。嬉しかった。
好きな映画をもう一本! 膨大な映画群の中で白井さんが日本映画のベストワンにしていたのは昭和27年日本映画黄金期に作られたモノクロ映画、溝口健二監督の傑作「西鶴一代女」。
江戸時代、若い頃は御所に上がっていたが、今は夜鷹(夜、街頭に立つ娼婦)に落ちぶれた中年女性お春(田中絹代)が自分と出会った男たちを思い出しながら人生を振り返る。
最初はゆったりとしたテンポだが、次第に、お春の流転の人生に、画面から目が離せなくなる。封建主義の下、お春は恋も許されないし、意に反して、殿さまの世継ぎを生むための妾にさせられ、男の子が生まれると放逐される。そして次第に淪落の人生を歩んでいく。お春は男社会の犠牲者で、長い間抑圧されてきた封建時代の日本女性の姿が重なる。
溝口お得意のワンシーン・ワンカット長廻しの流麗なカメラワークが圧倒的。ゴダールが溝口を信奉していて、初来日した時、一番にしたいことはと聞かれて、ミゾグチの墓に詣でることだ、と答えている。
(by 新村豊三)