電気売りのエレン 第38話 by クレーン謙

人工知能、人工生命、いにしえの言葉、コンピューター・ウイルス・・・・。
レイ君の家を出てから、それらの言葉が私の頭の中でグルグルと渦を巻いていた。

・・・・どう見てもスマホにしか見えない、あの機械はレイ君のお父さんが作った人工知能。
その中には別の世界があって、私たちと同じような人間が住んでいる!
とてもじゃないけど、信じられるような話ではなかった。
でもレイ君は、そんな手の込んだ嘘がつける子じゃない。
少し頭の中を整理する必要がある。

家に着いて玄関の扉を開けると、すぐにママが声をかけてきた。
「おかえり、マヤ。レイ君どうだった?あの子、最近は友達もいないし、ずーっと家に引きこ
もっているでしょう?」

私は靴を脱いで台所へ向かい、冷蔵庫を開けて麦茶を取り出し、コップに注いだ。
あまりにも驚きすぎて、喉がカラカラになっている・・・・。
私は麦茶を飲み干し、ママに返事をした。

「レイ君、思ったよりも元気そうよ。家にずーっといるのはね、今、色々と勉強をしているか
らだって」
私はなるべく、バレないような嘘をついた。ママは私の答えを信じていない風だった。でも、
こうとしか言いようがなかった。
私は嘘をつくのが、あまり上手じゃない。

パパの帰りは今日は遅いので、ママと二人きりで晩御飯を食べた。
食べ終えると、私は自分の部屋に戻り、倒れこむようにベッドにうつ伏せになった。
疲れていたんだろう、私はすぐに深い眠りに落ちた。

◇       ◇       ◇       ◇

深い眠りの中で、私は夢を見ていた。
・・・・・私は薄暗い部屋の中にいた。
ドアも窓もない、その薄暗い部屋の隅に、古ぼけた大きな本棚があった。
近づいて見てみると、本の背表紙には見た事もない文字が書いてある。
なんだろう?と思いながら、本に手を伸ばそうとすると、ふいに後ろから声がした。

「それは『いにしえの書』よ」

声がした方を振り返ると、あの少女が立っていた。
少女は、少しニコリと微笑みながら、私に言った。
「あなた、マヤね。人工知能の外に住んでいる人間ね」

私は、その子が私の名前を告げた事に驚いた。
「あなたは、マーヤね?さっき、レイ君の家であなたの顔を見たわ。どうして、私の名前を
知ってるの?」

マーヤは、何かの絵が描かれた羊皮紙を取り出し、私に見せた。
「わたしは、夢で色んな事が見れるの。あなたにも、わたしと同じ『力』があるみたいね。
・・・・絵を描くというのはね、目に見えぬ事が見れて、それが描けるという事なのよ」

その羊皮紙には、私の顔が描かれていた。
驚く私の顔を見つめながら、マーヤは話を続けた。
「わたしの住む世界は完全に遮断されている筈なのに、わたし達は夢の中で繋がっているみた
いね。わたしの名前『マーヤ』はサンスクリット語で『まぼろし』という意味。
『この世は神が見ている夢、まぼろしに過ぎない』、そういう意味なの。
わたしの居る世界は、もしかしたら誰かの見ている夢なのかもね。それは、この世の『創造
主』であるレイの父の夢かもしれないし、もしかしたら、あなたが見ている夢かもしれな
い・・・」

マーヤは本棚から、一冊本を抜き取り、ゆっくりとページをめくり始めた。
「この本には、『人間ではない者が、人間になる』お話が書いてあるの。・・・レイの父が、
この世界を創った時に入れたプログラムね。人工生命が本当の命と心を持つのに、必要だった
んだわ」

私は、恐る恐ると本を覗き込みならマーヤに聞いた。
「・・・・どんなお話なの、それは?」

「『ピノキオ』という童話よ」

「『ピノキオ』なら知ってるわ!木の人形が、人間になりたくて、良い行いをたくさんして、
最後に妖精に人間にしてもらうんでしょう?」

マーヤは本を閉じ、それを本棚に戻しながら言った。
「このお話を『いにしえの書』で読んでから、わたしはずっと妖精を探していたの。わたしは
人間になりたかったから・・・・」

「レイ君が、あなたはコンピューター・ウイルスだって言ってたわね」
「そうよ。父のヴァイーラと同じで、わたしはコンピューター・ウイルス。姿かたちは人間だ
けど、心も魂もないの。感情もないわ。喜びもなければ、悲しみもない。わたしには何もない
の。
わたしは、人工知能に宿るただの電気信号に過ぎないんだわ・・・・・」
そう言いながら、マーヤは大粒の涙を流し始めた。

「でも、あなたは悲しいから、涙を流しているんじゃないの?」
「・・・・違うわ。これは悲しいフリをしているだけ。涙を流せば、悲しくなると思ったけ
ど、やっぱり何も感じないの。あえて言うなら『虚しい』かしら?
わたしは人間のように、食べ物も食べるわ。でも、美味しいとも不味いとも思わない。
肌で風を感じる事もできる。でも、気持ち良いとは思わないし、寒さも暑さも感じない。
景色だってこの目で見れるわ。でも、何を見ても綺麗とも思えないし、醜いとも思えない。
苦しさもない代りに、楽しさも何もない・・・・・」

話を聞いているうちに、なんだかマーヤの事が気の毒に思えてきた。
「それで、あなたは人間になりたいのね・・・」

「一度でいいから、本物の人間になって、花とか景色を見て『綺麗』と思いたいの。
食べ物を食べて、心から『美味しい』と思いたい。他の子供のように遊びまわって『楽しい』
と感じたい。・・・・・でも妖精は、この世からいなくなっていたのよ。わたしは色々と調べ
て『一角獣』の事を知った。一角獣を手に入れれば『創造主』と話ができる、という事も。
わたしは思った。『そうだわ、この世を創った創造主なら、わたしを人間にしてくれるわ!』
と。
でも・・・・・」

マーヤはさらに、悲しそうな顔をしながら言った。
「・・・もう、その創造主は居ないのよ。レイの父なら、きっとわたしを本物の人間にしてく
れたのに。その望みも、断たれてしまった」

マーヤの話は私の心を激しく揺さぶり、やり場のない悲しみが襲ってきた。
当のマーヤは、その悲しささえ、感じる事ができないなんて!
私たちのいる薄暗い部屋が、さらに暗くなり、それとともにマーヤの声が遠のき始めた。
遠のく声でマーヤは言った。

「・・・でもね、わたしは、たったひとつだけ、人間になれる方法を見つけたのよ!その方法
はね・・・」

◇       ◇       ◇       ◇

私は目をさました。
朝だった。
私の頬は、涙でびしょ濡れになっていた。
あまりにもマーヤの事が気の毒だった。
私は涙をぬぐいながら、最後にマーヤが言っていた事を思い返していた。

マーヤは、どうやって人間になるつもりなんだろう・・・・?

――――続く

☆     ☆     ☆     ☆

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