あっという間に一日が過ぎた。
私は家主が帰って来る前に、蛙人(カエルじん)の家を出た。世話になった礼に、いくばくかのチップを置いて。
都市の隙間に身を潜めて夜になるのを待ち、暗がりをたどってレッドイーグル探偵社に帰った。探偵稼業をしていると敵も多くなる。そういう連中に、今の私の状態を知られるのは避けたかった。
探偵社の中に入るのにも気をつかった。
とりわけ、月世界中華そばのおかみさんに見つかるのはまずい。こんなときのために、ひとつ上の144階から探偵社の真上に降りるルートを確保してあった。
7つ道具のロープにぶら下がって探偵社の屋根の上に降り、瓦を外す。自分の家に空き巣に入ろうとしているようで、なんだか情けない。
屋根から天井裏に下り、天井の点検孔を開けて、明かりのついていない2階の部屋に降り立った。
……?
階下から、物音が聞こえる。
部屋を出て階段の下を見ると、明かりがついている。
私は万能銃を構え、音を立てないように階段を降りた。
音の発生源は台所のようだ。
ジャー、キュッ。
パタパタパタ。
スリッパの音が近づいてきて、仕切り壁からひょこっと顔がのぞいた。
「あっ、お帰りなさい! 洗い物溜まってたから、やっといたよ」
緑色の短い髪に、瞳の中の星模様。どこかで会った気がする。それも、ごく最近。
「レディMのメイドヒューマノイドか!」
「こんばんは♪」
ヒューマノイドはスカートの両側をつまんで、にこやかに挨拶した。
「エムニって呼んで」
「エム……ニ?」
「そっ。レディMの分身だから、M2」
「きみが、レディMの分身?」
「レディMのフレームモデルをインストールしたから、彼女と同じ思考と判断ができるんだ。あなたを助けるために、急いでカスタマイズしたんだよ。喋り方まで調整する暇がなかったんで、そこはご愛嬌」
「レディMが、私のために?」
「ノルアモイ用の監視カメラで見ていたんだよ。違法建築街に入って見失っちゃったけど、いずれここに戻るだろうと思ったから、留守番して待ってたんだよ」
レディMが、私の苦境をわかってくれていた。そう思うと、とても心強くなった。
気持ちに余裕ができたからか、私は重要なことに気づいた。
「そういえば、きみはどうして私と普通に会話ができるんだ」
「だって人工知能だもん」
エムニは即答した。なるほど。
「レディMは今どうしている」
「ノルアモイをやっつける方法を急いで調べているよ。わかったらすぐに知らせるって」
彼女のことだ。不眠不休で働いているに違いない。
「きみはレディMと連絡が取れるのか」
「うん。常時ワイヤレスで繋がってるよ」
「では、くれぐれも体に気をつけるよう伝えてくれないか」
エムニはニッコリと微笑んで、自分の星型の瞳を指差した。
「彼女は今、ボクのカメラを通して、あなたを見ているよ」
「……そうか」
返事を受け取れないのは張り合いがないが、急ごしらえなら仕方ない。
エムニは、洗い物のためにまくった袖を、さらにまくる仕草をした。
「さ、次は何する?」
私は急に力が抜けて、台所の椅子に座り込んだ。
「そうだな。まずは飯を作ってくれないか」
何しろ丸一日(私の体感時間では半日ほどだが)何も食べていないのだ。
エムニは、らじゃ! と元気よく手を挙げると、早速冷蔵庫を開けて支度を始めた。
(第十三話へ続く)
(by 芳納珪)