
【第四十二話】
久代線ラストランのイベントの打ち合わせの最中、突然顕わになったクッシーこと、久代線のゆるきゃらと童謡『ゆりかごの歌』とのつながりに、田中は怪訝な面持ちで、その発言者である上司である平林を見つめていた。
その視線に気圧されそうになりながら、平林が答える。
「だって、あれ作曲した人、竹代出身だろ?」
「えっ、そうなの?」
依然として、眉に唾を付ける素振りの田中に対し、平林は言った。
「田中ちゃんは、何も知らないなあ。歌碑みたいなの、あるじゃん」
その言葉を受けて田中の代わりに反応したのは、田中とは同じ部署で、先輩後輩の間柄にいる山田だった。
「えっ!もしかして、だからクッシーは揺りかごを背負ってるんスか?」
「なんだよ、山田。お前も知らなかったの?」
「まあ……」
苦笑いを浮かべる山田を尻目に、田中が呟いた。
「……ホントなんだ。クッシーの揺りかごって、歌から来てるんだ」
「そうだよ。地元の偉人だからさ。あやかったわけ。でもまあ、その他にも揺りかごの理由はあるけどね」
「他にも?」
「電車って乗ってるとさ、なんか眠くならない?」
「わかります! あれ、なんでかなあ?」
「たぶんさ、ちょうど揺りかごみたいな感じなんだと思うんだよ。揺れ具合が。特に久代線はさ」
「ちょっと揺れすぎますけどね……」
「そうそう。久代線は揺れすぎて、全然寝れないっスよ」
山田が水を差す。平林は「まあな」と言いながら続けた。
「でも、揺りかごってんだから、揺れたほうがいいんだよ。きっと赤ん坊にとっても」
納得したのかどうか、よくわからない表情を浮かべながら、山田は首を上下に揺らした。
「それでクッシーは揺りかご背負ってるんですね。私、ずっと疑問だったんです。鉄道会社のゆるキャラなのに何で揺りかご?って」
「そうか、知らなかったのか……。よかったな。最後までに気づけて」
「ホントですよ。危なかった。知らないまま終わるところでした」
「終わる、かあ……。本当になくなっちゃうんですねえ……」
口数の少ない村井が、ボソッと呟いた。
「やだ。湿っぽくなっちゃう」
「田中ちゃんたちは、若いからな。俺とか村井さんは見てきたからね。この10年、いろいろあったからな。やっぱりジーンとしちゃうんだよね」
「存続運動のことですか? 私は、そういうのはないです。ていうか、むしろ腹が立ちます。乗らないくせに残せって……。鉄道会社は慈善事業じゃないんです。しかも〝せめて軌道だけでも〟って。何ですか、それ。作ったところで結局車しか乗らないくせに。乗らないから本数少なくなって、少ないからさらに乗らなくなって。乗らないから高くなって、高いから乗らない。悪循環なんです。なんでわからないのって思います」
「田中ちゃんは、鉄道会社の使命って何だと思う?」
「地域の人や物を運ぶこと、じゃないんですか?」
「うん。昔はね、そうだったと思うんだよね。今ほど道路が整備されてなかったし。特に信州は山が多くて、道が険しかったらね。雪も積もるし。鉄道は、いろんなものを運んだんだよね」
「でも今は、車が全部、それをしてくれますもんね」
「そうなんだよ。ジーンとしてるってのは、別に切ないっていう思いじゃないんだ。むしろホッとしてるって言うのかな。ダラダラと赤字を垂れ流し続けて、やめたい、やめたいと思ってても、その使命があったから、なかなかやめられなかった。でも、もはや目的がなくなったんだから、やめればいいのさ。久代線は、10年前に川東線がなくなったとき、本当は一緒になくなるべきだったんだよ。もうその時には、目的がなくなってたわけだからね。誰も乗らないし、何も運ばない。でも、なくならなかった。この10年は、潮目を待っていたんだと思う」
「潮目?」
「そう。やめたくてもやめられないものは、潮目が変わるまで待てばいい。やめるタイミングは、ある日突然やって来るものなんだ。久代線は、今が潮時だ」
その場にいる皆が、平林の言葉にじっと耳を傾けた。
涙がこぼれそうになるのをぐっとこらえて、降籏が言った。
「じゃ、それでいきましょうか。キッチンカーは田中さん、地元アイドルの交渉が山田さん、山ガールの交渉が平林さん、移動ステージの手配は中村くん。その他、僕と村井さんは、手分けして、地元のカラオケ同好会とフラダンスのサークル、それから保育園幼稚園に当たって、出演交渉する。何かあったら情報共有して、みんなで助け合ってやりましょう。じゃ、異論なければこれで解散」
立ち止まってしまうと廃線という言葉の意味や重みを考えてしまうから、降籏たちは、立ち止まらずにその日を迎えた。
廃線になる前になすべきだったことへの後悔は、もう消すことはできないけれど、廃線した後に〝もっとああすればよかった〟と思うことからは、逃れられるかもしれない、と願って。
9月30日。
久代線の最終日、一台の車が、国道403号を北上した後、更科市三笠山付近で道なりに大きくカーブし、東へと進んでいた。
運転していたのは、月野満男。
彼の心は揺れていた。行くべきか、行かざるべきか。
80になる翁の徹夜明けの冴えない頭は、慣れない山道の運転だけで処理能力を遥かに超えていた。カーナビの指示通り、ただ車を走らせた。
やがて車は、千曲川を渡る大きな橋に差し掛かった。
渡った先に、真新しくて立派な建物があることに、満男は気づいた。
(やっぱり、行くべきだ……)
そこが何処かも確認せぬまま、咄嗟に右ウィンカーを出し、手前にある駐車場に車を停めた。車を降り、その建物へと入る。
汗とゴムが混じったような臭いが鼻をつき、歓声が聞こえる。思っていた場所とは違うなと思いつつ、満男は、その辺にいた中学生くらいの子どもに尋ねた。
「ここは……運動をするところ、なのかな?」
「へ? アリーナです」
見るからに不審な様子の満男に、子どもは警戒しながら答えた。
「アリーナっていうのは、体育館みたいなものかね?」
「そうです。いわゆる体育館。……おじいさん、何か用?」
「いや。警察とか、そういうのかと思って……」
「警察? だったら、前の道を駅の方に少し行って、左に曲がった先にありますよ」
「そうか。間違っちゃって入っちゃったみたいだ。ありがとう」
あのまま夜が明けないことを願っていたけれど、無情にも朝が来て、漸く満男は警察に行こうと思った。だけど、姨捨の山道を、一人きりで、エンジンブレーキを効かせながら、どうにか下りきった時、満男はもう何も考えられなくなっていた。
ただ目の前の現実から逃げたかった。
だから警察へ行く代わりに、満男はそこをカーナビの目的地に設定した。
久代駅。そこは、満男の思い出の場所だった。
【第四十三話へ続く】
(作:大日向峰歩)
*編集後記* by ホテル暴風雨オーナー雨こと 斎藤雨梟
大日向峰歩作『潮時』第四十二話、いかがでしたでしょう。
さよならの足音が間近に迫った久代線の駅へ、ドライビング・ミスター・フルムーンこと満男がやってきました。細かいお話忘れちゃった、途中から読み始めてわからない、という方は↓こちら↓の満男さんエピソード第一話めからどうぞ。
たった一人で車を走らせているというのは異常事態ですよね!? 鶴子さんはどうしたというのでしょうか。次回もどうぞお楽しみに。
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