【第五話】
ここはどこかしら。どうして私はこんなところにいるの?
……ああ、そうか。
庭の梅の枝が伸びてみっともなかったから、切ってたの。そしたら、滑って転んだ。その時、足をどうにかしちゃったのね。夜になって、どんどん腫れてきて、痛くて痛くて。あの子に電話した。痛くて歩けないから来てって。
そしたら、次の日、あの子じゃなくて福祉の人が来た。
そして、気がついたらここにいた。
それからずっとここに放り込まれて、もう気が狂いそう。早く家に帰りたい。どうして帰れないの? どうしてこんなところにいなきゃいけないの? 私、何ともないのに。これは何なの? 嫌よ。私、何もしてないのに、こんなところに放り込まれて、どんどん頭が……。
わからない。
どうしてこんな目に遭っているの? なぜこんなに足が赤黒く腫れているの?
トイレに行こうと立ち上がろうとすると、足が痛くて、力が入らないの。どうして? 私、歩けない。どうして? 私の足、どうかしちゃったの?
……梅? そうだ。枝を切ってて転けたんだった。そしてあの子に電話して……。
ん? ここには、どうやって来たのかしら。もう、どれくらい長い間、ここにいるのかしら。
……頭が。私、バカになっちゃったみたい……。どうしよう、どうしよう……。
パンデミックによる政府の外出制限を理由に、わたしは、ちょっとおかしくなっていた母を避けていた。
母が認知症であるという現実、その母の世話をしなければならないという事実に、娘としてどう向き合うのが正解なのか。どれだけ考えても答えはひとつなのに、そのたったひとつの答えを選択する勇気がなかった。
加えて、パンデミックを機に仕事の仕方も大きく変わり、変化する働き方に対応するのに必死だった。呆けた母に構ってなどいられなかった。
だから、時々電話をかけて気休めに安否確認だけして、子の責任は果たしている気になっていた。
ある夜遅く、母から電話があった。
昼間、庭で転んでから、足が痛くてトイレにも行けない。今すぐ来て、と言う。
これが一週間前ならまだ駆けつけられたかもしれないけれど、仕事上、明日から新体制というタイミングで、母の願望を叶えることはできなかった。
だから、すぐには行けない、と言った。母は心底落胆した声を出した。
翌朝早く、ケアマネージャーに連絡して、様子を見に行ってもらった。病院へ連れて行ってもらい、骨折がわかり、即入院となった。
だけどその後、入院中の母から何度も電話がかかってきた。
仕事中だから後にして、と言っても、全く聞く耳を持たない。「早く退院させてくれ、どこも悪くないのに」と、そればかり繰り返す。
足は痛くないかと尋ねると、「痛い」と言う。
腫れはどうだと訊くと、「象の足みたいになってる」と。「青紫色している」とも。
そうだよね、お母さんは骨折したの。だから、そんなになってるんだよ、と言っても、「へえ。そうなの? お母さんの足折れてるの?」と他人事のように言う。
そしてこのやり取りを、一回の通話の中で何十回も繰り返す。
電話で話したことを切電した瞬間に忘れるから、何度もかける。さっきも話したと伝えても「いつ? お母さん、初めてかけるけど」とむくれる。
母が、庭の梅の枝を剪定中に転んで、第五中足骨を折って翌日入院してから二週間が経った。
いわゆる、「下駄骨折」とかいうやつで、厄介なことに、レントゲンにもはっきりと映らないばかりか、ギプスで固定することもできない箇所が折れたのだそうだ。
画像に出ないし、触ってもわからないので、骨折しているか否かさえ断定できない。
ただ、骨折した時にありがちな、青紫色に浮腫んで、象の足のように巨大化しているから、おそらく折っているのだろうと医者は言う。そんなことは、素人でも見てわかる。専門家なのだからそこはちゃんと検査して診断しろよ、と思うけど、田舎で開業して、入院や手術の設備もなく、年寄り相手に商売している整形外科医なんて、そんなものなのだろう。
その医者曰く、自宅で安静にしていれば治るらしいが、一人暮らしで認知症の母が自宅に戻されても悪化するだけだと、わたしの代わりに同行してくれたケアマネージャーが強く主張してくれたので、ケアマネージャーが所属するセンターの関連病院に、入院する手続きを取ってもらえた。
大部屋が満床だというので、個室に入ることになった。
一日中、一人きりで過ごすとしても、三回の食事と数回のバイタルチェックの時には、看護師がやってきて何かしら話をするのだろうし、パンデミックによる活動制限で、絵手紙教室という、唯一の他者との積極的交流さえ断たれた認知症の母にとって、家で一人、日がな一日テレビを見て過ごすよりは、まだましだろうと思っていた。
けれども、感染症予防による面会、談話禁止になっている個人病院の個室は、思いのほか他者との交流はなく、感染拡大による雑務の増加でより忙しくなっている看護師も、そう気軽に患者と触れ合いをしていなかった。
結果として、庭でお隣さんと挨拶を交わしたり、連日届く、通信販売の大量の健康食品や誰も飲まないスープや珈琲類を受け取る際に交わす、宅配業者との僅かなやり取りだけの自宅同様、むしろそれ以上に、ほぼ他者との交流のない個室は、認知の症状を悪化させることになった。母はみるみる衰えていった。
当面の一番の問題は、呆けている母が、自分が骨折したことを忘れて歩こうとして、地面につけた足に激痛を感じて初めて自分が怪我していることに気づくということを、日に何度も繰り返すことだ。足の骨を折っているのだから、ただ寝ているだけでも十分に痛いと思うのだけど、痛み止めを処方されていたり、そもそも加齢によって感度が鈍ることもあるようで、感じにくいのかもしれない。
じっとしていれば癒着する骨は、一日何度もかけられる全身の力によって、離れ続ける。いつまでたっても治らない。
だから、いつごろまでに退院できるとさえ、告げてもらえない。それが、母は耐えられなかった。誰に言えば、どこに怒りをぶつければ、早く家に帰りたいという自分の意思を尊重してもらえるのか。この状況で母が外界と繋がれる唯一の糸は、携帯電話だけで、その糸に、母はしがみついた。
母のラブコールは、弟のところにもかかってきたみたいで、それに耐えられなくなった弟が、後先考えず母を退院させてしまったために、さらに厄介なことになった。
「お母さんがかわいそうだ。あんなに嫌がっているのに、入院させて。そもそも折れたかどうかもわからないのに」
「でも、象の足みたいに腫れてるんでしょ?」
「……そうだけど」
「色は?」
「……青紫色してる」
「だったら、やっぱり折れてるんじゃないの?」
「……まあ、そうかもしれないけど」
「退院させちゃって、お母さん一人で、その足でどうするのよ」
「じっとしてれば足は治るよ。日にち薬って言うじゃん。僕、様子見に来るし」
「自分で折れてるのを覚えてなくて、歩き回るのに? じっとなんてできると思う? いつ良くなるかわからないよ。アンタ、様子見に来るって言っても、仕事あるじゃん」
【第六話へ続く】
(作:大日向峰歩)
*編集後記* by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟
大日向峰歩作『刺繍』第五話、いかがでしたでしょう。
新年から、つい自分の記憶を疑うようなはじまりでした。今年もどうぞよろしくお願いいたします!
認知症の人の世界は遠い恍惚のようでいて、本人にとってはこんなに緊迫感のあるものなのでしょうか。記憶が短期間でリセットされるならばと想像するとそれも納得です。今回は母が入院生活でいよいよわけがわからなくなり足の骨折(多分)まで忘れること、その母を退院させてしまう弟という新しい展開。不穏な予感がしますが、さてどうなるのか、次回もどうぞお楽しみに。
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