【前編】
わたくしは、サイです。
頭にツノがはえていて、ふつうは、アフリカのサバンナとか、東南アジアの森の中に住んでいる、生き物です。
仲間には、シロサイやらクロサイなどおりますが、わたくしは、ちょいと変わってまして、〝ハイサイ〟なのです。
灰色のサイなんて、別にふつうじゃないか、と思ったかたもいらっしゃるかもしれません。
ハイサイの〝ハイ〟は、灰色のハイではありません。
シロやらクロやらハイやら、それらは確かに色の名前ではありますが、みなさんもご承知のとおり、サイはみんな灰色をしています。
わたくしもそうです。
ですから、わたくしが変わっているのは、そういうわけではないのです。
ハイサイのハイとは、住んでいる場所のことです。
実は、サイの名前には、先ほどお話したような、〝サイ〟の前に色がついているものだけでなく、ジャワとかスマトラのように、住んでいる場所の名前がついているものがあるのです。ジャワという島に住んでいるサイはジャワサイ、スマトラという島に住んでいるサイはスマトラサイとよばれています。どっちも、みなさんが住んでおられるところから、ずうっと南の海に浮かぶ島です。
ハイサイのハイも、島でこそありませんが、それと同じ。つまり、わたくしは〝肺〟というところに住んでいる、〝ハイサイ〟という種類のサイなのです。
じゃあ、肺は、どこにあるかって?
お教えしましょう!
肺は、みなさんのすぐ近くにあります。
走ったりこわかったりすると、ドキンドキンとするところが、みなさんの体の中にあるでしょう?
そのちょっとだけ上のほうに、みなさんが深呼吸したりすると、プウってふくらむ場所がありませんか?
そこが、肺です。わたくしは、その中に住んでいる小さな小さなサイなのです。
ふつうのサイは、夜に草原や森の中を歩き回って、好みの草や葉を見つけて食べる生き物ですが、わたくしは、気の向くままに寝起きして、起きている間はずっと、肺のオーナー(すなわち、わたくしが住んでいる肺の持ち主のことですな)が吸い込む空気を食べて、暮らしております。
実は、空気にも、おいしいのと、まずいのがあるのです。
温かいのや冷たいの、いいにおいがするのとくさいの、乾いているのもあれば湿っているのもあります。
わたくしの好みは、乾いていて、ちょっとだけひんやりして、草や土や葉っぱのにおいがする空気です。または、家族団らんのあったかい空気や、せんべいや焼きぐりやスルメイカのような、香ばしいにおいがする空気も大好物です。
空気を食べる以外に、わたくしがすることは、特にありません。
くわしい仕組みはよくわかりませんが、わたくしがおいしい空気をたくさん食べてまんぷくになると、オーナーの元気が出るという仕組みになっているようです。
ですから、わたくしは、オーナーの元気が出るよう、ただ日がな一日、食べ続けておるのです。元々食べることは嫌いではないので、ずっと口をモグモグさせていても、そう苦にはなりません。少々あごはつかれますが。
今まではこうして誠に快適に暮らしてきたのですが、実は最近、困ったことが出てきました。
オーナーが吸いこむ空気の量が、少なくなってきたのです。ゲホゲホとせきこんで、ほんの一瞬ではありますが、全く空気が入ってこないことさえあります。
つまり、わたくしの食べるものがないのです。
そうなると、わたくしもハラがへりますし、オーナーの元気も出ません。これは一大事です。
わたくしは、携帯電話を使って妻に相談しました。
妻も、わたくしと同じハイサイです。
彼女はオーナーの奥さんの肺の中に住んでいます。夫婦なのに別々に暮らしているのは、われわれ〝サイ〟という生き物が、単独でなわばりを持って暮らす生き物だからです。
わたくしが事情を説明すると、妻は、「それは困ったわね。どうしたらよいのか、ちょっと調べておくわ」と言いました。そして、とりあえず、その間にわたくしにできることは、できるだけ少しずつ、細く長く空気を食べることだと教えてくれました。
そうして、ケチケチと空気を食べる倹約生活が三日ほど続いたある日、妻から連絡が入りました。
「空気量がへったのは、どうやら途中で何かがつかえていて、空気が入ってくる穴をふさいでしまっているみたいなの」
「そうか・・・」
「この間、わたし、奥さんのくしゃみに乗って、だんなさん、つまりあなたのオーナーの口の中に入ってみたのよ」
「奥さんのくしゃみは大きいからなあ。遠くまでよく飛ぶんだ」
「そうなの。しかも早いしね。びゅんとひとっ飛びだったわ」
「ほうほう。そりゃいいな」
「それでね、空気の量を増やすには、穴をふさいでいる〝何か〟を取り除くしかないみたいなの」
「何か、って?」
「それはよくわからなかったわ。固くて丸いものだったように思うけど……」
「固くて丸いか。何だろうな?」
「さあ。ともかく、あなたも一度見てみて」
「それは、どのあたりなんだ?」
「そうね。のどの奥にぶら下がっている電球みたいな玉があるでしょう。あのちょっと先だったわ。急な坂道を下ったところよ」
「ということは、こちらから行くと、その急坂を上がらなきゃいけないのか」
「そうね」
「うへえ。嫌だなあ」
お恥ずかしい話ですが、実はこの数年、わたくしは、お気に入りの座椅子の上から動いていません。動かなくても空気は届いて食べることができたので、なまけてしまったのです。
そして、ちっとも動かずに食べてばかりだったので太ってしまい、少し歩くだけでひざが痛いのです。
なるべくなら歩いたりせず、ずうっと座っていたいのです。ましてや、急坂を上がるなんて!想像するだけでも、おそろしいです。
「そんなこと言ったって、食べるものがなかったら困るでしょう」
「ひざも痛いしなあ・・・」
「歩かないからよ」
妻は鬼コーチのようです。
必死のていこうも、もはやこれまで。行くしかありません。
わたくしは、意を決し、そこらじゅうにあるいろんな道具を、とりあえずありったけ全て、ザックにつめて、出発しました。
【後編へ続く】
(作:大日向 峰歩)
*編集後記* by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟
これまでとだいぶ趣向の変わった可愛いお話「はいのサイさん」前編、いかがでしたでしょうか。肺の中にサイがいると想像すると、いい空気を吸わなくちゃという気になろうというもの。ですがこのサイさんの肺は危機を迎えているようで……次回は後編です、どうぞお楽しみに♪
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