子供の姿へと変わったレイを、エリはまじまじと見つめながら内蔵した記憶チップに記録された、生前の思い出を検索します──膨大な記録の中に兄が子供の頃の画像がいくつか見つかりました。アンドロイド・エリの目の前にいる兄の姿は、ちょうど60年前の兄の姿と同じです。
60年前。時は西暦2020年。あの頃、レイは10才でエリは6才。記録によれば、二人は同じ小学校に通っていました。
レイは父から譲り受けた人工知能の内部に広がっていた仮想空間に侵入して、その世界を破壊しようとしていたコンピューター・ウイルスと戦い、そしてその世界を救ったのです。
この事はレイとエリ、そしてレイの同級生マヤしか知りません。その三年後、 2023年、女手ひとつでレイとエリを育てていた母は病で死に、2033年、エリも19才で白血病で死に、レイは天涯孤独となりました。この頃、すでにレイは新規新鋭の AI 技師として活動を始めています。
そう、誰よりも繊細で優しく、かつて一つの世界を救った筈のレイがいつの頃からか、人類を脅かす脅威となってしまったのです。
「……兄さん、電磁パルス攻撃への対策ってどういう事? 」
レイは無邪気な顔で、しかしその目つきだけは鋭く、 エリに返事をします。
「フフ、僕はこの世界を形つくっているコンピューターを島の地下深く、電磁シールドで覆った空間に移したのさ。勿論、そこには電磁パルスの攻撃は及ばない。つまり、そんな程度の攻撃ではこの世界は破壊できない、って事さ」
「降伏する気はないわけね? 兄さんは、そんなに人類が憎いの? 」
レイは手を後ろで組み、ファウヌス三世の執務室を歩き回りながら言葉を選んでいるようでした。
「いや、違う。これは『計算』の結果なんだよ。僕はありとあらゆるデータを検証し、計算した所、人類が緩やかに地上から居なくなる事が最善だと、答えを導き出したのさ。僕だって人間だからね。直接手を下したりなんかしないさ。それどころか、僕は人類の為に快適な揺りかごさえ用意した。人類はその揺りかごの中で衣食住を保証され、いつまでも子供でいる事ができた──しかし決して僕の意思で人類を子供にした訳じゃない。人類が自ら、いつまでも子供のままでいたい、と願ったのでその望みを叶えてあげたに過ぎない。……そう。人類はすでに僕が完成させた『楽園』に住んでいる。その楽園は、地上のありとあらゆる動植物を犠牲にして成り立っているんだ。ところが、人類は多大な犠牲の上で作られた楽園に住まいながら、それでも不幸を訴える。つまりね、人間は何があろうと本質的に不幸なのさ。だから、僕がその不幸に終止符を打ってあげるんだ。人類は揺りかごに揺られながら、その数を減らしていき、やがては地上から消え去る運命なんだよ……」
「兄さん、私は AI なのよ! 私だって計算はできるわ! 兄さんの『計算』は何か間違えている! 」
とエリが険しい顔で叫んだので、レイは一瞬戸惑いましたが、すぐに笑顔を浮かべながら言いました。
「……さすがは、僕が作ったアンドロイドだ。君に本当に心と魂があるんじゃないかと、いつも錯覚してしまうよ。いいかい、エリ。君は人間じゃないから、人の絶望が理解できないんだ。自然を征服して地上の王へと上り詰め、信じられない程の犠牲を払い、その上に築いた楽園に住んでいるにも関わらず、相変わらず人々は憎しみあい、争っている。そして、持てるものすら分かち合おうともしない。人類は、この地上の失敗作と言っていいだろう──だから僕が一から創り直すんだ、新しい後継者をね」
アンドロイドのエリは、悲しそうな顔を浮かべながらレイの話を聞いていました。やがて静かに口を開きます。
「兄さん、確かに私には心も魂もないわ。でも私には生きていた頃の『記憶』がある──その『記憶』によれば、人生には絶望もあるけど、同じぐらい喜びもあるわ。しかも、その人生はたったの一度きり。とても、かけがえのない一生よ。たとえ短くとも。19で死んだ私が言うんだから間違いないわ。兄さんは生きている人間なのに、どうしてそれが分からないのかしら? お母さんと私は貧しさの中、病で倒れ死んだ。そう、たしかに、誰も手を差し伸べてくれなかったわ。だから人間を恨んでいるのね……兄さん、あなたを気の毒に思うわ。孤独だったのね。兄さんの言ってるのは『計算』なんかじゃない。ただ、人が信じられなくなった、というだけよ…… 」
無表情に上目遣いでエリの語る言葉を聞いていたレイは、ため息を一つつき言います。
「エリ、僕は君に生き返って欲しいんだ。ただのデータの集積としてではなく。その為に僕はクローン技術でキメラ族を創り出した。キメラ族は体内に君の体の部分を宿している──キメラ族からそれらを取り出して、君の記憶をそこへ移し、生ある肉体へと復活させたいんだ。本当の体、心と魂は欲しくはないのかい? 」
「嫌よ。お断りするわ。生き返ったとしても、もはやそれは私ではないわ──たとえ全く同じ記憶を宿していたとしてもね。失ったもの、命、それに時間も二度と戻りはしない。だからこそ、人生はかけがえがないのよ。死んだ私は、せめてそれを大切にしたいの」
会話が途切れ、レイとエリは互いを見つめあっていましたが、急に二人が居た王執務室がユラユラと揺れ出し、二度三度と明るくなったり暗くなったりして、しばらくして何事もなかったようにして元に戻りました。
レイは辺りを見渡しニヤリと笑みを浮かべます。
「フン、どうやら国連軍が成層圏でEMPミサイルを炸裂させたみたいだね。ご覧のように、ここの世界には殆ど影響がないようだ。ただ、今の規模であれば地上全てのコンピューター回線や電気網は焼き切れただろうね。そんな事をやっても、核融合炉の暴走までは止められないだろうに…… 」
「どうして私は無事なの? 私の本体は地表にあるのよ」
「君の本体アンドロイドは恐らく地表で、電磁パルスの直撃を受けただろうね。しかしその前に、僕が君の全データをこの世界へと転送させたんだ。エリ、君はこの世界で永遠に生きられるんだよ」
――――つづく
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