ちょうどそのとき、おかみさんが私の火星坦々麺を運んできた。
空腹が最高潮に達していた私は、グレコと名乗った占いねずみのことはそっちのけで、反射的に箸をとって坦々麺を食べはじめた。
縮れ麺にからんだ真っ赤なスープは、口に入れた瞬間は火が出るほど辛いが、その辛さの奥には、香ばしいゴマの風味とコクが隠れている。
私はしばらく夢中で麺をすすった。
一息入れようと顔を上げると、湯気の向こうに光る双眸と目があった。
いつのまにかテーブルの上に登ってきた占いねずみのグレコは、だんっ! と足を踏み鳴らした。
「おいっ!」
腕組みをして、こちらを睨みつけている。
「俺の質問に答えろよ。あんたがあの曲を見つけたのか」
私は黙って水を飲み、箸で持ち上げた麺をフーッと吹き冷ました。唐辛子成分を含んだ風をもろに浴び、グレコは「へっくち!」とくしゃみをした。
ずるずると麺をすすりながら、私はグレコを見た。
「だったらどうするというんだ。『ニフェ・アテス』について知りたいなら、批評家が書いた解説がたくさん出回っている。そういうものを読んだらどうかね」
グレコはなおもくしゃみをしながら、ちょろちょろっと脇へよけた。
「いや、音楽のことを聞きたいんじゃねえんだ。俺にはゲージュツはよくわからねえ。つまりよ、あんたはすげえ探偵なんだな」
「すごいかどうか評価するのは私ではなく依頼人だ。だが、探偵には違いない」
「やっぱりか!」
グレコはいかにもうれしそうに、パチンと指を鳴らした。が、次の瞬間にはまた、腕を組んで難しい顔になった。
「そうか。いやしかし、うーむ。そうか……」
グレコが悩んでいるあいだに私は火星坦々麺を食べ終えた。おかみさんがきて丼を下げ、床にあったグレコの金星餃子の皿とお冷やのコップをテーブルの上へ移し、二つのコップにそれぞれ水を継ぎ足した。
おかみさんが奥へ下がると、グレコは落ち着かない様子で餃子の皿の周りをぐるぐる回りはじめた。見ているこっちの目が回りそうになったころにようやく立ち止まった。そして、意を決したようにすっくと立ち上がって私を見上げた。
「その……探偵ってのはよ、高いのか」
「詳しい料金を知りたいなら、営業時間に事務所にくれば説明しよう。この店の向かいだ。今は営業時間外だ」
「明日ってことか」
私はもったいぶって、椅子に背をあずけた。空腹が満たされ、鷹揚な気分になっていた。
「営業時間外だが、雑談なら聞いてやるぜ。つまらない話はごめんだがな」
(第三話へ続く)
(by 芳納珪)