「貴族先生!」
泣きじゃくりながら駆け寄る不意夜度(ふぃよるど)を貴族は優しく抱きとめた。
「まぁまぁ、不意夜度さん、大丈夫よ。私、飛べるから」
「飛べるからって……貴族さん、どこから現れたんだい!?」
「あそこから」
皇帝の問いに、当たり前のように貴族がフリッパーで差した先には大穴がある。
「大穴から!?」
「ロイヤル紅茶館が穴に呑まれる時、フリッパーを広げ羽ばたいてみせたんですわ。皇帝さまを大穴で助けた時みたいにね。そうしたら、すぐに飛べたのよ。まぁ、そのまま引き返すことはできたんだけど、どうしても肖像画だけは諦めきれなくてねぇ。下層の人間世界までいって、海に浮いている肖像画を見つけ出して帰ってきたのですわ」
貴族は「これですわ」と言い、背中に背負った美しく貴族が描かれた肖像画を皇帝たちに見せた。
「この肖像画さえあれば店がなくなっても、どうとでもやり直せられますもの」
たくましい貴婦人の貴族はそう言うと、飛翔でさらに筋肉隆々となった厚い胸をどんと叩いた。その胸を叩く音で皇帝は大切なことを思い出した。
「そうだ! 黄頭(きがしら)さんが、ペンギンが飛んで雲を採取すれば崩壊を免れるって言ってたんだよ! 本当に飛べるとなったら、これは朗報だ!」
「あら、そう。それじゃあ、私、『臨時ロイヤル紅茶館 飛び方教室』を開講いたしますわ。任せなさい!」
貴族は、さらに強く、自身のたくましい胸板を叩いたのであった。
* * *
帰還した貴族をホドヨイ区のみんなが喜んだことは言うまでもない。古潟(こがた)と羽白(はねじろ)などは、
「穴なんかに落ちるなんて間抜けだな、貴族よぉ」
「なんだよ、貴族! 前よりも勇ましくなったんじゃねぇか」
と悪態をついていたが、小さな瞳からは安堵の涙が溢れて止めることはできなかった。しかし、喜んでいてばかりではいられない。ペンギンたちには、ペンペンとして時間はないのだ。黄頭ナンデモ研究所でも、マシーンの研究開発は時間との争いである。そんな黄頭たちのもとに、貴族の帰還と教室開講は朗報としてすぐに伝えられていた。
「『臨時ロイヤル紅茶館 飛び方教室』には、私も研究の合間をぬって参加するわ」
マリンは寝不足の目で申し出た。
「悪いな。マリン、結婚して早々」
「こう言っちゃなんだけど、人間世界の檻の中にいるより、今の方がよっぽど生き生きペンペンしててよ」
それを聞いていたクラゲも、「僕も、生き生きペンペンしているよ。ウフフ」と楽しそうにマリンの頭上に乗っかった。しかし、一番生き生きペンペンしているのは黄頭である。マリンとクラゲという仲間、いや、家族がいる心強さを身にしみて感じているのだ。
「さぁ、マシーンの完成まで、あと少しだ。頑張ろう」
黄頭は寝不足とは思えない張りのある声を出した。
開講された貴族の飛び方教室には、全区から多くのペンギンたちが受講しに来ている。しかし、飛び方を習っている間にも、ペンギン世界の穴は増え、大きくなっていた。古潟と羽白のヌルイ温泉リトル大浴場にもいくつもの穴が空いて温泉が漏れ、休業となっているし、阿照(あでり)の店は穴空きは起こっていないが、プロマイドを買いに行くほど気持ちに余裕がある客など皆無で開店休業の状態だ。ホドヨイ区のどこもかしかも似たような休業、閉店ばかり。元の賑わいはなく、さびれたシャッター通りとなってしまっている。また、他のホドヨイ区以外の区も状況は同じだ。どこに行っても穴だらけの世界、もはや、ペンギンたちに逃げ場がないのである。
そう、ペンギン世界の崩壊阻止には、一刻も早くペンギンたちが飛べるようにならなければならないのだ。そのために、今日も貴族の飛び方教室では本気のスパルタ指導が続いている。
「はい、阿照さん、もう一回! 鈴子さんはよござんす」
阿照は、フリッパーを広げ羽ばたかせるが、いつの間にかクチバシが天に向きロケットのようなポーズになってしまう。そして、自然と求愛ダンスを踊ってしまうのだ。鈴子がそばにいるため、尚更そうなってしまう。そんな阿照を鈴子は、上空から少し恥ずかしそうに、でも、目を離さず見つめている。鈴子自身は、貴族の指導で低空ではあるが飛べるようになっていたのだ。
「阿照さーん、頑張って!」
鈴子が上空から応援の声をかけた。しかし、それは、かえって阿照の求愛ダンスを激しくするだけだった。
「あらやだ、若いっていいわねぇ、順子」
「いいわねぇ、サエリ」
同じく低空飛行をできるようになった慈円津(じぇんつ)は背中に子供のジュリーを背負い、妻の順子とともに、「若いっていいわぁ」と言いつつも、自分たちはフリッパーをつなぎながら飛んで仲の良さを見せつけている。そのさらに上空では、飛び方を習得して講師となった不意夜度が華麗な飛翔を披露していたが、下降してきて貴族の元に降り立った。
「貴族先生、皆さん、だいぶ飛ぶのがうまくなってきたようですね」
「そうね。でも、まだまだですわよ」
と、貴族は横で必死にフリッパーをばたつかせている王の尻を叩いた。
「王さまのくせに飛べないなんて」
貴族のスパルタ指導に冷や汗を垂らしている王の近くには、場違いな求愛ダンスを踊り続ける阿照がいる。鈴子が空から降り立ち、阿照に近づいてきた。鈴子のフリッパーには何かが握られている。
「阿照さん、もしかしたら、これを被ればうまく飛べるかも」
そう言うと、鈴子自ら豆絞りの手ぬぐいを阿照の頭に被せだした。
「あうあうあう……鈴子さん」
豆絞りをクチバシの上で結んでくれる鈴子の可愛らしい顔は、阿照の顔のすぐ前にある。豆絞りを被り終えた阿照は、興奮で羽毛を逆立てながら、喜び勇んで「ひゃっほぅぅぅ」とフリッパーを大きく羽ばたかせて走り出した。
「あ!」
ふわりと浮いた。
「阿照さん、よござんす!」
徐々に上空へと上がっていく。それを見ていた王も奮起した。シュレーターズカチューシャを外し本気モードだ。「私だって」と気合をいれてフリッパーを大きく広げると足で地面を蹴る。ふうわりと王の大きな体が浮いた。
「うまいじゃないか、王さん! すごいすごい!」
すでに飛べるようになり講師となっている皇帝がやってきて王を補助するように並んで飛んでくれた。王が空を見あげると、すでに多くのペンギンたちが空を飛んでいる。
「皇帝さん、多くのペンギンたちが飛べるようになっているね」
「でも、飛べるようになっても肝心の黄頭さんのマシーンがまだ出来上がらないからな……」
そこに、車の音が浜辺に近づいてきた。古潟と羽白がトラックに乗って浜辺にやってきたのだ。荷台にはたくさんの荷物が積まれている。その荷台には、寝不足でやつれた黄頭とマリン、そしてクラゲも乗っているのが見える。
「よぉ、みんな調子はどうだ!?」
古潟と羽白がトラックから降りてきた。
「だいぶペンペンですわ」
生徒たちが次々飛んでいく姿を見た貴族が満足そうに答えた。
「こっちもやっと出来たよ」
レモン色の瞳を寝不足で充血させている黄頭がトラックの上から声をかけてきた。
「ペンギンのみなさん、マシーンをはこんで、はこんで」
クラゲが回転しながらふわふわと飛び、空のペンギンたちを呼びに行くと、ペンギンたちが集まってきた。早速、みんなで荷台から荷物を降ろす。その荷物は二種類のマシーンであり、それらはペンギンたちに配布された。配り終えた黄頭は、マシーンを不思議がるペンギンたちに呼びかけた。
「みなさん、注目! これから、マリンがマシーンの説明をします」
マリンは、配った二種類のマシーンをフリッパーに持ち、掲げている。
「これが、完成した『雲ポシェット』と『大地マシーン』よ」
雲ポシェットは、ポシェットのように体に装着し、採取した雲を保管できる小型マシーンだ。もう一つの大地マシーンは、採取した雲を投入するとペンギン世界の大地が生成され、そのマシーンのノズルを穴にいれると、たちまち穴が大地で満たされるという機能も持つ。土でも砂でも岩でも、どんな大地でも対応可能だ。
「……とそんなマシーンなの」
マリンの説明が終わると、すかさず貴族がポシェットを装着し空を飛んだ。
「では、私がお手本を見せますわね」
空の貴族は見る見る間に小さくなっていく。雲に到着しすばやく作業を終えると、こちらに戻って来た。
「採ってきましたわ、雲」
雲ポシェットの中には、綿菓子のような繊細な雲がたくさん詰まっている。
「では、この雲を大地マシーンに入れて」
採取した雲を黄頭が大地マシーンに入れ、浜辺に最適な「砂モード」のスイッチを押した。大地マシーンは微かに振動している。マシーンのランプが光ると、「よしOKだ」と黄頭はノズルを一番近くに空いている穴に差し入れた。
「クモモモモモモモモモ」
音を立てながら、ノズルから吹き出す大地の元が穴を埋めていく。全て埋まったと同時に大地マシーンも止まった。
「わぁ! 本当に元に戻っている!」
「ペンギンさんたちが上にのってもだいじょうぶだよ。ウフフ」
クラゲの言葉に、王が恐る恐る大地マシーンで塞いだばかりの場所に乗ってみる。砂が跳ねるだけで、穴はしっかりと塞がっている。
「すごい! すごいよ、黄頭さん、マリンさん、クラゲくん!」
「違うよ、王さん、すごいのは私たちだけじゃない。飛べるようになったみんなもすごいんだよ」
黄頭は、王の撫で肩を優しくペンと叩いた。
* * *
こうして、飛べるようになったペンギンたちは、雲ポシェットを装着し次々と空に飛び立った。そのまま上空に飛んでいくもの、大穴から降り下層の空に飛んでいくもの、それぞれが雲の採取に懸命に励み、そして、大地マシーンでの穴塞ぎにも力を入れた。また、貴族の飛び方教室は各地で開催され、古潟や羽白は各区へマシーンのトラックでの運搬を請け負った。こうして、全区のペンギンたちが一丸となり協力し、連日の徹夜の作業で大地の修復を完全に終えたのである。そう、ペンギン世界の崩壊は免れたのだ。
「黄頭さん、ちょっと相談があるんだ」
王が、黄頭の元に訪れたのは、修復作業が終わり、次の段階の復興作業に取り掛かりだした頃である。
「大穴の件なのだが、あれは、あのままにしておいた方が良いと私は思うんだ」
全ての穴は塞がったが、元から空いていた大穴だけはそのままであったのだ。
「なんでだい、王さん?」
「私たちペンギンは、すぐに昔のことは忘れてしまうだろ。今回のこの災難を忘れないため、教訓として大穴は塞がずに残しておいた方がいいと思うんだよ。下層の人間世界の汚染が、またいつ私たちの世界に影響するか分からないし。それと、こういうことがあったという経緯を書いた碑も作りたいと思う」
「いいことを言うな、王さん」
相槌を打った黄頭の横で、話を聞いていたマリンがクチバシを挟んだ。
「それに、大穴が空いていたら、いつでも下層の空へ飛べることもできるしね」
「マリンさんも、いいことを言うね」
王が首を上下に動かすとシュレーターズカチューシャも揺れる。すると、
「マリンさん、いいこというね。ウフフ」
とクラゲが王の口真似をして前転をする。
「なんだよ、クラゲくん」
黄頭ナンデモ研究所に笑いが起こった。久々の和やかな空気だ。笑いが収まると、黄頭がクチバシを開いた。
「そうだ、王さん。悪いのだが、ひとまず危機は脱したし、我々は休みを取ろうと思う。黄頭ナンデモ研究所はしばらくお休みするよ」
「黄頭さんたちは一番大変だったからね。いいんじゃないかな」
そうして、王への予告通り、黄頭たちは店を臨時休業とし誰にも邪魔されないヨットでの航海へとまた三人で旅立ってしまった。
しかし、黄頭たちはミスをしていた。弘法も筆の誤り、ペンギンも泳法の誤りである。ひとつだけ忘れていることがあったのだ……。
「アッツイ区長、モアイが動かなくなったっス!」
「動かないなら、元の位置に戻して欲しいっス!」
「やっぱり、ペンギンモアイは整列していた方がかっこいいっス!」
ス太郎たちがアッツイ区長の柄箱巣ス平(がらぱごす・すっぺい)に、ペンギンモアイが好き勝手な方向を向いたままバラバラの場所で止まってしまい、商売がやりにくいとの苦情を申し出ていた。黄頭たちは、ペンギンモアイのことをすっかり忘れていたのだ。
「ス太郎くんたち、分かりましたでス。元に戻してもらうよう、再度、黄頭先生にお願いしてみまス」
アッツイ区長が黄頭ナンデモ研究所に何度も電話をするが、もちろんバカンス中の黄頭たちが電話に出ることはない。
「また、いないでス……」
こうして、アッツイ区長の悩みだけは、しばらく続くのであった。
(第11章 ペンギン世界の崩壊 おわり)
※次回は「最終章 いついつまでもペンペンと」です。お楽しみに!
浅羽容子作「白黒スイマーズ」第11章 ペンギン世界の崩壊(4)、いかがでしたでしょうか?
これまで登場したいろいろなペンギンたちがペンペンと賑々しく集合して力を合わせ、めでたしペンペン!黄頭ナンデモ研究所マシーンズファンのみなさまも、最強にかわいい大地マシーン&雲ポシェットの活躍にご満足いただけたことと思います。ああよかった、ペンギン世界が壊れなくて。安心したところで次回からは白黒スイマーズ最終章。お別れするのはつらいけど、あと1ヶ月、ペンギン世界をお楽しみください。ペンペン!
ご感想・作者への激励のメッセージをこちらからお待ちしております。次回もどうぞお楽しみに。
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