誰かのために 第二十六話

【第二十六話】

その日は、雲一つない晴天だった。

梅木浩子は、予定通り自家用車で、式典のある道の駅かしのみやへ向かった。
「松野遅刻化計画」に基づいて、通ったらダメな道は把握していたし、そもそもナビの指定通り、渋滞回避のルートを選択して進んだので、問題なく式典開始の一時間前には、敷地内の特設会場に着くことができた。

ちょうど同じ頃、山本親子も自家用車で到着し、アプリを開発した善子の息子、山本直と顔合わせも済ませた。山本直は凛とした清々しい少年で、いかにも正義と善子の子だと思った。

その後、梅木浩子は、運営スタッフと今日の流れについて軽く打ち合わせをし、町長をはじめ来賓席の確認をした。
松野による嫌がらせなど、万が一のことを考え、山本直は、松野からできるだけ遠くに着席させるよう配置し直した。既に到着した来賓たちに挨拶を済ませ、急な式典の開催を詫びたりもした。それが終わったら、アプリの動作確認にも念を入れた。

思いやりを受けた人が、お礼を贈りたい人におもいやりんごを贈る。
贈り手側のスマートフォン上のアプリでりんごの受け渡しを選び、画面をサッとなぞると、相手の端末の画面に、りんごが表れる仕掛けになっていた。

(よかった。ちゃんと送受信できるね。通信環境も問題なし)

あとは、二人の町長の登場を待つばかりとなっていた。

松野が遅れていることは狙い通り。
このまま遅刻してもらえれば、こちらの思うつぼだ。

だが、なぜか竹林寛も来ない。
主催者の竹林が遅刻しては困る。しかも連絡なしの遅刻はまずい。
さすがに、理由なく主催者不在で始めることはできず、彼の到着を待たなければならない。
その間に、松野が到着したら、この計画は泡と化す。

「梅木さん、どうしましょう。お二人がまだいらっしゃいません」

「来賓の松野町長はともかく、竹林町長も?」

「はい」

「ったく、主催者が遅刻ってどういうことよ。連絡は?」

苛立ちながらスタッフに尋ねるも、誰もわからないという。

「さっきから、町長や同行してる山本係長にも連絡してるんですが、電話に出ないんです」

「困ったわねえ……」

この町に住んでいるわけではない梅木浩子は、一度、町役場に行き、竹林たちと合流した後に来るよりも、直接自宅から来たほうが時間の短縮になるため、自分だけ自家用車で来たのだ。けれども、こんなことなら、ちょっと時間がかかっても、自分も一緒に乗ってくればよかったと後悔した。

「……ねえ、竹林さんの姿が見えないけど」

声をかけてきたのは、小田原泉だった。

「あ、先生。いらしてたの?」

「ええ。山本さんの車に乗せてきてもらったの」

「あら、そうだったの。……そうなのよ、まだ来てないの。主催者が遅れるなんて想定してなかったよね……」

「困ったね。連絡は?」

「それが全くなくて。こちらからも連絡してるんだけど、繋がらなくて……」

「誰かと来るの? まさか一人で、じゃないわよね」

「もちろん。今日は確か……、山本さんのご主人の運転で来るはず。公用車で」

「そう。で、その公用車は、ちゃんと渋滞回避のナビをしてくれるんでしょ?」

「もちろん。普通そうでしょ。渋滞してる箇所は赤く表示されたりするよね」

「それ、ちゃんと見てなかったりはしない、わよ、ね?」

「その可能性は……あるかも」

「まさかとは思うんだけど、竹林さんも一緒になって、渋滞の道を走ってたり、してないよね?」

「やだあ。それはないと信じたいけど……」

そんなやり取りをしていると、山本善子が、二人のところに慌てた様子で駆けてきた。

「大変!」

「どうした?」

「今、夫から電話があって。町長がお腹を壊して、途中のコンビニのトイレに寄ってるみたい」

「どこのコンビニ?」

「えっとね、この近くではあるんだけど。500メートルくらい手前の」

「そう……。で、どれくらいに着けそうなの?」

「ちょっとわかんない。できるだけ急ぐとは言ってるけど、ちょっと遅刻するかもって」

「わかった。事故になっても困るから、慌てないで用が済み次第、来るように伝えて」

「うん。そう言っとく」

梅木たちは、山本善子から聞いた話をスタッフや来賓者たちに伝え、できるだけ定刻にスタートできるよう、竹林が到着次第、開始する旨を伝えた。

「よかった。とりあえず、渋滞に巻き込まれていたわけじゃないね」

「うん、よかった。……でもさ、竹林さんって、ホント、こういうとこあるんだよね」

「なんか悪いモノ、食べたのかな? それとも、緊張?」

「まさかっ。他の人が書いた原稿をただ読むだけなのに、どこに緊張する要素があるの。……ああ、なんか、腹立ってきた」

「まあまあ。500メートルだったら、もうそこじゃない。大丈夫よ、松野よりは先に来るって」

「そうかな? だといいけど……」

「それよりさ、ここ、アルパカいるのね。駐車場で車から降りたらその辺歩いてるもんだから、びっくりしちゃった」

「そうなの。この施設で飼ってるらしいの。昼間はこうして散歩したりして、歩き回ってるみたい」

「へえ、そうなんだ。……で、あれが例の、週末限定で遊覧飛行するっていう、ヘリコプター?」

「……そう」

梅木浩子は、ニヤッと笑った。

「まだ準備中なのかな。静かね。……お客さん、いるの?」

「あそこに並んでるのがそうだと思うけど」

「ああ! あれね。そこそこ並んでる人、いるのね」

「割と人気なのよ。空気が澄んでる冬は特に」

「じゃあ、あそこに、デューク東郷的なのがいるかもしれないってことね。フッ」

小田原泉が、ニヤリと微笑んだ。梅木が頷く。

「……でもあれ、いつから動き始めるんだろう? 始動時に式典とかぶらないといいけど」

「どうして?」

「音がすごいのよ」

「なるほどね。あと、風もすごそうね。プロペラ回った時」

「そうなの。……もう! 竹林さん、遅いなあ。あと5分で始まっちゃうわ」

梅木浩子は腕時計を見た。
ちょうどその時、一台の車が猛スピードで駐車場に入ってくるのが見えた。

「あ、来たんじゃない。……どっちかしら?」

「あれは……、うちの車じゃないわ」

先に到着したのは、松野だった。
松野は、乱暴な運転で、駐車場の枠の中に斜めに車を停めたかと思うと、運転席から飛び降り、そのまま道の駅のトイレへと駆けこんだ。

「あらら。どうしたのかな?」

「ホントね。トイレには困らないルートを選んでたはずだけど。竹林さんに先越されたのかな?」

「まさか。……でもだとしたら、竹林さん、何してくれてんの、って感じだね」

「ホントよ」

助手席から、見るからに不機嫌そうな浅野美奈が降りてきた。
運転席に乗り換え、エンジンをかけ、松野が雑に停めた車を、枠線の中に収まるよう停め直した。そして、梅木と小田原に気づき、申し訳なさそうな目配せをした。

「あのルートを辿ればこんなに早く来るはずないんだけどな。なんか、ミスっちゃったのかな」

「そうかもね……」

梅木浩子と小田原泉は、さて、この先どうしようかと考えていた。
テロリスト、今ですよ、と念じてみるが、一向にその気配はない。
二人は周囲を見渡して、それらしい人がいないか探した。探したところで、そもそもテロリストがどんな格好をしているのかもわからないけれども。
ピストル? ナイフ? それとも爆弾? なんでもいいから、早く松野を襲撃して。言葉には決して出せないものの、そんな想いを共有していた。

やがて、ヘリコプターのエンジン音がし始めた。営業は11時からのようだ。こちらの式典も始まる時間だ。山本善子が、申し訳なさそうに戻ってきて、告げた。

「今、コンビニを出発したそうです」

「あ、そう。じゃ、あと数分で来るね」

「あれ、あそこにいるの、浅野さん? ……もしかして松野さん来てる?」

「うん。来ちゃったみたい……。今トイレに入ってる」

山本善子は、小さく息を呑み、小田原泉と梅木浩子を見つめた。
ちょうどそこに、一台の車が入ってきた。竹林だった。

「あ、竹林さん来た」

「松野は? まだトイレ?」

「お願い。どうかまだ入ってて」

三人の願いむなしく、松野がトイレからゆっくりと出てくるのが見えた。
松野は式典会場を見つけ、そちらのほうへ歩き出した。

「あ、来ちゃった」

三人の声が揃って出たその時、ヘリコプターのローターが高速で回転し始めた。
強風が吹き荒れ、遊びに来ていた子どもの手から風船が離れた。転がる風船。

次の瞬間、パンッと乾いた音があたりに響いた。
そこらにいた客たちが驚いて悲鳴を上げ、その場にしゃがみこんだり、建物の陰へ隠れたりした。梅木たち三人も驚いて、思わずしゃがみこみ、松野のほうを見て、その周囲にいるはずのテロリストの姿を探した。

松野は立っていた。
倒れていなかった。怪我もしていなさそうだ。
外したのか? 二発目は? 息が上がり、鼓動が早くなる。

駐車場を我が物顔で散歩していたアルパカが、その乾いた音に驚いて唾を吐いた。その唾が、松野一のイタリア製のスーツのジャケットに飛んだ。
松野は、「うわあ!」と叫びながら、アルパカを蹴った。
蹴られたアルパカが、松野に体当たりした。
松野は押し出され、ちょうどそこに通りかかった車が、松野をはねた。
「キャーッ」という声が聞こえ、倒れた松野の周囲に人が集まってきた。はねた車の運転手も降りてきて、心配そうに覗き込んでいた。誰かが、「救急車を呼んで!」と叫んだ。梅木たち三人は、今、目の前で起こったことに理解がついていけないまま、とりあえず、その人垣のほうへ駆け寄った。

松野が倒れている足元に血だまりができていた。
松野は自慢のスーツを赤黒く染め、倒れたまま動かなかった。

やがて、救急車のサイレンが、回転するヘリコプターの音の向こうから聞こえた。その音は次第に近づき、大きくなっていった。

【第二十七話へ続く】

(作:大日向峰歩)


*編集後記*   by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟

緊迫の式典当日。まさかの松野町長、早め到着。そのまままさかのトイレ、まさかのヘリコプター、まさかのアルパカ。ちょっと頭のネジが外れちゃってる「松野町長遅刻させ隊」の面々。思惑と思惑が重なってこじれたような、予想だにしない将棋倒しが起こったような。これが、日本のどこかにありそうな町、柏の宮市で起きた、世にも稀な珍事件だったのでした。みなさまどうお感じになったでしょうか。次回最終回、この珍事件のエピローグとなります。どうぞお楽しみに。

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