ドーナツとベーグルって、すごく形が似ていますが、あの形はいつからある? 両者に何か特別な関係・歴史的因縁でもあるんでしょうか?
というのが今回のテーマです。
ドーナツとベーグルの違い
小説の本編でもドーナツとベーグルは重要な位置付けで登場します。すなわち、主人公点田のバイト先「まるあげドーナツ」と、ライバル店「まるなげベーグル」です。
ドーナツ派の人、ベーグル派の人、ドーナツとベーグルどっちも好き派、どっちもあんまり食べない派、色々いらっしゃると思いますが、まずは基本、ドーナツとベーグルの違いを整理します。
ドーナツ:小麦粉(薄力粉)が主な材料で、ベーキングパウダーを入れて油で揚げた、外はサクサクして中はふわふわの甘いお菓子。(注:「ケーキドーナツ」と呼ばれるこのタイプが現在主流をなすが、強力粉を使いイースト菌を入れて発酵させてから揚げる「パンドーナツ」というタイプもある)
ベーグル:小麦粉(強力粉)が主な材料で、イースト菌を入れて発酵させ、一度茹でてから焼いたもの。表面がツルツルして固め、中はもちもちした食感で、噛みごたえがある。半分に切ってサンドイッチのパンにも使われ、砂糖はあまり入れないか、入れたとしても甘さ控えめなものが多い。
つまりドーナツとベーグル、形はそっくりですが製法が違う、全く別の食べ物ということです。生地を油で揚げたのがドーナツ、茹でて焼いたのがベーグル!
クイズ ドーナツ or ベーグル
さて問題。「イチダースノクテン」第1回のイラストとして登場したこちらは、ドーナツ? ベーグル?
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答はベーグルです。ゴマが乗ったベーグルをスライスして、トマト、レタス、チーズをはさんだベーグルサンド、美味しそうですね。
ベーグルは表面が固めなのできれいにスライスするのに技術がいります。そのための「ベーグルカッター(別名ベーグルギロチン)という道具もあります。名前がすごい。
ベーグル ギロチン ベーグルカッター Bagel Biter
『イチダースノクテン』でも、ドーナツとベーグルの対比は主に「油 or not油」として描かれていますね。
第3話ではまるあげドーナツとまるなげベーグルには、個人的因縁があると推測される他、そもそも「ドーナツ(油)」対「ベーグル(ヘルシー)」という敵対関係がある と書かれています。
第5話では、エキセントリックな貼り紙を多用するまるなげベーグル苦田店長が、「揚げるのなんてナンセンス!」とドーナツをディスったポップを採用。しかしその甲斐もなく、まるあげドーナツはまるなげベーグルを凌ぐ大人気(人間ばかりか、二足歩行し言葉を解する謎の動物たちにも!)を誇ります。
ですが第2話を読むと、「まるあげドーナツ」でバイト中の点田はじめは、しばしば店長に隠れてこっそりライバル店「まるなげベーグル」のベーグルを買って食べるベーグル派のようですね。
ドーナツとベーグルのそっくりな形:ドーナツの穴とベーグルの穴に関係はある?
ドーナツとベーグルの形は本当にそっくりです。歴史を調べるとその起源に共通したものがあるんじゃないの? と軽い気持ちでちょっと検索したことがあるのですが、どうやらそんな簡単なものではありませんでした。
ドーナツの起源はオランダとする説が濃厚ですが諸説あり、初期型は穴が開いていなかったようです。一方、ベーグルの起源は14世紀ポーランドとも17世紀ウィーンとも言われ、ユダヤ人の考え出した食べ物とされているもよう。どちらも後にアメリカで大人気になったのはご存知の通り。
文献を当たっても、ドーナツ・ベーグルとも「穴の開いた形の起源には諸説ある」らしく不明、ましてや両者に「関係があるか」どうかはわかりません。世界中に近縁のものが溢れる食べ物の起源を探るのは本当に難しく、ドーナツ・ベーグルにしても、「お菓子やパンの起源」とどこまで線を引くかがまた考え方次第だということがよくわかりました。
まるあげドーナツ円田店長とまるなげベーグル苦田店長の間にも浅からぬ因縁があるようですが、それと同様、謎に包まれているのがドーナツとベーグルの因縁のようです。
結論が出てしまった、しかも「不明」って。
これだけではあんまりなので、あの魅惑の「穴」についてもう少し考えつつ、面白い本をご紹介します。
ドーナツとベーグル、魅惑の穴
ドーナツは「穴」が一番美味いという冗談があります。それくらいあの「穴」には魅力があるのです。いつまで「穴」は存在するのかというのも大問題。最初は英文字の「O」の形のリングだったのが、食べ進めて「C」くらいになった時、果たしてまだ穴はあるといえるのか、それとももう存在しないのか?
そんなことを一度でも考えたことのある方、ないけどとにかくドーナツやベーグル、そしてあの形が大好きだという方におすすめしたいのがこちらの本。
「失われたドーナツの穴を求めて」(芝垣亮介・奥田太郎編 / さいはて社)
穴が失われたということはあれだ、食べちゃったんでしょうね、ドーナツ。
この本の著者は「ドーナツの穴制作委員会」のメンバー13名で、第0穴から第8穴までの9章(穴)と、特別寄稿「本書の穴を埋める」、さらに10編の「穴コラム」からなります。著者はそれぞれ専門の異なる研究者と、ドーナツ店を経営するドーナツ作りの名人。各章(各穴)は、「ドーナツの穴」に、言語学・哲学・コミュニケーション学・歴史学・経済学・数学などのアプローチで大真面目に迫る内容です。といっても堅苦しいものではなく、とても楽しい読み物です。
各章(各穴)のタイトルを例としていくつか抜き出してみますと、「ドーナツの穴はいつからあるのか(歴史学)」「ドーナツの穴はいくらで売れるのか(経済学)」「ドーナツに穴は存在するのか(哲学)」といった具合。穴コラムには、「不思議の国のアリスに見る穴だけ残ったドーナツ!」「家庭でできるおいしいドーナツのレシピ」などがあります。近頃別件で話題の中国・武漢の「武漢面窩(ウーハンミエンウォー)」という、米と大豆の生地を油で揚げたお菓子を紹介する穴コラム「中国から考えるドーナツの穴」も面白かった(そう、穴が開いた食べ物はドーナツとベーグル以外にもまだまだあるのです!)。
書影の右上を見ると、ドーナツが描かれているのがわかると思いますが、これ、ただ「描かれている」んじゃなく、中央の黒く見える部分は、本全体に穴が開いているのです。白い文字で大きく書かれたタイトルと右下のキャッチコピーは、本体にかかっている透明なカバーに印字されています。カバーの後ろ(裏表紙側)にはドーナツのイラストも。デザインの点でも遊びのある工夫に富んだ本です(装幀・HON DESIGN)。こうしたギミックが楽しめるのは紙書籍ならではですが、電子書籍版もあります。
今回の「ドーナツとベーグルのあの形」の起源を調べるという点でも、大変参考になる本でした。たとえば、
*1852年にニューヨークで刊行されたレシピ本のドーナツには穴がない
*1877年にアメリカで刊行された料理本では穴あきドーナツが紹介されている
(「失われたドーナツの穴を求めて」第1穴「ドーナツの穴はいつからあるのか」大澤広晃 より)
アメリカであの形が一般的になったのは19世紀半ばということになります。
他にもこの章(穴)には、1940年に(戦争中!)ドーナツの穴の起源を検討する討論会がニューヨークで開かれたことや、「我こそはドーナツに穴を開けた最初の人間」と名乗る人物の伝説の検証など、面白いお話がたくさんあります。もちろん他の章(穴)もへ〜とかほ〜とかアハハハという声が思わず出る面白さ、詳しくはぜひ、読んでみてください。
また、この本の編者であり著者の一人、柴垣亮介さんによると、ドーナツの真ん中にあるのは「穴」だがベーグルのそれは「穴」ではない! 読んで納得できる人もできない人もいると思いますが、一度は読んで煙に巻かれた気分を味わうべし。
巻末には、ドーナツの穴についてもっと学びたい人のための読書ガイドもついていてあれこれ読みたくなります。
中から一冊だけ、今回の調べ物の趣旨に最も合っていたものをご紹介します。これまたドーナツの起源と歴史に迫り、レシピも載っている超充実した本です。
「ドーナツの歴史物語 (お菓子の図書館)」(ヘザー・デランシー・ハンウィック著・伊藤綺訳 / 原書房)
ドーナツの穴制作委員会ウェブサイト ドーナツの穴制作委員会facebookページ もあるようです!
ドーナツの穴、別の解釈
「失われたドーナツの穴」では穴という空間を論じるため、どこか形而上的なものになっています。でも、どこを「穴」とするか、ちょっと違う考え方もありますね。もちろん、その「違う考え」も本の中で何度か触れられてはいるのですが……
というわけで、「失われたドーナツの穴」読書リストには載っていなかったドーナツ関連書籍をご紹介します。
漫画です。主人公はスズメという若い女性で、なぜか目が覚めると夢の中らしき不思議な街にいて、とある喫茶店の二階に居着き、その喫茶店を手伝う暮らしをしています。いつ夢から覚めるのか、現実世界には何が待っているのか? という疑問と予感が通底する中、喫茶店に来るお客さんや街のようす、人々との交流が次々描かれます。各話にスズメの作るお菓子などのカフェメニューが紹介され、毎回レシピも載っています。2巻で完結していて、最後に「ドーナツの穴」が出てくるのです。とはいえ「失われたドーナツの穴を求めて」の柴垣亮介さんらによればこれはドーナツではな……いえいえ、形而上的な「穴」というロマンに現実が挑戦するようないい具合の役割で登場します。ネタバレは避けますが、ほのぼのした雰囲気で絵柄も可愛らしく、食べ物がとても美味しそう、真似して作ることもできるという、おすすめの漫画です。
ドーナツとベーグルの共通点
さてなぜドーナツとベーグルには穴が開いているのか、についての、自分なりの考察を付け加えます。それは「油で揚げる」「熱湯で茹でる」という調理法に理由があるかと思います。
炭火で焼く、など輻射熱も用いた調理法とは違い、「油」「熱湯」という高温の液体からの熱伝導を利用した短時間の調理であるため、生焼けにならないよう「表面積」を増やすことが重要。ドーナツとベーグルは味の面でも、表面と中身の食感のコントラストに大きな魅力があるので、表面の占める比率も重要。比率的に小さくなりがちな表面積を大きく、かつ崩れにくく安定した形にしようとした時、「扁平な円盤型に穴を開ける」のはかなり有効な解決法です。同じように熱伝導中心の調理でも、「鉄板で焼く」などの場合、鉄板に表面が触れている必要があるため穴開き型のアドバンテージがやや低いのと比べると、「油」「熱湯」という液体を用いた調理におけるベストソリューションといえましょう(鉄板に近いものでも「筒に巻きつけて焼く」調理の場合、ちくわやきりたんぽのように「穴」タイプが出現することもあるのがまた面白い)。
なんだかテンションが上がって変な文章になってきましたが、要は別に歴史的因縁がなく、同時多発的に発生しても何ら不思議はないアイディアじゃないのかということです。
こうして書いてみると、そりゃあそうだよ当たり前だという感じですが、つまりドーナツとベーグルのあの形は、極めて安定した、なるべくしてなった形といえます。多くの星が球形をしているのと同じ理由でドーナツとベーグルはリング型をしている。と言い換えるとちょっとうまいことを言った感じにならないこともない。
でしょうか。
果たして。
ドーナツとベーグルどっち派?
ちなみに私はドーナツもベーグルも好きで、ドーナツだったら「オールドファッション」派なのですが、どちらかというとベーグル派です。円田店長ごめんなさい!
ギッシリみっちりしたパンが好きなのと、ベーグルはとにかくお腹が空いたけれど家にご飯もパンもない時にわりと簡単に美味しく作れるのもお気に入りポイント。強力粉とイーストと水、少量の塩、場合によって砂糖か蜂蜜さえ家にあれば30分ほどでできます。他にも生地を混ぜるボール、茹でる鍋、オーブントースターは必要。レシピはネットにも溢れかえっているので、「ベーグル 簡単 作り方」などでぜひ検索! ドーナツも、検索すると流通量としてはちょっとレアな「パンドーナツ」も含め、レシピはいろいろ出てきます。手軽さの点では油で揚げるのでちとハードルが上がりますが、美味しそうで見ると作ってみたくなります。
ドーナツとベーグル、今後の関係にもご注目を
今回は「ドーナツとベーグル」の関係についてお送りしました。まるあげドーナツとまるなげベーグルの関係も気になる、最終回までもう少しの『イチダースノクテン』を、引き続きどうぞよろしくお願いいたします。
まだ読んでいないという方に向けて少しご紹介しますと、スーパーマーケット「スーパーなまず」の中にあるドーナツ店「まるあげドーナツ」を舞台にした、もはやジャンル不要の疾走コメディ。学生アルバイターのゆるゆるした日常ものと思いきや、ファンタジー? SF? と驚きの展開を見せますが、実は本文にも毎回掲載のオリジナルイラストにも謎が秘められたミステリー!? という、かつてない面白さの小説、楽しく読みやすくハッピーになれるお話です。私は、登場人物の名前に「点田」「円田」など「田」がついているところが気になっています。漢字「田」の形といえば……プレッツェル! ちょっと無理があるけれど、伸ばせばプレッツェル形になるというか、位相学的には同じというか。ドーナツと見せかけて実はプレッツェルが裏テーマの物語では? と妄想していますが、さて、どうなのか? 終了した際に浅羽容子さんに聞いてみたいと思います。
バックナンバー一覧はこちら、第1話はこちらです。よろしくお願いいたします。
カエルとサイコロもよろしく!
最後にもう一冊本のご紹介です!
当サイトの人気連載・浅羽容子作『シメさばケロ美の小冒険』が本になりました。
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