腕を組み、目をつぶって考え込んでいたグレコは、とつぜん「あーっ」と叫ぶと、帽子をつかみとって、両手でぐしゃぐしゃと頭をかきむしった。
「くそう、だめだ。うまく説明できる気がしねえ。俺が説明してもあんたはまた『つまらん』って言いそうだ。とにかく見てもらうしかねえよ。今から俺と一緒に来てくれ」
グレコは必死に訴えたが、さすがの私もそこまでつきあう気はなかった。
「話だけなら聞いてやってもよかったが、そこまでしなきゃならん義理はない。依頼する気があるなら明日来てくれ」
そのときふと、グレコのカバンについているマスコットが目に入った。
緑色の人が、両手を互い違いに天に向けているような形。規則正しく並んだトゲ。
実によくできたサボテンのぬいぐるみだった。
私はもっと近づいて見たいのをこらえて目をそらしたが、視線は吸い寄せられるようにそこへ戻ってしまう。
グレコはそんな私の怪しい挙動に気づいた。
「へえ、あんたサボテンマニアか。いいだろ、これ」
カバンをぐいっと私の方に突き出す。ねずみサイズのサボテンマスコットが愛らしく揺れる。
「もっと大きいサイズもあるんだぜ。どこで買ったか教えてやろうか?」
「くっ……!」
悔しいが、これは私の唯一の弱点なのだ。サボテンと名のつくものにはなんでも反応してしまう。
グレコは得意げに鼻をヒクヒクさせた。
「教えてやってもいいぜ。一緒に来てくれるならな」
「……140階のロ号歩廊と言ったか?」
「ああ、そうだ」
「ここからそう遠くないな。最近、運動不足を感じていたところだ。食後に少しウォーキングしてもいいかもしれん。決してサボテンのマスコットが欲しいわけじゃないからな」
グレコはしてやったりというように、前歯をむき出してニヤリと笑った。
そこへは、エレベーター駅に行くよりも階段を使った方が近道なので、我々は街塔の外側にある狭い鉄骨階段を3階ぶん降った。
この辺りには店はない。立体都市を維持するおびただしい設備と、その隙間を埋める違法建築の住居がモザイクのように入り組んでいる。
140階に着くと、グレコは先に走っていった。やがて戻って来て、首を横に振った。
「だめだ、封鎖されている。こっちから行こう」
と言って、歩廊を外れて設備の隙間へ入って行った。
「封鎖だって? ものものしいな」
私は、一体何が起きているのかと半ば期待し、半ば不安になりながら、グレコの後について行った。
やっと通れるような隙間をなんども通り抜けて、少しひらけた場所に出た。そこから、ロ号歩廊を見下ろすことができた。確かに、歩廊の2箇所がシートで覆われ、警官が立っている。
私は息を飲んだ。
ひとことでは言い表せない光景がそこにあった。
シートで挟まれた歩廊の上に、ぼんやりした白い球体がある。その光は、現実とは思えない異様な質感だった。
球の中に、少し黒っぽいねずみの形をした影があった。易者の帽子をかぶっているところを見ると、どうやらあれがロスコらしい。その姿も、どこか遠くにいるような、現実離れした奇妙な感じを抱かせた。
「あの球、昼間は黒かったんだが」グレコが言った。
私は少し考えてから答えた。
「写真のネガのようなものだろうか。あの球体の中は、周りの景色と色が反転しているんだ」
「そう言われるとそうだな……あれの中を注意して見てくれ」
私は目を凝らした。
「動いている!?」
球体の中のねずみは、非常にゆっくりと動いていた。振り返ってのけぞった姿勢で、徐々に後ろに倒れて行っているように見える。そんな動きをするのは、プロのダンサーでも無理だ。よく見ると、帽子も頭から少し浮いている。
「まるで、時空が歪んでいるみたいだ」
私は、自分の口から出た言葉に驚いた。歪んだ時空など、見たこともないのに。
グレコが、あっと小さな声をあげた。続いて、カランカランと、何かが落下して行く音。
私が何か言うより早く、グレコはしゅっと身を翻し、音を追いかけて隙間に潜り込んだ。
(第五話へ続く)
(by 芳納珪)