潮時 第十四話

オアフ島のバニヤンツリー

【第十四話】

良子がこのクラスに入った頃、ここはフラダンス教室にしては極めて珍しく、月に二回開かれる、ワンレッスン制の緩いクラスだった。

レッスンの終わりに、銘々がレッスン料として先生に直接千円を支払うだけで、月謝の集金も、スタジオ代の負担も、教室の手配や後片付けもしなくてよかった。

生徒はただ、レッスン時間にスタジオに来て、終わったら帰るだけ。
都度払いなので、来れる日には来るし、来れない日には来ない。
休んでも誰も何も言わないし、休会費もいらない。
顔見知りはできても、仲良しにはなれない。一切の柵のないクラス。

中には、先生の踊りに心酔する者もいた。
彼女たちは、熱心に毎回通ってきたけれど、それも暫くすると、先生が主催する他のクラスに移っていった。

始終メンバーが入れ替わるので、チームとしての一体感など永遠に作り出されない。
良く言えば自由な、そうでなければバラバラな集団。

来たり来なかったりする気ままな生徒に、どれだけ熱心に振りを教えても、次のレッスンでは「覚えてません」とか「私、初めてです」と言う者が必ずいて、一向に曲が前に進まない。

その結果、ここでどれだけ習っても、いつまで経っても、人前で発表するなんて夢のまた夢というようなレベルのままで、舞台で踊りたいとか、うまくなりたいという人は、先生のファン同様に抜けていくので、葉月や弥生のように気楽にフラダンスを習いたい者や、文子のように方々の教室を渡り歩き、後はのんびり踊りたいだけの者だけが集っていた。

ところがある日、ボンちゃん一味がやってきて事態は変わる。
突然やって来た彼女たちは、寝耳に水の〝教室改革〟をしたのだ。

「こんなんじゃダメよ、ちゃんと月謝制にしなきゃ。うまくなれないよ。せっかく覚えても、来たり来なかったりじゃ忘れちゃうじゃない。先に進まない。月に二回も少ないよね。せめて三回にしなきゃ。今月から月謝制にして、ちゃんと〝教室〟にしましょうよ」

新参者のボンちゃんの提案に、良子は内心喜んだ。
正直、このクラスに物足りなさを感じていた頃だった。

黒船襲来よろしく、いきなりやって来たボンちゃんの改革には、当然、抵抗を示す者もいた。
でも、その多くが、「それなら」と辞めていった。
そもそも、フラダンスの入り口に立っただけの彼女たちには、さほど執着もなかった。
気軽にフラの真似事ができると思ったのに、そうじゃないならもういいわ、そんなところだろう。
そして残ったのは、教室を渡り歩いた果てに、終の棲家としてここに居続けることを望んだ良子と文子だけだった。
彼女たちは、煩わしさのないこの場所を好む半面、ずっと足踏みしているようなレッスンが物足りなかった。だから、来たばかりのボンちゃんの提案を易々と受け入れたのだ。

その日、彼女たちよりも前からこのクラスにいた、葉月と弥生は休んでいた。
葉月は、次のレッスンで改革があったことを知り、戸惑い、その時そこに居た良子と文子に事の次第を尋ねた。尋ねられた良子たちは、自分たちの思惑もあり、正直に話すことはなかった。

「気がついたらそんなことになってたのよ」

良子たちのそんな噓に、葉月は納得しなかった。
だけど、従わざるを得なかった。
嫌ならここから去るだけ。あの時も結局、多数派がねじ伏せたのだ。

でもそれは、欠席裁判を受けた葉月たちのしこりになった。

レッスンの質は上げたいけれど、発表会に出るのは避けたい文子は、一度は改革に賛同したものの、出たがりのボンちゃんや良子を前に、複雑な思いを抱いていた。
ボンちゃんに連れられてきたけれど、まさか片棒を担がされることになるとは思っていなかった中ちゃんと浜ちゃんは、その罪悪感から葉月たちに同情的だった。

ぎくしゃくとした気まずさは、一体感から乖離していく。
改革とは名ばかりの、多数決のロンダリング。

そうした教室乗っ取りへの遺恨は、容易に同調しない心を葉月に植え付けた。
加えて後に、この改革が、純粋な生徒の意志ではなく、収入と教室を安定させたい先生の思惑による差し金だったことも判明し、葉月たちの不信はますます強くなった。

根本的に指導者を信頼していない生徒がいる教室ほど、統制の効かないものはない。
欺かれたというその経験は、強い抵抗となって教室運営を難しくする。一度失ったその信頼は、容易に取り戻せはしない。
そして、自分よりずっと年上の生徒に「この教室ではこれがルールです。嫌なら辞めていってもらっても結構です」と言えるほど、先生は強くもなかったし、収入を減らす勇気もなかったのだ。

「えーっ。欲しい人が買うって……。そんな自由でいいの? 揃いじゃなくて」

ボンちゃんが先生に尋ねた。

「いいえ。着けるなら全員着ける。着けないなら全員着けない」

「そうですよね」

「また総意か……」

葉月が溜息を吐く。それを見て、ボンちゃんが苦笑しながら、「私はどっちでもいいよ。なくてもいいし」と言った。

「ボンちゃんは見せるの、気にならないもんね」

「まあね。自信、あるから」

涼子が茶化し、ボンちゃんが茶目っ気たっぷりに笑う。
一瞬緩んだ空気を再びピリつかせたのは、やはり葉月だった。

「そうですか。では、申し訳ないけど、私は要らないです」

声には出さないけれど、良子は「そうだよね」と心で呟いた。

「私は胸がないから、あのドレスだとパットをたくさん入れなきゃいけなくて、それがちょっと面倒なんだよね。ボレロ着たら、胸が隠れるから楽かも。……うーん。でも私、暑がりだし。そもそもボレロって、ちょっとおばさん臭くない? やっぱり要らないかなあ」

どっちに転んでもいけるような、至極曖昧なことを口にするのは、美子だ。
他のメンバーは、各々身支度を整えながら静観の一手だ。このメンバーにとって、このような場での無言は、積極的な賛成ではないことを示す。積極的に着けたいと思わないが、みんなが着るというなら、着てもいいですよ、という日和見の姿勢。あるいは、ドレスを新着するくらいなら、ボレロのほうが安く済んでいいかも、という消去法の賛成。
とはいえ、声に出さなければ多数決にすらならない。

「皆さんいろいろと意見がありますね。ただ、着るなら全員です。皆さんで決めてください。もし買うなら、なるべく早く手配しないと、次の発表会に間に合わなくなりますよ。買うと決まったら、カタログを持ってきますので、教えてください」

先生はそう言ってそそくさと荷物をまとめ、「お疲れ様です」と出て行った。残されたメンバーは、結局その後、誰もそれについて触れずに、各々帰路についた。

【第十五話へ続く】

(作:大日向峰歩)


*編集後記*   by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟

大日向峰歩作『潮時』第十四話、いかがでしたでしょう。ゆるくのんびりやりたい人には参加自由の都度レッスン。本格的にやりたい人には月謝制の高頻度なレッスン。どっちもあって選べるっていいじゃない? と思いきや、そんな簡単でラクな理由でレッスンが多様になるわけではないのですねえ……思いがけず「困難と軋轢こそ多様性の母?」みたいなことを考えてしまいました。さてかなり根の深かった「ドレス問題」どうなる!? 次回もどうぞお楽しみに。

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