〈赤ワシ探偵シリーズ2〉ニフェ・アテス第五話「ニフェ・アテス」

ジョーは爪を引っ込めたものの、まだ興奮冷めやらぬ様子で、先刻まで矢車兄弟がいた塀の上に飛び乗った。向こう側に向けてシャーッと威嚇する。
「なんだよ、俺たち何もしてねえよ!」という、兄弟のどちらかの声が遠くから聞こえた。

挿絵:服部奈々子

挿絵:服部奈々子

ジョーは塀から降りると、気まずそうに目を伏せた。
「いや、どうも見苦しいところをお見せしました」
「どうしたんだ」
「……あいつがいなくなったんです」
「なんだって」
「店を開けてからちょっと裏へ戻ったとき、ふと思いついて、あいつの部屋をノックしたんです。今日も客がこなさそうだから、晩飯がてら店で何か弾いてみたらと声をかけるつもりで。返事がないのでドアを開けると、もぬけの殻でした。家じゅう探してから外へ出てみると、ちょうど矢車兄弟がいて……やつらがあいつに絡んでいたことを思い出して、ついカッとなってしまって」
「そうか。じつは私は、あの若者に用があったんだが」
「なんですって……あいつが、何か事件に?」

ジョーはうろたえた。情報屋の鋭さはすっかり影を潜めている。よほどあの若者――シロに思い入れがあるようだ。
私はジョーを促して山猫軒へ戻り、そこで昼間のサラクの依頼内容を話した。本当は守秘義務があるのだが、場合が場合である。それに、ジョーの誠実さはよく知っている。

「シロ、ですか」
私の話が終わったとき、ジョーは感慨深げに呟いた。彼に窃盗の嫌疑がかけられている事実など、名前がわかったことに比べれば、大したことではないようだった。

「本当の名前かどうかわからない。だが、今はそう呼ぶしかないな」
「待ってください……考古省……発掘……もしや」
ジョーの、眼帯をしていない左目が、きらんと光った。情報屋のカンが戻ってきたらしい。
「ニフェ・アテス」
その不思議な言葉を呟いたとき、ジョーは一瞬、夢見るような目つきになった。

「なんだ、それは」
「子どもの頃、親父に連れられて行った酒場で、白銀の毛並みを持つ猫人歌手の歌を聞きました。壮大な……それでいてあたたかく、胸をしめつけられるように懐かしい、いちど聴いたら忘れられない歌でした。その歌の題名が『ニフェ・アテス』——大地の歌、という意味だそうです。それ以来その歌を聞くことはありませんでしたが……シロがここへ来た日、ギターであのメロディを爪弾いていたんです。そのときあいつは一人で部屋にいて、扉が少し開いて音が漏れていることに気づいてないようでした。あまりにも思いつめた様子なので、つい声をかけそびれてしまいましたが……」
「大地――立体都市の下にあるという、オールドアースの表面か」
「銀猫人は大地から生まれたという伝説があるそうです。今は地に足のつかない暮らしをしなくてはならないが、やがて大地へ帰る日が来ると信じているとか。下層の発掘と大地信仰を結びつけるのは短絡的かもしれませんが、どうも気になります」

銀猫人が大地信仰を持っているとは、初めて聞く話だった。そもそも銀猫人は数が少ない。シロのことも、本物ではなく、銀猫人風のメイクをしているのではないかと半分疑っていたぐらいだ。

「おまえさんは、どうしてそんなにシロに肩入れするんだ」
単刀直入に聞いてみた。たしかにシロには、人を魅きつける気品がある。だが、先ほどのジョーのとり乱しようは、それだけでは説明がつかない。
するとジョーは、照れくさそうに唇の端をあげた。

「似ているんです……弟に。成人する前に死んでしまいましたが。ものしずかで、ギターがとても上手でした。それに音楽好きは、一緒に演奏した相手のことは、言葉で伝わらない部分までよくわかるんです。シロは、本当の芸術家です。私は、あいつの才能に惚れてしまったんです」
「なるほど、そういうことか」

沈黙が降りた。私たちはカウンターに並んで話をしていた。私はしばらく正面にある酒瓶のラベルを見つめたあと、相談を持ちかけるていで切り出した。

「私が考古省の役人から受けた依頼は『紛失した四角石を取り戻すこと』だ。『四角石を持っている者を探すこと』ではない。もし誰かが、人探しの方を依頼してくれたら、私にとっては一石二鳥だし、場合によっては依頼人を同行させることもできるのだが」

ジョーの表情が、静かに変化した――暗闇にひとすじの光明を見出したかのように。

「あなたとは長年の友人ですが、こんな日がくるとは思ってもみませんでした」
左目が、生き生きと輝いた。彼は私をまっすぐに見て、言った。
「私の依頼を受けていただけますか――シロを、探し出してください」

(第六話へ続く)

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