潮時 第十七話

ダイヤモンドヘッド

【第十七話】

先生は、良子たちのクプナのクラス以外にも、多様な年齢構成の教室を担当していた。
中にはワヒネクラスもあり、新しく入会した3人は完全にワヒネのストライクゾーンだった。

「新しい人たち、どうしてワヒネに入らずに、私たちのほうに入ったんだろうね?」

体に振りを沁み込ませるため、1000本ノックよろしく、何度も曲をかけて同じところを踊る練習をしながら、葉月が言った。
毎回、レッスン前にはこうした自主練があるのだが、そのことを新人たちには伝えていなかったので、ここには元からのメンバーだけがいた。

「そうよね……。なんでだろう?」

浜ちゃんが答える。浜ちゃんと一緒にいる中ちゃんも首を傾げる。

「私たちとだったら、引け目なく踊れると思ったんじゃない?」

文子が、自虐的に言う。

「若いし、目立つしね」

「ボンちゃん、センター取られちゃうね」

浜ちゃんが茶化す。

「大丈夫よ。ボンちゃんは、不動のセンターだから」

涼子が持ち上げる。ボンちゃんは満足そうに微笑んだ。

「……ちょっと聞いたんだけどさ」

ボンちゃんが声のトーンを下げて言う。

「あの人たち、昔、あっちにいたみたいよ」

「えっ!」

一斉に声を上げる。

「ボンちゃん、何で知ってるの?」

「私、事情通だから」

「……そうなんだ」

「じゃあ、ますますなんでこっちに入ったのよ」

「やだ、葉月ちゃん。わからないの?」

「なに?」

「だからあ、いろいろあったんじゃない? よく知らないけど」

「なになに? 揉め事?」

美子が聞き耳を立てる仕草をする。

「えー。何があったんだろう? 気になるう」

睦実が身をくねらせる。

「フラはね、いろいろあるよね。女の世界だから」

ボンちゃんが、記憶を辿るように遠くを見つめる。
そして、珍しく真面目な顔をして、「その先は、聞いちゃ駄目」と言った。

ボンちゃんの言うように、フラダンスは女の世界だ。
本場に行けば、男性のフラも珍しくはない。
でも、ここ日本では、ほとんどが女、それも、高齢の女の独壇場だ。

人生の余暇を楽しむシニアの趣味には、フラダンス以外にもいろいろとある。
数多ある趣味の中で、敢えてフラダンスを選ぶ輩は、奇しくも共通点があるように思う。

まず、依存心が強い。
一人で動けない彼女たちは群れたいのだ。群れて踊るフラダンスは最適だ。
お揃いのものを身に着けるだけで、仲間であることを実感することができる。
自分たちとそれ以外を明確に区別できる。
その囲われた中で若い人のように趣味だけで繋がるのではなく、趣味の枠を超え、お茶したり、旅行したり、夫の愚痴を言い合ったりしたいのだ。同じものを同じように欲する仲間と。

そのためには、気の合う相手じゃないといけない。共感し合う必要があるからだ。
できるだけ自分とよく似た環境の、よく似た価値観の、同世代の仲間を求める。
そして、それ以外の者が入ることをそれとなく拒む。
自分たちの中では、若い頃にはできなかった尿漏れや夫との性生活の話までできるのに、自分たちの外の世界には極めて閉鎖的だ。

群れの外に追い出されたくない女たちは、たとえそれが自分の意に沿わないとしても、マルチのカモになるとか、夫を寝取られるとか、子どもや孫を馬鹿にされるとかでない限り、我慢する。誰かの言動に傷つけられることよりも、一人ぼっちになることのほうが怖いのだ。

次に、眩さへの憧れがある。
厚化粧をして香水を振りまき、年甲斐もなく肌を露出した衣装を身に纏い、スポットライトを浴びて舞台に立ち、踊る。
それは、普段の生活では決して得られない、恍惚の瞬間だ。
なにも、自己顕示欲が強く、派手な者だからやるのではない。むしろそのような者は、フラ愛好家の中でごく少数だ。大半は、息を潜めるように、堅実で地味な日常を過ごし、その瞬間だけ、羽化するように大胆になるのだ。

そして、その憧れの根源は、色気だ。
健康のためにフラダンスを踊るという人がいるけれど、それは違う。
確かに、軽く膝を曲げたまま踊るフラダンスは、足腰が丈夫でないとうまく踊れない。体幹も必要だ。
健康のためだけなら、散歩だって太極拳だってある。
でも、それらではなくフラに集う女の根底にあるものは、いくつになっても美しく、艶めかしくありたいと願う女心だ。マニキュアを塗って、付け睫毛を付けて、赤い口紅を塗る時、誰にも顧みられない日常から解き放たれ、誰かの熱い視線が纏わりつくことを願うのだ。

群れと色気。トラブルが起こるのは必然だ。

葉月、美子、睦実、弥生、そして新しく加入した3人のうちの初心者1人以外は全て、ここに来る前、かつてどこかの教室でフラダンスを習っていた経験者で、そこを捨てここへ来た人間だ。このクラスは良子にとって四つ目、文子に至っては五つ目で、いずれも市内のフラダンス教室を渡り歩いたフラジプシーだ。ボンちゃんたちもそれぞれ二、三か所の教室を経てきていた。
このクラスが月謝制になる前、ここは、葉月のように気楽にフラダンスに触れたい者だけでなく、良子のように女同士の面倒なトラブルに辟易しつつも、どうしてもフラダンスをやめることができない亡者が集うには最適な場所だった。
フラジプシーが最後にたどり着く場所。ここにはそんな趣があった。

良子は思っていた。
ここから去る時、それは本当にフラダンスを諦めなければならない時だ。
だから、良子は着たくもないドレスを着るし、文子はしぶしぶ舞台に上がるし、ボンちゃんは先生のしもべになる。中ちゃんや浜ちゃんは、それがどんなに不公平でも押しつけられた役目を果たそうとする。

【第十八話へ続く】

(作:大日向峰歩)


*編集後記*   by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟

大日向峰歩作『潮時』第十七話、いかがでしたでしょう。「フラジプシーたちが集まる最後の場所」とは、ちょっとおかしいような、それゆえ一層悲哀を感じるような表現ですね。何にせよ、「これが最後だろうな」と予感させるものはあるものです。それが良子の「潮時」につながるのか? 次回、『クプナの舞い』ラストです。どうぞお楽しみに。

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