城壁の町を出てから3日目の朝、僕とフレムを乗せた馬車は海が見渡せる小高い丘の上にたどり着いた。丘の下に、小さな港町があって、大きく帆を広げた船がとまっているのが見える。
この目で海や、大きな船を見るのは生まれて初めての事だった。
村の礼拝堂で海の絵を見た事はあるけど、ホンモノの海を見るのは初めてだ。
馬車が港町へと近づくとともに、何か独特の匂いが漂ってきた。
これが海の匂いなんだろうか?
なんだか、干した魚のような匂いがする。
とどろき山と城壁の町の事しか知らない僕には、何もかもが新鮮で、驚きの連続だった。
海があんなに青いとは、思いもしなかった。
どれだけ青いかといえば、空の青さよりも、ずっとずっと青い。
僕はなんだか、少しワクワクとしてきた。
海の方から、ザーザーという何か、心地の良い音が聞こえてくる。
僕がその音に耳をすましていると、フレムが言った。
「エレン、あれは海の『波』の音じゃよ」
初めてフレムの方から話しかけてきたので、僕は驚いてフレムを見た。
今なら聞けると思って、僕は思い切って聞いてみた。
「・・・・フレム、なくした右腕はどうしたんだい?」
フレムはギロッと僕を睨んで押し黙っていたけど、しばらくして口を開いた。
「ワシはな、昔、『いにしえの言葉』を学んでおったのじゃよ。・・・一般には『魔術』とも呼ばれておるがね」
僕はびっくりして、フレムの顔を見た。
「魔術ですって?フレムは魔術師だったんですか!・・・でも、本当に魔術なんてこの世にあるんですか?」
「魔術を使える者は、もうあまり残っておらぬ。昔は、もっと多く居たのじゃがね。
・・・・もしかしたら、ワシが最後の魔術師かもしれん」
僕は呆気に取られてフレムの話を聞いていた。とても信じられなかったけど、ウソを言っているようには聞こえなかった。フレムは話を続けた。
「・・・・その昔、人々は『いにしえの言葉』を使い、神々と語り、人々の望む奇跡を起こし、そして自然界に住まう動物たちと対話をしておったのじゃ」
「僕、電気ウナギとなら話した事があります!電気ウナギに『海に行け』と言われたんです!」
「ふむ、その電気ウナギは、まだ人間界と自然界が繋がっておった時の生き残りじゃな。
もうそのような動物は、魔術師と同様、あまり残っておらぬ。わずかに、太古の奇獣が人里離れた山奥や海底に潜んでおるだけなのじゃ。
・・・・・魔術師がこの世を治めていた頃、空を舞う馬やドラゴンなど、多くの奇獣がいたのじゃが、『いにしえの言葉』が忘れ去られてからというものの、この世はすっかりと荒廃してしまった。
自然や神々との戦いはなくなり、人々は安定した生活を手にいれた。
しかし、人間界と自然界は完全に切り離され、ドラゴンや空を舞う馬は姿を消し、そのかわりに人語を理解できぬ動物だけが地上に残り、神々や自然と対話ができなくなった人々は何の希望もなく、這いつくばるようにして、荒れはてた大地に棲まうようになったのじゃ・・・・」
フレムがとうとうと話す間、馬車は坂道を下り港町に入ったけど、僕はもう周りの景色が目に入らなくなっていた。
「エレン、おまえが持っているナイフの柄に『いにしえの言葉』が刻まれておるのは知っておったかね?」
僕はセラミックナイフを取り出して、柄の部分を見てみたけど、ただの模様にしか見えなかった。
「・・・・この模様みたいなのが、『いにしえの言葉』なんですか?」
「そうじゃ。おまえの父は、恐らくそれを『いにしえの言葉』だと知っていたのじゃが、
それをお前には教えたくはなかったのだろうな。・・・・お前の父がお前を学校にやらなかったのは、その言葉が読める事を恐れての事だろう」
フレムがそのように言うのを聞き、思わず僕はフレムに叫んだ。
「どうして?!」
「エレン、『いにしえの言葉』を操るのは、とても危険を伴うのじゃよ。
『いにしえの言葉』を使い奇跡を起こす事はできるのじゃが、そのかわりに、何かが必ず消えてしまうのじゃ・・・・・。何が消えるのかは魔術師にすら、よく分からぬ。大切にしている物が消える事もあれば、時によっては人が消えてしまう事もある。
若い頃、ワシはある高名な魔術師の元で『いにしえの言葉』を学んでおった。
そして色々と魔術を起こす事ができるようになったワシは、師匠の忠告も聞く事なく、古い書物に記してあった、いにしえの言葉を使って、神々との交信を試みたが、愚かな事じゃった。
ワシは神々との交信に失敗しただけでなく、その時、様々な物が消えてしまった。
ワシの住む村が丸ごと消え、ついでに、ワシの右腕も消えてしまったのじゃ・・・・」
――――続く
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