【第十三話】
わたしたちは、施設に入るために一度帰宅して準備をした。
母は、「東京に行くのだから、変な格好はできないわよね」と言い、まるで旅行に行くときみたいにウキウキと服を選びだした。
「えーっと、持ち物は何がいるのかしら。着替えと下着。何枚くらい持っていけばいい? パジャマもいる? そうそう、お化粧品もいるわよね。あとそれから、白髪染めも」
母と一緒に服を選びながら、そういえば大人になってからは、よくこうして母のファッションショーを監修していたことを思い出した。母と二人で選んだ服を父に見せに行くとき、母は嬉しそうだった。そんなふうに、穏やかに暮らした日々も確かにあったのだ。当面、東京の施設で身に着ける服や身の回りの品をスーツケースに詰めながら、わたしは満足していた。心の奥で叫ぶ声など気にしなくてよい。間違ったことはしていない。母は楽しんでいる。だからその晩、あの母が目の前に現れたとき、目が眩み、足元が揺らいだのだ。
黄昏泣きという現象がある。
毎日黄昏の頃になると、赤ちゃんは止むことなく理由なく泣き続けるというものだ。
母も、黄昏の頃になると急に訳のわからないことを言い出すようになっていた。それは時に、何十年も前に感じた父への怒りだったり、理不尽な被害妄想だったり、訂正を拒絶する強固な思い込みだったりした。
それらは一度口にすると、赤ちゃんが泣き止まないように、無限にループされた。
あまりに非合理的で感情的で正当性がないので、適当に流そうとすると、母は眉間に皺をギュッと寄せて、その態度を咎め、一段と声を高めて叫ぶのだ。
そうに決まってる。なんでわからないんだ。お母さんを騙そうとするな。
語気荒く、ひたすら罵り続ける。その日の晩は、そこに次の言葉が加わった。
「どうしてそんなところに行かなきゃいけないんだ」
わたしはハッとした。これが母の本心だろうか。
「お母さん、行きたくないの? 一緒に準備したじゃん。納得してたんじゃないの?」
「準備なんてしてない。私はここにいる」
「そんなこと言っても、ここに一人で住めないじゃん」
「なんで? どうしてよ」
「だって。お母さん、病気になったから」
「何の病気になったって言うの!」
「一人じゃいろんなこと、できなくなってきたでしょう」
「そんなことない。誰がそんなこと言ってるの?」
「お医者さん」
「どこの医者? なにそれ、人を病人扱いして!」
「足折れてるのに、すぐ忘れて歩いちゃったりしてたじゃない。今でもまだ痛いんでしょ?」
「足なんて折れてない」
「でも痛いんでしょう?」
「いったい私を何処に連れて行こうとしてるの!」
「パンフレット見せたでしょう? お母さんもいいねって言ってたじゃない」
「知らない。そんなこと言ってない!」
ふうっと溜息を吐いた。こうなったら、もう話さないほうがいいとわかっている。でも、気が高ぶった母はもう止まらない。
「わけわからない施設に私を放り込むのね! そんなところに入るくらいなら、死んだほうがましだ! 死んでやる!」
心の奥で、ダンと大きな音がした。音のほうに耳を傾ける。誰かが叫ぶ。
(人でなし! お前なんかに、お母さんを預けておけない)
その人は、わたしを罵る。
(お母さんを捨てるつもりか!)
違う。
そんなつもりはないと応答するけれど、声は止む気配を見せない。ただ一緒に暮らせないだけ。いつでも呼ばれたら駆け付けられる距離にいるから。だから許して。声の主にわたしは縋る。
(一緒に暮らせない? それなら僕が代わりに暮らしてやる。だからお前はここから出ていけ!)
わたしは首を振る。やめて、タツヤ。来ないで。閂がガタガタと音を立てる。お願いだから、開けないで。
(娘のくせに。お母さんはお前と一緒にいたいのに)
「違う!」
わたしは叫ぶ。
「お母さんが一緒にいたいのは、あなたよ、タツヤ。わたしじゃない。いつだって、お母さんの心には、タツヤしかいなかったじゃない。お母さんを助けられるのは、タツヤの役割でしょう!」
(だったら、僕が出る! お前はここから立ち去れ!)
そうして、わたしは、わたしを殺した。
わたしが再び自分を取り戻したのは、いつだったか。
鏡に映る自分の姿がわたしなのだと気づいたとき、その髪は白く、顔には皺が無数に刻まれていた。
「ここはどこですか?」
わたしは、近くにいる人に尋ねる。
「あれ? サチコさん、わからなくなっちゃった? ここは、サチコさんのおうちよ。グループホーム」
「わたしは、今、いくつなんでしょう?」
「あはは。忘れちゃった? サチコさんは、八十歳。この間、お誕生日会やったでしょう? 覚えてない?」
「はちじゅう……。そんなに、なりましたか」
「でもサチコさんはお若いわよ。六十歳って言っても通用するかな。うふふ」
その人は、軽口をたたいたつもりだったのだろう。でも、わたしにとってわたしは、八十でも六十でもなかった。
(前にわたしに会ったのは、一体いくつの頃だったかしら?)
頭の中にかかる靄を手で払いのける。どれだけ振り払っても、先は見えない。ゆっくりと時間をかけてそれが消えるのを待つ。やがて、彼方から一筋の光が差してくる。それが顔であることを少しずつ理解する。でもそれがいったい誰なのか、わからない。首周りに違和感を覚えて初めて、首から何かがぶら下げられているのに気づいた。ふと手にしてみる。名札のようだった。片面には名前が書かれた紙が入っていた。おそらくそれは、私の名前。透明のケースを裏返してみる。そこに挟まっていた一片の写真の中にいた男が、先程彼方から近づいた光の正体であることに気づく。
「これ……」
わたしの呟きに、近くにいる人が答えた。
「あら。ご主人がいるのね。仲良しだったもんね、サチコさん」
「ああ、そうか」
やがてわたしは思い出す。
わたしがわたしを殺したあの日のことを。
タツヤになったわたしに、夫がどう関わってきたのかを。
わたしを心配した夫があの家に駆け付けたとき、わたしは意識を失っていた。
翌朝、母は冷静さを取り戻し、わたしが選んだ施設に、わたしが選んだ服を着て、自ら入所していった。
目覚めたときタツヤになっていたわたしは、母とあの家で一緒に暮らすのだと言い張った。
でもそんなわたしに母は、「あなたと一緒に暮らすのなんてごめんです」と笑った。そして、「あなたはサチコ。タツヤじゃない」と言った。呪文をかけられても、わたしにかかった魔法は解けなかった。
わたしは、タツヤのまま、タツヤとしてその後の人生を生きた。夫は、わたしがタツヤでも変わらずそばにいてくれた。サチコでもタツヤでもいい。僕には君が必要だし、そばにいたいんだ。そう夫は言った。
「大切な人なのに。わたし、忘れちゃって……」
「でも、今思い出したじゃない。それでいいの。もし忘れちゃっても、こうして思い出す瞬間があったらいいのよ」
わたしの座っている車椅子を押す人が言った。
わたしはまた、忘れてしまうのだろう。夫のことも。母のことも。
そうだ。母は? わたしが八十なのだとしたら、さすがにもうこの世にはいないだろう。母は幸せに死ねたのだろうか。
……そう。母は死んだ。そして数年後、母と同じように、わたしも呆けた。
体がピクンと揺れて、レース編みの膝掛けが床に落ちた。
係の人に拾ってもらったレースを触り、ふと、ぼこぼこした、分厚い刺繍糸の感覚を思い出す。わたしが幼稚園に通っていた頃、母がスモックに施した、あの刺繍。桃色の糸であしらわれたドレスを着たお姫様と、青い糸であしらわれた衣装を纏う王子様。ちょっと不格好で、歪なふたり。わたしは、あの刺繍が大好きだった。同級生たちの胸に付けられたワッペンやシンプルな刺繍とは違い、母のそれは、不器用なまでにぼてっと盛り上がって刺されていた。その厚みこそが母の愛だと思った。誇らしかった。あの刺繍の糸の太さを、厚みを、わたしは思い出す。そして、愛されていたのだと、自分を癒す。どんなに記憶がなくなっても、あの刺繍の手触りは忘れてなるものか。ああ、どうか、わたしがわたしでいられる最後の瞬間に残っていますように。
目を閉じて、あの刺繍のように、桃色のお姫様と青色の王子様が踊る姿を思い浮かべる。それはまるでわたしとタツヤのようだった。
【完】
(作:大日向峰歩)
*編集後記* by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟
大日向峰歩作『刺繍』第十三話(最終話)、いかがでしたでしょう。
後半の急展開に驚いた方も多かったことと思います。私も初読の時にはええっ!? と椅子から転げ落ちそうになりつつ読み進め、自分を殺した主人公サチコが「最後まで覚えていたいもの」には胸をつかれました。何よりも、母の愛が欲しかった。それは少し距離を感じていた母を本当は心から愛していた、という救いなのでしょうか?
人生の最後に、私がすべてと取り替えてでも欲しい、欲しかった、と感じるものは何だろうと考えずにはいられません。みなさまはどうお感じになったでしょうか。
来週はエッセイ『心を紡いで言葉にすれば』をお送りします。どうぞお楽しみに!
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