――今日も客が一人も来なかったな……、と針灸師がぼやきながら、そろそろ店じまいをしようと考えていると、診療所のドアがギーッ、と音をたてて開き、随分と見かけない客が現れた。
その客は元々が青ざめた顔をしているのだが、今日は更に顔色が優れないようだった。
「…… おやおやお客さん、随分と久しぶりじゃな。どうしたね? 随分顔色が優れぬようじゃが? 」
「ええ、最近なんだか調子が良くないんですよ。…… 体がとてもだるいし、見てください、あちこち吹き出物が出て、体中が痒いんです」
とその客は、診療室に入りながら、具合の悪さを訴えた。
「フ~ム。そうか、そうか。…… それでは視てみようかの。そこに横になんなされ」
と針灸師は診療台を指差しながら言った。
客が診療台の上で横になると、針灸師は客の体に手をあて目をつぶった。
「――先生、いったい何をやっているんですか? 」
「しっ、静かに。今ツボを視ているのじゃ…… 」
客は具合が悪そうにしながら、針灸師の顔を見た。
「ツボ、ですか?」
「さよう、前にも説明したと思うのじゃが、体には無数のツボがあるのじゃよ。そして、ツボを視る事により病の原因が分かるのじゃ…… 」
「何か、分かりましたか? 」
「――ウム、分かった」
「何か悪い病気ですか? 先生」
少し不安になりながら、客が針灸師に聞いた。
「――厳密には『病』とまでは言えぬのだが、まあ、一種のアレルギーのようじゃな」
「しかし先生、今まで私は、アレルギーなんか無かったのですが……」
「そうじゃな。確かに、君は百年前までは健康そのものじゃった。しかしここ数十年、君の体の免疫力は低下しておるようだ」
「そりゃ先生、歳って事ですか……? 」
「いやいや、何を言うかね。君はまだ若い。まだあと数十億年は生きるはずじゃよ」
「……私は、いったい何にアレルギー反応を起こしているんでしょう?」
客の体から手を離し、後ろを振り向き、針灸師は窓の外を見た。
「――君の体の表面には、無数の微生物が生息しておるのだが、それは知っておるかね? 」
「はあ、それは知っていますが……。しかし、以前に先生はそれらの生き物は何も害が無いって、言ってましたよね?」
「まあ、確かにそうなのじゃが、どうも、そのうちの一種にアレルギーを起こしているようじゃ」
「……どの種ですか?」
針灸師は、客の方へと顔を向け、答えた。
「人類という生き物じゃ」
「ああ、ああ、人類ですか! このところ、急激に増え始めた生き物ですよね? ……やっぱりそうでしたか! 」
「やっぱり、というと?」
「そうじゃないか、と思っていました! 人類が現れてから、体の表面がズキズキと痛んだり、元々湿気があったはずの所が乾燥したりするんですよ! 」
「東洋医学ではそのズキズキは『戦争』や『公害』と言い、乾燥した肌は『砂漠化』と言うのじゃ……」
「『戦争』? 『公害』? 『砂漠化』? ――なんだか聞き慣れない言葉ですね」
「『戦争』とは同じ種同士の殺し合いの事を言うのじゃ。そして『公害』と『砂漠化』とは、他の種を殺す事を言う……」
「なんですって?! そりゃ先生、ばい菌って事でしょう? なんとかしてくださいよ~。今だったら抗生物質とかで、ばい菌を殺す事もできるんでしょう?」
「……う~ん、他の医者ならばそうするのじゃろうが、ワシはその種を殺す事には反対じゃ」
「どうしてですか? 先生は訳が分かりません!! もういいです!! 他の医者に相談します!! 」
そう言いながら客は、診療室から出ようとした。
「まあまあいいから、最後まで聞きなさい」
「また東洋医学の講釈ですか? もう聞き飽きましたよ、それは……」
「信じられぬかもしれんが、その種は君を守っておるのじゃよ」
「守っている? そんな馬鹿な! 見て下さい私の顔を! 私は百年前まではもっと美しかった! 人類が私を病気にしているのです!! 」
「そうかもな。だが、君の美しさを発見したのは人類なのじゃよ……」
「……なんですって?」
「思い出してみたまえ。……君は数万年前までは、自分が何者だったか、知らなかった筈じゃ。それだけではないぞ。君は二千年前には、自分が丸いという事も知らなかったはずじゃ。それを発見したのは人類なのじゃ」
「………………! 」
「……確かに人類は毒素を出し、君を汚染しておるじゃろう。しかしそれは君という存在を知り尽くし、そしていずれは君という存在を守る為に活動しておるからなのじゃ」
「……なんだか今の状態を考えると、とてもそうは思えませんけどね~」
「人類もまだそれを自覚しておらんからな。 しかし、いずれはそうなるであろう……」
「先生は、ばい菌の味方だったのですか?! 」
「いいかげん、そのばい菌という概念を改めなされ。……人類は君の敵ではない。君という存在を誰よりも知っている、唯一の種なのじゃ」
「なんだか信じられないですけどね……」
「まあ、無理もなかろう。しかし思い出しなされ。君に『地球』という名を付けたのは人類なのじゃ。
――それまで、おぬしには名前もなかった。……まだ時間はかかるだろうが、いずれはそのアレルギー症状は解消されるであろう。今回は治療をせずに、なんだかカウンセリングみたいになってしまったが、あと100年たって、まだ具合が悪ければ、また来なさるとよい。……治療を施すのは、それからでも遅くはない」
針灸師は客を見送り、見送った後、そういえば今の客から治療費をもらうのを忘れていた事に気がついた。
……まあ、次に来た時にでも、請求をすればいいか、と思いながら針灸師は店じまいを始めた。
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