
【第二十四話】
「そうかなあ。あずさはあずさだもん。私じゃないもん。子どもとはいえ他人だよ。他人の気持ちを心底理解できるなんて独り善がりに思うことは、ただの傲慢だと思うけどな」
「……もういい。あなたにはわからない」
「ほら。そうやって逃げる。お父さんとお母さんは、同じ穴の狢。最後はいつもそうやって目を背けるの。お母さんはいつも〝こうなったのはお父さんのせいだ〟って言うけど、本当にそう? お父さんにとっての愛情は私たちにお金を与えることだったかもしれないけど、お母さんのは? ごはん作って食べさせること? 汚れたものを洗濯すること? 部屋をきれいに掃除すること?」
「あなたたちを大事に思うことよっ」
「大事に思う、ねえ……。それって、危ないことを遠ざけて、知らせたくないことを排除して、繭のようにぐるぐる巻きに囲いを作ること? 違うよね。確かに、命を育んだ親として、命を軽視する行動は止めなきゃいけない。でも危ないことって、危ない目に遭って初めて知るんじゃないの? 知らなくていいことを知って、何が大切かに気づくの。人は、自分を守るために何が必要なのかを、そうやって学んでいくんだと思う。お母さんは、お兄ちゃんからその機会をずっと奪ってきたんだよ」
「じゃあ、お母さんが悪かったって言うの?」
「誰が悪いとかそんなこと、言ってないよ。誰かにそれを擦り付けるのは止めなよって言ってるの。意味ないよ。確かにお父さんには、誰かを〝ありがとう〟と思う気持ちはないから、一緒にいるお母さんも辛かったと思う。でもさ、もうそれは仕方ないじゃん。嫌なら別れればよかったんだよ」
「強士を一人にできないじゃない。お父さんは何もしないもの」
「じゃあ、お母さんは何をしたの?」
「何って……。ごはん作って……」
「ごはん作って?」
「……ずっと守ってきたのよ」
「だから何から? それ必要だったの? って言ってるの」
「もう、アンタはっ」
「何?」
「アンタはそうやって勝手なことだけ言ってればいいけど、お母さんたちは、何とかしなきゃいけないのよ。口では何とでも言えるの。こんなふうに急に辞めてきちゃって、どうしたらいいのよ?」
「でも、お父さんだって、どのみちあと2年で仕事無くなるじゃん。70でしょ?私学の定年って。それ以上、いられるの?」
「だから、お仕事頑張ってもらって、働いてもらわなきゃいけなかったの。この先、まだまだお金だっているじゃない。私たちに何かあったら、強士が困るでしょう。あの子に介護なんてできるわけないし。それなのに……」
「そうなったら、いっそ、やってもらったらいいじゃん」
「何言ってるの、アンタは。自分が楽したいからって」
「違うよ。別に自分が介護したくないとか、お兄ちゃんに押しつけるとかじゃないよ。そういう、介護みたいなきっかけがあったら、お兄ちゃんだって、外の世界に入りやすいじゃん。だって一人で介護するなんて、できないんだから。プロに助けてもらうしかない。そのために、ケアマネさんと話したり、ヘルパーさんと挨拶したりするよね。そういう〝どうしようもないこと〟が起きれば、否が応でもリアルな他者の世界に飛び込んでいくじゃない。まあ、お兄ちゃんがそれを望まずに、何でも一人で抱え込んだとしたら、それはそれで災難だけど」
弥生は険しく表情を尖らせたまま押し黙っていた。
「ともかく、お父さんがクビになったって言うのなら、ますます、ちゃんとお兄ちゃんと話しなよ。逃げてないで。お父さんのせいにしないで。お父さんと二人で、ちゃんとお兄ちゃんに向き合いなよ。お兄ちゃんはいつもそこに居るじゃん」
張り詰めた二人の間に割って入ったのは、孫のあずさだった。
「ママー、フラダンスの時間だよ」
「えっ、もうそんな時間? じゃ出かける準備しよう。ところであんた、今までどこ行ってたの?」
あずさの髪を結い直しながら、優子が尋ねた。
「ツヨポンの部屋」
「えっ? お兄ちゃんの部屋?」
「お兄ちゃんじゃない。ツヨポン」
「何してたの?」
「ゲーム。ツヨポン、強いんだよ」
「へえ……」
「強士、どんなだった?」
弥生があずさに尋ねた。
「どんなって?」
「元気そうだった?」
「うーん。前と同じだよ。お髭はちょっと伸びてたかも」
弥生の顔が少し緩んだ。
「あずさは、時々お兄ちゃんの部屋に入ってるの?」
「そうだよ。お兄ちゃんじゃなくて、ツヨポンだけど」
「お母さん、知ってたの?」
優子が驚いた顔をして、弥生を見る。
「ばあばも知ってるよね。だって最初は、ばあばに頼まれたんだもん。ツヨポンの様子見てきて、って」
「……そうなの?」
弥生が、じっと見つめる優子に横目で応じながら頷いた。
「そうだったんだ……。ツヨポン、優しい?」
「うん優しいよ。いつもチョコくれる。それよりさあ、フラダンス」
あずさが、眉間に皺を寄せて催促した。
「あっ、そうだったね。ごめんごめん。お母さんも行く?」
「行かない」
「一度あずさのレッスン見てみたいって言ってたじゃん」
「今日じゃなくていいわよ」
「ばあば、来るの?」
「そうなの。ばあばもフラダンス、習ってるからね。あずさのレッスン見たいんだって」
「えーっ! ばあばもフラダンス、習ってるの?」
「習ってるよ」
「じゃあ踊って」
「ばあば、一人じゃ踊れないよ」
「なんで?」
「みんなと一緒じゃないと」
「ふうん。今、どんなの、やってるの?」
「最近ちょっとお休みしてたから、忘れちゃった」
「お休みしてたの? なんで?」
「おうちでやることがいろいろあったから」
「ふうん」
「ばあばはね、おサボリしてたの」
「違うわよ。ホントに忙しかったの。でも今度発表会に出るから、そろそろちゃんと行かなきゃ」
「ばあば、発表会に出るの? あずさも出るよ」
「あら、そうなの?」
「うん。今度、久代線のラストランがあるでしょ。その時に、駅のところで躍るんだって」
「あら。ばあばたちも、そこで踊るわよ」
「えっ、ホント? じゃあ、一緒に踊れるね」
「そうだね」
「じゃあ、ばあば、もうおサボりしちゃだめだよ。一緒に踊るんだから」
弥生は微笑み、頷いた。
「よし。じゃあ、ばあばをビックリさせるために、あずさもいっぱい練習しなきゃね。そろそろ行こう」
「うん。急げ急げ!」
「じゃまた来るね。お父さんとお兄ちゃんによろしく」
二人が玄関を出てすぐエンジンの音がして、優子の運転する車が遠ざかっていくのがわかった。
【第二十五話へ続く】
(作:大日向峰歩)
*編集後記* by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟
大日向峰歩作『潮時』第話、いかがでしたでしょう。家族の姿は一つの方向から見ただけではわかりようがない、と納得してしまいますね。今後が心配でならない母・弥生と冷静な娘・優子。そして孫のあずさと「ツヨポン」の意外な関係。ところで「弥生」って、あの『クプナの舞い』エピソードに登場した弥生さんだったの? と今気づかれた方も多いのでは。今までのエピソードが絡み合ってきそうです。次回もどうぞお楽しみに。
『クプナの舞い』の1回目のお話はこちらから
弥生さん初登場の『クプナの舞い』3はこちら
『潮時』を最初から読みたい方はこちらからどうぞ
久代線ラストランという鉄道の話題も重要ファクターのようですが、随時更新中・大日向峰歩さんの鉄子ぶり炸裂のnoteも見てくださいね!
https://note.com/bubu_mimosa530
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