アセナは集落に戻ると、老オオカミから聞いた『聖骸皮伝説』の真意を確かめる為、仲間達に聞いてみようと思いました。
ーーもうすぐ戦が始まるかもしれなかったので、張り詰めた空気が集落を覆っており、広場を見ると子オオカミまでもが、弓矢の手入れをしています。
アセナの問いに対し、オオカミ達は顔をしかめるばかりで、聖骸皮だなんて聞いた事も見た事もない、としか返事をしません。
皆、それどころではなかったのです。
僅かながら、年老いたオオカミ数匹が「そいういば、そんな話を昔聞いたかもしれぬな……」
と答えるだけ。
『聖骸皮』とはなんだろう ? 聖骸というぐらいだから、昔の聖者の遺骸なのだろうか ? ……
アセナが、謎の伝説に思いを馳せながら集落の中を歩いていると、丘の向こうからオオカミ達のかけ吠えと号令が聞こえてきます。ーーきっとオオカミ軍の戦士達が来る戦に備え訓練をしているのでしょう。
アセナが丘の向こうを覗いてみると、軍隊長フェンリルが月神剣を構えながら部下達に号令をかけているのが見えます。
アセナは風下に立っていた筈なのですが、フェンリルの鋭い鼻は、すぐにアセナの気配を察知しました。灰色たてがみのフェンリルはギラギラと金色に光る目を、アセナに向けながら言います。
「アセナよ、あれだけ教え込んだのに、お前はまだ自らの気配を消す事ができぬのだな」
いくらアセナが指導者の息子とはいえ、アセナにとってはフェンリルは狩りの師匠。
アセナはフェンリルに向かってひざまずき、尻尾を垂れました。
オオカミは敬意を払うべき相手には尻尾を垂れて、誰が上位に立っているのかを表明するのです。
フェンリルはそれを見ると剣を鞘に収め、低い声でアセナに問います。
「明日、お前の父はヴィーグリーズの谷で、羊族の指導者と会合を開くのだな。ーーお前もその会合に出るのかね ? 」
「……はい、会合に出席せよ、と父からお達しがありました」
フェンリルは顔を上げ、夜空に浮かぶ月を見ながら弟子に言いました。
「そうか……。よいか、これだけは言っておこう。決して羊を信用してはならぬぞ。ーー羊は太陽神を崇め我らが信仰を見下している。がしかしだ、この宇宙はほとんどが闇の世界である事を、やつらは知らぬのだ。……広大な宇宙の中では太陽の輝きは微かな点にしか過ぎぬ。しかし羊にとっては太陽が全てであり、他は存在せぬも同様なのだ……」
フェンリルがこのように語るのは珍しかったので、アセナは聞き逃すまいと大きな耳をピンと立てました。フェンリルは輝く月を眺めながら続けます。
「……我らは闇の世界で何百年と、闇に住まう猛獣達と戦ってきた。狡猾なキツネ、夜の支配者ミミズク、獰猛なハイエナ。そしてその戦いのおかげで、羊村は平和を甘受していたのであろう。羊村は大いに発展を遂げた。しかし羊達は強固な壁を築き、我らオオカミを締め出した……」
師匠が語る時には、あまり口出してはならぬオオカミの法に従いアセナは黙ってフェンリルの語る言葉に耳を傾けます。
フェンリルはアセナに顔を向け、ニヤリと笑い鋭い牙を覗かせました。
「だがな、やつらは知らぬのだ。羊達は自分達は何でも知っているかのように振舞うが、やつらは壁の外には決して出ない。我らオオカミは羊のように文字こそ読めぬ、本も読まぬ。しかし、我らは世界の広さを知っている。自然の厳しさを知っており、そして宇宙の広大さを知っているのだ……」
夜風が吹き、フェンリルの灰色のたてがみが風に揺れています。
フェンリルはアセナの目をキッと睨みつけながら、言いました。
「よいか。これだけは覚えておけ。敵や獲物を追い詰めた時には、相手がたとえ命乞いをしようと、躊躇なく必ず相手を仕留めねばならぬ。さもなければ、お前が相手に殺されるであろ
う」
――――つづく
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