「ライオンキング超実写版」プライドランドとオアシス。二つの対照的な平和。

わたしたちは現実と「お話」を区別している。お話を楽しむときは「現実離れ」した設定や展開もよろこんで受け入れる。誰もが知っているように、それが楽しむコツだ。
従来のアニメのビジュアルはキャラも背景も現実とはかけ離れたもので、それゆえ現実離れしたお話をするには適していた。実写よりも。
ところが超実写版はCGでありながら実写と見まごうリアルさである。明らかにそのリアルさのせいで、アニメならば気にならなかったかもしれない「現実離れ」した部分が気になってしまった。

「ライオンキング」には二つの平和が出てくる。プライドランドとオアシスだ。

プライドランドは法による平和である。
主人公シンバの父、ライオンのムファサは動物たちの王だ。ライオンだけの王ではなく、草食動物たちにも崇拝されている。喰われる立場の者にまで崇拝されるのは「喰いすぎない」からだ。
自然界のバランスを尊重する「サークル・オブ・ライフ」という思想のもとに、彼は肉食動物たちに「必要以上に狩る」ことを禁じている。
しかし「喰いすぎない」からといって草食動物がライオンを崇拝するだろうか? 必要な分だけとはいえ自分や家族や仲間を殺して喰うのに。
「強い者が弱い者を食べ、強い者が死んだら土となり植物が生まれる」とムファサは幼いシンバに命の循環を教えるが、これを平等と呼ぶのは無理がある。

制作陣は、現実的に考えるとどうしても頭をもたげてくるこうした疑問を「見せたくないところは見せない」というやり方で切り抜けている。ライオンたちが草食動物を殺すシーンは一つもない。セリフには出ても、絵には描かない。
アニメではそれで納得させられたのかもしれないが、超実写版の動物たちは本当にリアルなので、「お話だから」という補正が効きにくい。ムファサの力によって成立している法治国家プライドランドは本当に楽園なのか。わたしは違和感を持ってしまった。

さてもう一つの平和、オアシスだ。
叔父スカーの謀略で父ムファサを殺され、プライドランドを追放されたシンバは砂漠で行き倒れていたところをミーアキャットのティモンとイボイノシシのプンバァに助けられる。そして一緒に暮らし始めた場所がオアシスである。
ここにはプライドランドとはまったく違う種類の平和がある。ここに王はいない。一元的な法もない。ただみんながハクナマタタ(大丈夫、なんとかなる)の精神でそれぞれ気楽にやっている。
ティモンとプンバァは、シンバが信じていたこととまるで違うことを言う。「ルールなんていらない」「先のことなんか考えなくていい」「命は輪じゃなくて線。終りまで行ったら死ぬだけ」
刹那主義、享楽的、利己主義と見える彼らだが、その結果誰かに迷惑をかけているわけではない。オアシスは平和で、二人を含めオアシスに住む者たちはみな楽しそうだ。
それには理由があって、一つはオアシスには大型肉食獣がいないからだ(シンバ以外)。もう一つは食料が豊かであることで、この場合の食料とは植物と虫を指す。ライオンのシンバも虫を食べて大きく成長する。

物語の終盤、シンバは二つの世界のどちらを選ぶかで悩み結局プライドランドに帰ることを選ぶが、このときオアシスの生き方がはっきり否定されるわけではない。そこがこの作品の一番良い点だと思う。
母や仲間たちのいる世界、父が大切にしていた世界の危機だから赴いたのであり、ハクナマタタが間違っていた、偽物の幸せだったとは描かれていない(解釈はいろいろあるだろうが)。

「ライオンキング」の物語はその設定上必然的に「生き物は他の生き物を食べていいのか」というテーマを持っている。
プライドランドとオアシスは、二つの回答だ。

1、ルールを決めて生きるのに必要なだけ殺す(プライドランド)
2、殺してはいけないものと殺してもいいものを分ける(オアシス)

ルールを実効あるものとするためには違反者を処罰する圧倒的な力が必要になる。プライドランドではムファサであり、現実世界では国家権力だろうか。
線引きもまた難しい。オアシスでは虫はOKとなっていたが、なぜ哺乳類と虫で違うのか。
現実世界の線引きも同様にあやしい。家畜はいいが野生動物はダメ。牛や豚はいいが犬や猫はダメ。植物はいいが動物はダメ。いずれも特段の正統性はない。主観的な、恣意的なものだ。

生き物は生き物を食って生きている。ここから逃れるのは難しい。
人類のエースともいうべき賢い人たち、偉大な宗教家や思想家や哲学者が総動員で考えてきても人類はあいかわらず、上の二つ以外の解決法を知らないのだ。

簡単には答えを出せない難しい問題がある。それに簡単な答えを出そうとしてはいけない。子どもが見るものならなおさらだ。
割り切れないもの割り切るのは嘘で、ごまかしだ。
もしオアシスの生き方を否定していたらこの映画は「ごまかし」になっていただろう。

シンバは仲間の助けも得て、力で敵を倒し、プライドランドの平和を回復する。
数年後、シンバに次代の王たる息子が生まれると国中の動物たちが祝福に集まる。
「プライドランド万歳」である。
しかしシンバの胸にも観客の胸にも、オアシスの、ハクナマタタの楽しさは残っているはずだ。
正しい理屈と正しい力による平和だけを称揚するのは危うい。正しさなんて相対的なものだからだ。
堂々たるプライドランドが理想のすべてではいけない。それは割り切れないものを割り切ることだ。
他にもきっと幸せはある。あるはず。

――どこか世界の片隅にでも、正しくなくても、強くなくても、いい加減でテキトーでもそこそこ楽しく生きていける場所があったらいいな――

そう考えると、オアシスの生活を素晴らしく楽しく描き、シンバが去るときもハクナマタタを否定しなかったバランス感覚こそ「ライオンキング」という作品の核心だ。少なくともわたしにとっては。

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