刺繍 第八話
大日向峰歩 作・小説『刺繍』第八話。足を骨折していることを覚えていない「私」の元を訪れる「わたし」こと娘のサチコ。そこで交わされる親子の会話。認知症の親とのやりとりは、いつも、同じ場所をぐるぐる回っているようで、その軌道は少しずつずれていくのです。
毛と山と鉄を愛するサイコロジストが、漏れ出た内言、綴ります
大日向峰歩 作・小説『刺繍』第八話。足を骨折していることを覚えていない「私」の元を訪れる「わたし」こと娘のサチコ。そこで交わされる親子の会話。認知症の親とのやりとりは、いつも、同じ場所をぐるぐる回っているようで、その軌道は少しずつずれていくのです。
大日向峰歩 作・エッセイ『心を紡いで言葉にすれば』第14回。親の介護における、息子と娘の現状認識の違いや格差について、家父長制と正常性バイアスから考察してみます。
大日向峰歩 作・小説『刺繍』第七話。認知症になった「私」のその後について、先へ先へと進む姉と立ち止まったまま動こうとしない弟。親の老いという面倒に直面した時、逃げようとするきょうだいは障壁だ。だが、結局逃げるくせに中途半端に手を出すきょうだいは害悪だ。母の介護をめぐる、姉と弟の攻防は果たして決着するのでしょうか。
大日向峰歩 作・小説『刺繍』第六話。現実を理解せず退院をせがむ「私」と面倒だからと後先考えず退院させる弟。ままならない介護は続きます。きょうだいが同じ方向を向いてさえいれば、まだましなのかもしれない。親の認知症を受け止め前に進もうとする姉と、その事実を拒否し、親の役を下ろそうとさせない弟の攻防は続きます。
大日向峰歩 作・小説『刺繍』第五話。たとえ骨折の理由や事実を覚えていなくても、痛みがあれば、その身に何かが起こっていると推測する。そう思う「わたし」の考えは認知症の「私」には通用しない。介護は、相手が自分と違うということを知ること、そして男きょうだいの的外れな関与を止めることで、初めてうまくいくのかもしれません。
大日向峰歩 作・エッセイ『心を紡いで言葉にすれば』第13回。間もなく迎える新年。お正月といえばの「だるま落とし」から連想される人間の欲求を階層性を説明し、料理におけるゴボウのように、縁の下の力持ち的な存在の尊さを考えます。
大日向峰歩 作・小説『刺繍』第四話。介護において、ただ親のためだけではなく、親と子の双方にとって最も良い方法を模索する子。自身を最優先しない子に抵抗する親。そしてノイズを出す親戚。こうしたことは、何が正解なのかわからないまま、無理に正解を出そうとする、初期の介護あるあるなのかもしれません。
大日向峰歩 作・小説『刺繍』第三話。認知症の物盗られ妄想に困惑する「わたし」。呆けてしまった「私」の生活の質と安全を守るためには? 幼少期の「わたし」と「私」の関係性が少しずつ明らかになる中、「わたし」は模索します。
大日向峰歩 作・小説『刺繍』第二話。「私」にとっての大切なもの ― 通帳紛失騒動。もはや日常と化したそのやりとりも、その対処の仕方も、遠距離介護ではままならないことばかり。「わたし」の困惑と「私」の苛立ちは、澱のように、お互いの心にたまっていきます。
大日向峰歩 作・小説『刺繍』第一話。濃い霧が立ち込める記憶の森を彷徨う「私」と、認知症の母の介護というトンネルの入り口に立つ「わたし」。このトンネルを潜り終えた時、何かが起こる!? 私とわたし。一人称の二人が交差する母娘の物語が始まります。