私は目をしばたいた。
確かに狙ったはずなのに、いま引き金を引いた万能銃〈ムラマサ〉の先が、フェアードマン卿から1メートルも横にずれている。
私は再び、フェアードマン卿の眉間に照準を合わせた。
「なぜ、余を破壊しようとする」
「私よりも頭のいいヤツの存在を許すことができないのでね」
つい忘れがちになるが、F・フェアードマンは時間を操ることができるのだ。瞬間移動など朝飯前だろう。
「余は時間展開立体を演算装置として利用するが、それは敵と戦うためである。時間展開立体に攻撃を向けることはないし、時間展開立体の各領域の内部では、人々はこれまで通りの生活を送ることができる。今はトキ市の一部分しか取り出されていないようだが、その点はすぐに改良しよう。トキ市全体がすっぽり入る範囲を一領域とすれば良い。貴兄はもといた世界に戻り、何事もなかったように生きられる」
フェアードマン卿の口調は厳かとも言えるほど静かで落ち着いていたが、語る内容は私の耳に甘く響いた。
この、どこまで行っても抜け出すことのできない狂った世界から、元のトキ市に戻れるのなら。
これまでと同じ日々を送れるのなら。
それなら、自分が生きている世界の外側で、フェアードマン卿が誰とどんな戦争を繰り広げようが、関係ない。
だが、何かがおかしいと直感が告げた。
フェアードマン卿は、なぜ、今このときに私の前に現れたのだ?
私はとっさに万能銃をくちばしでくわえ、体を後ろ向きにひねって翼を広げた。
地面を蹴って羽ばたくと、「時間のボール」の壁をやすやすと突破した。反転していた街の色彩が戻る。
パニックの跡が残る無人の十六番街のアーケードを抜けると、加速しながら街路を水平に飛んだ。後ろを振り返らなくとも、ノルアモイの軍団がドドドドっと雪崩のように追いかけてくるのがわかった。
領域の境界を越えた。
ノルアモイどもも、同じように境界を越えてついてきた。
昼間確認したように、各領域の住人はこの境界に気付いていない。自分が今いる領域だけが世界だと思って、その中で平穏に暮らしている。ところが私は、どういうわけか境界をまたぐことができる。この体質(?)を備えた私は、無数の領域の集合体である「時間展開立体」を利用しようとしているフェアードマン卿にとっては邪魔な存在なのではないか。
夜といってもまだ早い時間なので、街路にはそれなりに人通りがある。
私は、ノルアモイのけたたましい足音と、通行人の阿鼻叫喚から逃れるべく、脇道を探した。
と、信じられないものが目に入った。
驚いたが、止まることはできず、その景色はあっという間に後ろに流れ去った。
露天商が道端に並べた雑誌の表紙に、レディMの顔があったのだ。
――私を見つけて。
元の世界のロ号歩廊で聞いた彼女のメッセージは、このことを言っていたのだろうか。
それから私は、街路を縦横無尽に飛びながら、レディMのイメージを探した。
電気屋のテレビの中、居酒屋のポスター、バーの看板などに彼女は現れたが、気付いた時には通り過ぎてしまう。ノルアモイ軍団はすぐ後ろを追いかけてくるので、引き返すことはできない。
いくつもの領域を越え、階層も上下に移動した。
暗く細い路地に入ったとき、前方のゴミ箱に、額に入った絵が無造作に投げこまれているのが見えた。そこに書かれた肖像が、はっきりと声を発した。
「赤ワシさん!」
私は通り過ぎざまに、祈るような気持ちで、両足の爪に額縁を引っ掛けた。
ボン!と空気が膨らんだかと思うと、柔らかい手が足首を掴むのを感じた。
実体化したレディMは、切迫した声で叫んだ。
「どこか、ひと気のないところで止まってください」
私は、古いユニットを取り壊した後の空き地を見つけ、その場所を見下ろすユニットの屋上に降り立った。
ノルアモイはドドドッと空き地になだれ込んだ。先頭のノルアモイに、フェアードマン卿が堂々とまたがっている。
私は風切羽根を畳み、くちばしにくわえていた万能銃を手に持って構えた。特殊構造になったトレンチコートの袖は、下側が開いたままだ。
隣には、作業用のオーバーオールに身を包んだレディMが立っている。彼女は、見たことのない筒状の装置を背負っていた。
(第二十二話へ続く)
(by 芳納珪)