【第二十話】
毎週水曜日の午前は、学科会議だった。
その週もいつものように、朝10時半から始まる予定だった。
メンバーは、現在育休中の中井以外に、学科長の松坂、専攻主任の蒲田、教務委員の泉、学生委員の山本、アドミッション委員の斉藤、コミュニティ委員の鈴木、そして田辺という教員7人と、事務助手の有田、益子の9人だ。
新年度が始まり、大学ではやるべき仕事が山積していた。
教員たちは授業や研究などの通常業務に加え、学生のオリエンテーション、任命されたばかりの各種委員会への出席、早くも次の学生確保のためのオープンキャンパスの準備に追われていた。
「いくらやっても仕事終わんないねえ」
定刻の10時半ギリギリに教授室にやって来た松坂が、珈琲を入れながら愚痴をこぼし、それに泉が応じた。
「ホントホント」
「今日の科会も時間かかるのかなあ……。できれば、サッと終わりたいんだけど。仕事、溜まってるんだよね」
「そうしましょう」
2人の会話に割って入ったのは、山本だった。
「でもほら、あの人いるから……」
「ああ……。あの人ねえ」
3人は顔を見合わせ、苦笑した。そこに鈴木が参戦する。
「破壊魔……」
4人はプッと吹き出した。
「何にも仕事しないんだから、会議でも大人しく傍聴だけしててくれたらいいのに……」
松坂が苦渋の表情を浮かべる。
「ホント仕事しないよね。委員は嫌だって言うし、せめて院の入試問題くらいならいけるかな、と思って作ってもらったら……」
「あーあれ、ひどかったわね」
山本が苦笑した。松坂が呟く。
「あれ見ちゃうと、専門性も疑っちゃうよね」
「嫌って言えば免れることができるなら、私も言いたいんですけど」
鈴木が口を尖らせた。
「国立の天下りだかなんだか知らないけど、ホント、人件費の無駄」
そう言うと山本は「あっ」と小さく呟き、俯いた。蒲田が肩を竦めながら頭に手を当てた。
「申し訳ない。天下ったの、ここにもおりました……」
慌てて山本がフォローする。
「いやいや。蒲田先生はいろいろ引き受けてくださってるから」
「そうそう。国立大から来た人がみんなそうだとは言ってないですよ。あの人が特別なんです」
鈴木は取り繕い、山本と顔を見合わせて頷いた。
「せめて来年は、専攻主任くらいやってもらいましょうよ。うち、大して院生いないし。それくらいならできるんじゃないですか?」
それまで静観していた、一番若手の斉藤が提案し、皆が頷く。
「8人の教員のうち、役ないのってあの人と中井先生だけ?」
鈴木がむくれた様子で尋ねた。山本が重ねる。
「中井先生の育休っていつ終わるんだっけ?」
「確か……再来年?」
「あと2年もあるのか……。じゃ来年も私たち全員出動する感じ?」
「そうなりますね」
斉藤が薄ら笑いを浮かべ、それが呼び水になった。口火を切ったのは鈴木だった。
「大体さあ、なんであの人だけがいつも楽できるの? あの人、うちに来てからなんか役付いたこと、ある?」
「……ないですね」
斉藤が淡々と答える。松坂が訊く。
「あの人来てから何年になる?」
「8年ですね。僕の1年後ですから」
「そっか。結構経ってるんだね……」
松坂が大袈裟に納得した。山本が感嘆の声を漏らす。
「斉藤先生ってまだ9年? もっと前からいるような気がしてた。馴染みすぎてるよね……」
「先生には1年目から、役、割り当てちゃってたからね。申し訳ない……」
松坂が頭を掻き、斉藤は遠い目をしながら鼻で笑い、「どうも」と言った。意に介さず、山本が続けた。
「蒲田先生は何年目?」
「私はこちらにお世話になるようになって3年目です」
「国立大の定年って、60ですよね?」
「ええ、そうです」
「じゃあ先生って今、63?」
「いや。68です」
「えっ、どうして?」
「前の大学には、65までいさせてもらったので」
「特任か何かで?」
「そうです。有難いことに特任教授として延長してもらいました」
「蒲田先生にも2年目から専攻主任やってもらって……」
松坂が再び頭を掻きながら、昭和の落語家のような仕草をした。
「蒲田先生とあの人は歳一緒くらいですよね? ホント対照的。蒲田先生みたいな、すごい研究して立派なのに謙虚な人がいる反面、大した業績もないのに、なんでも人に押し付ける傲慢な人もいるのよね……」
鈴木がしみじみと言う。
「田辺先生には、来年こそ仕事してもらいましょう。専攻主任だけなんて許せない。それさえまだ、やってもらってないけど」
山本が毅然と言った。だが、頷いたのは鈴木だけで、他は皆、懐疑的な様子だ。
「でもさあ、実際のところ、何ができます?」
そう言って松坂は皆の表情を窺った。泉が呟く。
「教務委員お願いしても、自分とこの学科のカリキュラムを全く分かってないし、説明しても理解できないし」
「そうそう」
「意識が昭和で止まってる人だから、学生委員なんて絶対無理だし」
そう言って山本が目を瞑る。
「問題起こされたら、困るの、うちらですからね」
「その点でいくと、コミュニティ委員も無理ですよね?」
斉藤が同意を求めた。
「無理ですね。間違いなく地域住民と揉め事起こしますよ」
鈴木が断言した。
「そうなると、うちみたいな吹けば飛ぶような大学、潰されかねないからねえ……」
松坂が肩を落とす。
「評判、下がりますよね、確実に」
「アドミッションはどう?」
一縷の望みをかけて松坂が斉藤に尋ねた。
「まあ、あの入試問題ですからね。そもそもうちが、どういう学生を求めているのか、わかってないですよね?」
「こんなに毎週、科会やって、情報共有してるのにね」
山本が苦笑した。鈴木が眉間に皺を寄せながら言った。
「あの人、聞いてないですもん」
「論文、読んでますよね?」
泉が薄ら笑いを浮かべながら言った。
「えっ! そうなの?」
松坂が驚く。
「はい。会議資料の下に隠して読んでます」
「学生じゃないんだから」
「それでお給料、貰ってるのよね……」
山本が深い溜息を吐いた。
「でも急にスイッチ入る時、ありません?」
斉藤が尋ね、鈴木が応じる。
「あるある」
「2時間かけて話し合って、やっと決まってこれで終わりっていうタイミングで、全部ぶち壊しに来ますよね」
「そう。破壊魔。あれホントやめてほしいよね。なんで今言うのって感じ。最近あの人が発言すると、ドキッとしちゃうもん、私」
「重ね上げた積み木、壊す感じでね」
「うちの子、今10歳だけど、1歳半くらいの時、よくやってた」
「赤ちゃんがやったら可愛いけどね」
「爺さんがやっても全然可愛くないよね」
山本と鈴木が顔を見合わせて、アハハと笑った。
「まあまあ。気持ちはわかりますが〝爺さん〟はダメですね」
松坂が笑いながら制した。
「でも真面目な話、中井先生が戻ってくる前に、もう一つ役職増えたりしたら、人足りないですからね。あの人にお願いするしかない。その時は……」
そう言って斉藤が松坂を見た。間髪入れず、松坂が答える。
「その時は専攻主任をやってもらいましょう」
「そうね。実際それくらいしかないよね、あの人ができそうなの」
山本が頷く。一同はここで漸く、本人の不在に思いを至らせる。
【第二十一話へ続く】
(作:大日向峰歩)
*編集後記* by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟
大日向峰歩作『潮時』第二十話、いかがでしたでしょう。そこはかとなく「ダメな感じ」を漂わせる大学教授・田辺が登場した前回のお話からは、「破壊魔」なんて強そうなあだ名をつけられているとは想像もしなかった私ですが、みなさまどう思われましたか。「何もしない・変わりたくない・煩わしいことは嫌だ」という澱みのような人物が隠し持つエネルギーが「潮時」と関係あるのかも? というか、同僚たちの画策で田辺に早々に危機がおとずれ、破壊エネルギーを発揮してしまうのか!? 次回もどうぞお楽しみに。
作者へのメッセージ、「ホテル暴風雨」へのご意見、ご感想などはこちらのメールフォームにてお待ちしております。