ーー羊村は『村』と呼ぶには、もはや大きすぎました。
昔から農業が盛んで、手先が器用な羊村の住人は時計などの工芸品の輸出で潤い、豊かさの象徴として豪奢な邸宅や館や城が建てられました。
大きな塀に囲まれた羊村は、そこを訪れた者ならば、誰しも『村』とは思わないでしょう。
依然として羊村は地方にある、片田舎として低く見られてはいるものの、大きな工業都市として栄えていたのです。
羊村の住人も自分たちの長い歴史には誇りがあったので、どれだけ『村』が町や国のような装いになっても『羊村』という名前を変える事はありませんでした。
(羊村の村長は実際には、この町、あるいは国の首相のような権力者なのです)
羊村が次第に発展を続けると共に、羊村の富に惹かれて、アワシ族やコリデール族などの移民羊が多く流れ込んで住み着きます。
ーー羊村中心地の近くに、そのような移民羊の多くが住まう一角があります。
そこは太陽神を崇める寺院が数多く集中していて、今はもうないのですが、かつて『太陽の塔』がそびえ立ち参拝者を見下ろしていました。
やがて羊村が経済的に発展をすると共に、信仰心も薄れていき、寺院に参拝するのは老羊だけとなりました。
今の若羊は、強大な権力を誇るメリナ王国に憧れを抱いていて、いつかはメリナ王国に移住する事を夢見ながらお金を稼いでいるのです。
寺院はさびれ、参拝者も減り通称『太陽通り』と呼ばれていた通りの周辺には低所得者や移民羊が住むようになりました。
ーーどこの国に行ってもそうなのですが、大きな町には必ずこのような一角があります。
今宵も太陽通りには、安いラム酒をあおり日々を過ごす羊たちがいました。
ある羊はラム酒の瓶を片手に持ち、時間が止まったように一点を見つめています。
自分の過去を、後悔しながらひたすら振り返っているのかもしれません。
また、別のアワシ族の羊は、もはやこの村では成功を収めるのは無理だと悟り、大量のラム酒を胃に流しメーメーと泣いていました。
年老いた雌羊のアリエスはこのような一角に住んでいました。
アリエスは由緒正しい太陽寺院の、大巫女なのですが、それはもはや名目ばかりでアリエスを敬う羊は、伝統を重んじる老羊にしか残っていません。
しかし、アリエスは大巫女としての最大の義務だけは果たし続けていました。
ーーそれは、塀の外にいる聖なるオオカミに供肉を出す事です。
羊は誰も肉なんか食べませんから、その仕事は太陽寺院の大巫女が代々執り行ってきました。
羊一倍、信仰心が厚かったはずのアリエスでしたが、羊達からの布施も減りすっかりと貧しくなり、この所、自身の信心にも迷いが出てきていました。
しかし、そのような中でもアリエスに御布施を送り続けている者が居ました。
ーー相手は誰なのかは分からないのですが、三金貨を必ず週初めに寺院の軒先に置いていくのです。
食べるにも困っていたアリエスだったので、それはとてもありがたい事でした。
「……誰がこんな事をしてくれているのだろう ? 」
供え用の肉を切りながら、アリエスは考えます。
誰も手入れをしなくなった古びた寺院の外から、いつものように酔った羊達の怒鳴り声が聞こえてきました。
酔った羊達が叫んでいます。
「塀の外のオオカミを滅ぼせ!」
「オオカミ族は我らの敵だ ! 」
そう、貧しい羊達は自分たちの境遇はオオカミのせいだと思っており、オオカミ族を敵視する羊が、この所、徐々に増えていたのです。
以前ならばアリエスはそのような羊を見下していたものですが、信心が揺らいでいる今となっては、それらの訴えも理解できるのです。
「……言い伝えによれば、かつて羊とオオカミはひとつであったと言われている。しかし、それは本当であろうか ? わたしは、一生を巫女として身を捧げてきた。羊村の繁栄を祈り、オオカミに供肉を捧げ続けた。しかし、もはや伝統は死につつあり、誰も巫女の事など見向きもせぬ」
アリエスは若い頃、目も眩むような美しい羊でした。
その頃、巫女は誰からも尊敬されていて、アリエスは大金持ちの御曹司などから求婚されたものです。
しかし、巫女は生涯を独り身で過ごさねばならず、アリエスは私心を完全に捨て去り、羊村の繁栄と平和のため祈り続け伝統行事を執り行ったのです。
「わたしは間違っていたのだろうか ? …… 太古、かつて太陽と月は共に一緒の空で輝き、時が経ち離れ離れになり、違う世の主となったが、いつの日か同じ空に戻るという言い伝えは、それは全て嘘だったのか ? 」
年老いたアリエスの心は揺れ動きます。
外で騒いでいた羊達の声が徐々に収まり、夜風が吹く中、ふいに寺院の扉を誰かがノックしました。
肉斬り包丁でウサギの肉を切っていたアリエスが驚き、後ろを振り返ると、扉がゆっくりと開き、暗闇の中、一匹の小太りの羊が立っていました。
その羊は、頭から全身を灰色のマントで覆っていたので、その表情を伺い知る事ができません。
しかし微かに、その羊から神事などで用いる香草の香りがします。
アリエスは曲がっていた背中を伸ばし、威厳を崩さぬよう問いました。
「だれじゃね、そちは? こんな夜遅くに、聖なる太陽寺院に足を踏みいれるなど、不届き千万!」
ーー揺れ動くロウソクの灯りの中、その羊はクックックッと笑い、言いました。
「……大巫女様、大変な失礼をお赦しください。私は、そなたの事を哀れに思い、毎週のように金貨三枚を送り届けている者です」
――――つづく
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