2020年の生物はアマビヱ(アマビエ)様?
絵のクイズの答をいきなり明かしてしまった。アマビヱ(アマビエ)である。
この絵が広く出回るアマビヱ(アマビエ)の姿とひどく違うわけは後述することにして、今年話題のアマビヱ(アマビエ)様、多くの人が「甘エビ」かと思った(私もだ)ことも、歴史的事実とし記しておこう。
2020年に日本に生きてインターネットを見ていた人ならばご存知だろうが、アマビヱ(アマビエ)は「妖怪」の一種で、江戸時代後期の1846年、肥後国の海中から現れ、「これから疫病が流行するがその時は私の姿絵を写して人々に見せよ」と予言めいたことを言って海に帰った、と伝える瓦版が残っている。ご覧になった方も多いだろう、これがそう。
(参考資料)アマビヱの図 新聞文庫・絵 京都大学附属図書館所蔵
時は移り2020年、新型コロナウイルスCOVID-19大流行の折、絵を描く人たちが自分なりに描いた「アマビエ」がSNSに登場し、拡散され、「新型コロナウイルスCOVID-19 克服」「復興」のシンボルのように扱われている。
アマビヱ(アマビエ)の最も興味深い点
これを私はとても面白いと思った。
特に、
1)アマビヱ(アマビエ)が「自分の姿を絵に描いて広めよ」と言った点
2)しかし、「そうすれば疫病の流行がおさまる」とはまったく言っていない点
が興味深い。
1)に関して:
似たパターンの伝承やそれを元にした創作(謎の妖怪だか神様だかのためになることを人間がしたところ、その返礼として、「困った時は**をしなさい」と言い残して去るなど)と少し違う印象がある。
その妖怪や神との絆を思わせるものが残され(詳細は思い出せないが例えば、大きな音の出る笛だとか、石像だとか、無形のものならば歌だとか)危機が来た時に指示された通りもらった笛を吹く、石像を動かす、歌を歌う、などすると、その妖怪や神が現れて助けてくれる話にはなんとなく馴染みがある。妖怪や神は最初とは違う姿で現れ(人の姿をしていた海神が、海そのものとして現れるなど)、思いがけない方法で(大波や嵐を起こすなど)危機を解決してくれるが、その行為を律するのはまるで人外の理屈なので、危機の解決もするが取り返しのつかない破壊もしたりするのだ。相手は理屈を超えた存在なので何が起こるかわからない、指示された手段はとても簡単で素朴なものだが、滅多なことでその「最終手段」を使ってはならない、と思わせるものが多い。
翻って、アマビヱ(アマビエ)の指示した「姿を絵に描いて広める」という行為はやや込み入っている上、妙に現代的で、滅多なことでしてはならないというよりどんどんやれという感じだ。
瓦版に登場するところからして、疫病に苦しむ(が知られていないし助けてもらえない)人々が先にいて、そのことを知って助けてもらいたくて、だが「病気の話」そのものだと広まりにくいので「アマビヱ(アマビエ)」を使ったんだろうか? 「絵に描いて広めよ」というのも、誰かが人口の多い都市で、人気絵師の絵でも使って瓦版を作ってもっと広めてくれないか、と期待したものでは? などの推測もできる。
次に2)だが:
ついでにこれがアマビヱ(アマビエ)の返礼やご褒美だという話ではまったくないのも気になる。アマビヱ(アマビエ)に何かしてあげた覚えがあるならば、「言う通りにしたら何か良いことがあるかもしれない」気もしようが、突然現れた知らない人(妖怪)である上、何かを約束してくれたわけでもない。そこに妙な面白さがある。アマビヱ(アマビエ)が姿絵を広めることで目指しているのは疫病退散ではないのかもしれない、という考えも浮かぶ。
アマビエの教え
実際「アマビヱ(アマビエ)の絵を描いて広めれば疫病がおさまる」かというと、科学的な観点から言えばそんなワケはなく、何しろアマビヱ(アマビエ)様本人だってそうは言っていない。
かといって、江戸時代から伝わるこの「アマビヱ(アマビエ)」を、新型コロナCOVID-19 による災禍の中励まし合うシンボルにしよう、暗いことが多いコロナ禍の世界に少しでも明るい希望を広めよう、要は「気の持ちよう」をよくするものとだけ捉えるのは気が早い、もったいない、ちょっと待てそれでいいのか、という気持ちに私はなる。
新型コロナウイルスCOVID-19 流行時における「アマビヱ(アマビエ)の教え」にはもっと違う側面もあるのではないか?
アマビヱ(アマビエ)はウイルス!?
私はウイルスというものに興味がある。私はキノコが大好きで、キノコへの興味をきっかけに菌類全体に興味を持ったのだが、ついでのように湧いてきたのがウイルスへの興味だ。それまで細菌とウイルスの違いもよく知らなかった私だが、キノコのおかげで少し賢くなったのである。
ウイルスは「生物ではない」とされることが多い。定められた生物の条件を満たしていないからだ。
生物の定義は難しいのでそこまで統一されてはいないらしいのだが、おおむね「自他の境界となる膜構造を持つ」「自分自身の内部でエネルギー代謝を行う」「自己複製し、増殖する」の三つだと、よくものの本には書いてある。ウイルスは簡単な膜構造を持つが、他者(宿主となる生物)の細胞の中でその膜を崩壊させて中身だけを入り込ませるし、自分でエネルギー代謝をせず宿主のエネルギーを使うし、宿主の遺伝子複製工場を借りて自己複製する。よってどの条件にも(特に一つ目と二つ目)微妙に足りず、「生物」とは言い難いというわけらしい。
しかしウイルスを「生命ではない」とまで言うと直感的にそれは定義の方がおかしいのでは? と感じる人も多いだろう。素人考えだが私もそのひとり。
専門家の中にも、「細胞生物ではない」が、「何らかの生物」とすべきと考える人はいるようだ。別に分類が変わったから自然界が変容するわけでも、研究方法が変わるわけでもないのだから、決着をつけなくてもいい気もする。が、科学界にも大人の事情だの何だのあれこれあるだろうし、そのうち権威のある機関がウイルスが生物か否かという見解を発表し、皆がそれに倣うのかもしれない。
とにかくそういう生きているかもわからない奇妙奇天烈な存在、目に見えない(一部の巨大ウイルスを除き電子顕微鏡がないと見えないほど小さい)、しかも恐ろしい病原体になるものがあるとあって、悪者にされがちなウイルスだが、ほとんどのウイルスは別に何の悪さもしないし、それどころか生物進化における遺伝子の水平伝播(*)に多大な貢献をしたと考えられている。
(*遺伝子の水平伝播とは:遺伝子がある個体から別の個体へ、世代交代でない方法で伝わること。世代交代で親から子へ伝わる場合は「垂直伝播」と表現する)
ついでに、生物の定義の三番目を「進化する能力を持つもの」とする流儀もあるという。生物進化においてウイルスによる遺伝子の水平伝播が不可欠だったとすれば、もはや一般的な「生物」の方がウイルスに寄生する「非生物」になりそうなところも面白い。
アマビヱ(アマビエ) AMBE-2020
適当にアマビヱ(アマビエ)をウイルスの名前っぽくしてみたが、さて、ウイルスの「自己複製のしかた」に注目したい。
一般的な地球の細胞生物は、自己複製する際、自前の材料を使う。自分の細胞を分裂させたり、さらにそれをペアになる異性の細胞を合わせたりする。そして細胞には自分の遺伝子を複製する機能がある。
だがウイルスは遺伝子だけが簡単な膜の中に直接入っているようなミニマムな存在だ。他者の細胞にまず入り込み、細胞内の「複製工場」を拝借し、自分の遺伝子を複製させてしまう。その際の材料も元の持ち主のものをもらう。つまり、設計図だけを持ち込み、あとは材料も労働も人任せという、恐ろしく効率の良い複製方法を取る。ウイルスは、「世界中が私のコピーマシン」と言える天地を求めて旅をするのだ。
アマビヱ(アマビエ)が自分自身の姿絵を広めるのも一種の自己複製だが、その方法は実にウイルス的ではないだろうか。画材を調達するのも絵を描くのも人任せである。つまりアマビヱ(アマビエ)はウイルスなのではないか? 最初の章のタイトルに「2020年の生物はアマビヱ(アマビエ)様」と書いたが、にわかに怪しくなってきた。生物かどうかが、だ。
改めて、アマビヱ(アマビエ)の教え
アマビヱ(アマビエ)が新型コロナウイルスCOVID-19 のような、人間に害をなすウイルスだ、と言いたいのではもちろんない。
アマビヱ(アマビエ)が人間を助けてくれようとした、少なくとも人間界に害意はなかったとまず前提する。アマビヱ(アマビエ)がウイルスだったとしても、ウイルス的性質を持つ妖怪だったとしても、瓦版に載せた人の何かしらの意図が具現化して現代に蘇った幻だとしても、身をもって示されたその教えは「敵を知れ」「敵の戦略を知れ」ということではないだろうか。アマビヱ(アマビエ)にそんな意図がなかろうと、今無理矢理にでも汲み取るべきはそれではないか。また万一、アマビヱ(アマビエ)が人類に害をなそうとしていて、この度のアマビヱ(アマビエ)の流行はその序章だったとしても、アマビヱ(アマビエ)が「相手が興味を持ったら制御系統を奪える」レベルの能力でも備えていない限り、やはりすべきことは「敵を知る」ことだろう。だいたいそんなレベルの存在だったらもう負けている。
実際のウイルスの伝播をつぶさに追うことは難しい。専門家にも難しいし、素人にはほぼ不可能だ。何せ電子顕微鏡じゃないと見えないやつらだ。たとえ電子顕微鏡持ってたところで難しいしだろうし、持ってないんだからとにかく難しい。
でもアマビヱ(アマビエ)の絵がどのように広まったのかは、誰でも見ることができるし、SNSの時系列を追うなどして詳細を分析することも可能だ。アマビヱ(アマビエ)の進化(絵を描く人による形態の変化)を系統的に研究する材料も簡単に揃えられる。
「これがウイルスの増殖と変異のスピードであり、拡散力だ」とアマビヱ(アマビエ)は可視化してくれるかのようだ。また、アマビヱ(アマビエ)を凌ぐスピードで広まった、デマや噂話にも目を向けさせてくれた。噂はもはや会議をする「井戸端」すら必要とせず、人の悪意や恐怖、時に善意までエサにしてあっという間に広まるという、誰もが知ってはいた事実に、改めて。
インターネットを介して広まる噂やデマは、ウイルスの感染ほどではないにせよ、どこが火元でどのルートで広まったかを特定するのは不可能ではないが簡単でもない。だが、アマビヱ(アマビエ)の場合「画像つきで」「主にSNSを介して」「広めようという意思を持って」広まったため、極めてトレースしやすくなっているし、元となった絵もわかっているので、どのように変異を起こしたか(描く人がどの部分を元絵や先行の絵に影響を受け、どこを独自にアレンジして変化させたか)も目で見て明らかにわかりやすい。やはりアマビヱ(アマビエ)は、「人を介してウイルス的複製方法で広まるもの」をかつてなくわかりやすく可視化した感が強い。
「2020年のウイルス」は、アマビヱ(アマビエ)と新型コロナCOVID-19
と言えば生物か非生物か問題は回避である。
ウイルスといえば病原体ウイルス以上に身近なのが「コンピューターウイルス」だ。あれらも、寄生先のコンピュータのリソースを使って自己増殖する邪悪なプログラムとして恐れられるが、電子データなのでコンピュータを離れては存在できない。一方コロナウイルス等の本来の意味のウイルスはリアル世界の存在で、人間などの宿主の細胞から離れては増殖できない(宿主を長時間離れると活性じたいを失うウイルスもあるが、結晶化して活性をとどめるウイルスもある)。
そこへ行くとアマビヱ(アマビエ)はリアル世界でも電子データの世界でも自己増殖を続けるハイブリット型だし、旧来型ウイルスのどちらとも違うのは特に大きさの概念を持たず「目に見える」姿に簡単になれるところだ。善でも悪でもないウイルスの性質そのものが姿を得たような存在である。
こんなに面白いアマビヱ(アマビエ)ウイルスなので、新型コロナウイルスCOVID-19 克服のシンボルとしてだけでなく、ウイルス全体を知ろうというウイルス研究のシンボルとして活躍して欲しい。
ウイルスの研究で研究費を得やすいのは病原体ウイルスのものに偏りがちで、その中で最も実用的で有用な「ワクチンの開発」さえ、感染症の流行が収束してきて十分な収益が見込めないとスポンサーを失って立ち消えたりすると聞く。本当だろうか。費用がかさむ研究なのはわかるが、そんなんでいいんだろうか。
これを機会にウイルスの研究が、病原体駆逐のためのものであれ、有益なウイルスの活用のためであれ、どちらでもないものに関する基礎研究であれ、飛躍的に進むことを期待して止まない。人類はこれだけ酷い目に会ったのだから今後少なくとも病原体ウイルスの研究は進むだろうが、もっと広くウイルス全体の研究が進むといいと思う。
一般向けのウイルスについての入門書や解説書や読み物というと、「病原体ウイルスとの戦い」以外の切り口のものはまったく多いとは言えない。これももっと増えてくれたらいい。単に興味があって読みたいからだ。
つまり本記事のコンセプトは、新型コロナウイルスCOVID-19に打ち克つ研究をもっとすべきだ(ウイルスの研究面白いから誰かもっとやってわかりやすく教えて欲しい)という私の心の表裏にある欲求をアマビヱ(アマビエ)に代わりに叶えてもらうことだとも言える。
私がウイルスか。
もしくはアマビヱ(アマビエ)に制御系統を奪われたか。
自作「アマビヱ(アマビエ)」解題
最後に、冒頭に載せた変な絵である。
アマビヱ(アマビエ)に関して面白いと思ったもう一つのことが
3)瓦版の本文にアマビヱ(アマビエ)の姿についての記述が一切ない点
だ。添えてある絵にはアマビヱ(アマビエ)の特徴である「クチバシ」「三本のヒレ(足?)」「うろこ」が描かれているが、他にも目立つ特徴があったのによりによってその三つだけを抽出した可能性だっておおいにある。
アマビエにおける「いとこ煮」現象
例えば、奈良の郷土料理に「いとこ煮」というのがある。かぼちゃと小豆を一緒に煮た美味しい煮物なのだが、私はこれは最初「親子丼」的なネーミングで、かぼちゃと小豆の食感が少し似ているので「兄弟」までは行かないが「いとこ」という意味かと思った。
しかしさにあらず、火の通りにくいものから追い追い入れて煮て行くので「追い追い」つまり「甥と甥」だから「いとこ」だという。(注:諸説あり)
驚愕した。
甥と甥だったら兄弟かもしれないんじゃ?
なんてところではもちろんない。もちろん、
それを言ったら全部の煮物が「いとこ煮」じゃ?
というところだ。
よりによってそこ? という面が強調され、名前になったりトレードマークになってしまう件はわりとある。
そんなこんなで、アマビヱ(アマビエ)は案外こんな姿だったかもしれないよというのを描いてみたわけです。
自己複製の謎
最後にと言ってからが長くて申し訳ないが、自己複製って何だろうというのはよく不思議に思う。
生物の自己複製体はコピー元(親)に似ているが、それは自分の体の中にある材料を使ったからそうなってしまうというのもあり、自分(が無理ならその分身)を存続させることこそを究極の目的とする原理で動いているからというのもある。本能によってそうさせられるというか。遺伝子って、宿主を操って好きなように行動させる寄生虫みたいな存在である。
定義を広げて、自分の究極の目的を代わりに継続してくれるものを残すことを自己複製と呼ぶならば、それが自分と似ている必要は全然ないのだろう。アマビヱ(アマビエ)も、多様に進化することに重きを置いているようで、目的は自分そっくりなものを世に溢れさせることではなく、ウイルスに親しみを持たせてウイルス研究を推進することに違いない。
そんな「自己複製」の謎を一つのテーマとする小説『N生児の星』を先日まで連載していました。現在も公開中です。よかったら読んでください。
ではでは、最後までお付き合いありがとうございます。また是非ホテル暴風雨へお越しください、お待ちしております!
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