Twitterでお話しました
みなさまこんにちは。
「妄想生き物紀行」編集担当、ホテル暴風雨オーナー雨こと斎藤雨梟です。
今回も、ポッドキャスター・ぐっちーさんのエッセイ「最後の晩餐〜「最後の晩餐」は妄想である」を読んで、ぐっちーさんにあれこれお聞きしたもようを、お伝えいたします。
先週のぐっちーさんのエッセイをお読みいただくとより楽しめる内容です。
週末を仮想終末に
人類、終了間近。
なんてことをみんなが知っていたら人間社会は大混乱、食料を含めた物流、水、電気、ガスなどのインフラも機能不全になるに違いないのだから優雅な晩餐など不可能、とぐっちーさんもエッセイで指摘していましたが、それをふまえて、シャルル大熊さんからのステキな擬似終末のご提案です。
最後の晩餐が様々な事情で楽しめそうもないなら、前倒しというか、本物とチェンジしたという設定で今度の週末あたりに楽しんでしまうのはいかがでしょうか? 一生に一度と思えば年収とは言わないまでも月収くらいつぎ込んでもいいでしょう。早めに済ませておけば、いつ本物の終末が来ても大丈夫です。
— シャルル大熊 (@charles_okuma) July 19, 2022
「今を大切に」「今しかできないことを」なんてよく言いますが、今したいことがいつでもできることか今を逃せば二度とできないことか、本当はわからないわけで、今の望みと人生を総括した望みと何が違うのか、などなど、考えてしまいそうです。
そうなると毎週末が終末ですね
一度最後の晩餐をすませてしまうと毎週同じことを考えてしまいそうです
日々を大事に過ごせという啓示ですかね— ぐっちー (@mousou_guccy) July 19, 2022
毎週末が終末。ってなっちゃうんでしょうか、どうなんでしょうか。そうすると、本当の終末が来ても「またか」くらいに落ち着いて対処できるんでしょうか。
これが最後の週末かもしれないと思えばすべての週末がかけがえのないものに。これが最後の牛丼かもしれないと思えばすべての牛丼が特別な牛丼に。「最後」は最高の調味料。
— シャルル大熊 (@charles_okuma) July 21, 2022
思ったのですが、いつが「最後」かは終わってみないとわかりません。対して、「最初」は明白です。初めて食べる美味しいものの印象は鮮烈です。
最後の晩餐には、食べたことのないものを食べてみたいという気がしてきました。
シャルル大熊さん、どうもありがとうございます!
今週末はこれを読め! 『ぼくが恐竜だったころ』
続いて、ホテル暴風雨風オーナーのオススメ終末本です。
最後の日が迫っているのを自分だけが知っている……そういう状況の本を読んだことがあるなと思って考えたら思い出しました。『ぼくが恐竜だったころ』(三田村信行・著 佐々木マキ・絵 ほるぷ出版)すごく面白いですよ。
— 風木一人@ホテル暴風雨オーナー (@Kazeki_Kazuhito) July 20, 2022
最後の日がどのように描かれるか、はネタバレなので秘密にしますが、私も前に読んだ記憶を手繰り寄せ、そうそう、終末本だあれは、と思い出しました。読んだことのある方、いませんか?
レビューを見たら面白そうです
私は伊坂幸太郎さんの「終末のフール」を思い出しました
こういうテーマは手垢がついていたとしても何度でも楽しめますね— ぐっちー (@mousou_guccy) July 20, 2022
『終末のフール』は未読なのですが、たしかに「終末」は人気のテーマです。個人的な趣味としては、人類が大幅に数を減らして文明が衰退した後を描いたSF的作品がけっこう好きです。みなさんお好きですか、終末?
ありふれたテーマでありふれていない作品を作れる人だけが作家なのです(^-^)
— 風木一人@ホテル暴風雨オーナー (@Kazeki_Kazuhito) July 20, 2022
『ぼくが恐竜だったころ』は、終末のみならず、恐竜、変身、タイムトラベルなどみんな大好き王道要素てんこ盛りですが、終末への対応が人それぞれ違うように、他の何とも違う味わいがあって面白いです。
児童書なのですね。めちゃくちゃ面白そうです!読んでみたい!
自分だけが知っている、私は耐えられるだろうか…やはり、ぐっちーさんの妄想のように、終末というものは恐怖と絶望だけなのか…
あ、でも、ぐっちーさんはワイン飲み比べ楽しむんですよね笑— ふわゆ (@100kero1) July 20, 2022
週末の読書にぜひ!
自分だけが知っているという状況は、「耐え難い」と感じる方もそうでもない方もいそうです。私だったら、来週人類が滅亡すると知ったとして、誰かに言っても混乱するばかりだし第一信じてもらえないだろうし、それ以前に面倒だから特に誰にも言わず普通に過ごせちゃう気がします。テンション低すぎでしょうか?
めちゃくちゃ面白いです。子ども時代にこれを読んだ人は幸せですよ。ぼくも大人になってから読みました。残念ながら絶版ですが図書館か古書店でぜひ出会ってくださいね。
— 風木一人@ホテル暴風雨オーナー (@Kazeki_Kazuhito) July 20, 2022
1989年に出版された本ですので、新本で手に入らないのがややハードル高いですが、図書館にはまだまだあるはず。
図書館の蔵書を検索したらありました
楽しみです— ぐっちー (@mousou_guccy) July 20, 2022
あった!
この終末……じゃない終末に読みたい本、『ぼくが恐竜だったころ』三田村信行作・佐々木マキ絵(ほるぷ出版)でした。
風オーナー、ありがとうございます!
最後の晩餐、それは盛り上がる妄想
お次は、「最後の晩餐」のお題をリクエストしてくださった、ふわゆさんからのコメントです。
「好きな食べ物は?」と聞くより「最後の晩餐なに食べたい?」と聞く方が話が盛り上がります(^^)最後のシチュエーションも多様ですね。人類最後の日、病にて余命切れの日、愛する人と離れ離れになる日…出来ることなら穏やかにチョコを食べたい。
— ふわゆ (@100kero1) July 19, 2022
何の最後かということも重要要素ということですね。人類最後か自分の最後かくらいしか思いつきませんでしたが、この人との、またはこのメンバーでの最後の食事というのも入れると、案外最後の晩餐を何度も経験していることになります。
最後の晩餐を聞くとそのバックグラウンドまで話題になりそうですね
— ぐっちー (@mousou_guccy) July 19, 2022
メニュー聞いて終わり、だったら、この話題でそこまで盛り上がるわけがないですから、最後のメニューにはその人らしさや意外な一面などが表れて面白いのですよね。
色んな方に聞きましたが(*´罒`*)
高級品を選ぶ方は多いです。
お母さんの定番料理の方も多かったですね〜(^^)コンフォートフードですかね。
イケメンシティーボーイが「茶碗蒸し」ときた時は、意外性に盛り上がりました。— ふわゆ (@100kero1) July 20, 2022
茶碗蒸し……意外性が何というか絶妙で、いいお話です。
もう閉めてしまった店の味をもう一度食べたいや、死んだおふくろの味という晩餐もありそうですね
— ぐっちー (@mousou_guccy) July 20, 2022
「最後」が「魔法」みたいなことになってきました。
やはり「最後の晩餐」は妄想である
— ふわゆ (@100kero1) July 20, 2022
良い妄想の種ですね。
私はやはり、食べたことのない美味しい(美味しそうな)ものを食べたくなりました。
誰かと一緒に食べるならば、その人も食べたことのないものがいいです。一緒に初めてを味わうのを思い出にしたいです。みなさま、最後の晩餐何にするか、決まってきましたか?
ふわゆさん、ありがとうございます!
最後の贈り物
トリフィドさんからもコメントいただきました。
終末モノ(地球/人類/個人の寿命)と食欲を結びつけるのは難しいですね。
以前、職場のおばさまが、晩餐どころか臨終の時はウニを食べながらが良いと言われてて、ツヨイと思いました。
そして、口からウニがはみでてる状態で亡くなるのを見送る遺族のココロは…
— トリフィド【いさましいちびの博物愛好家】 (@tri_triffid) July 21, 2022
ウニというチョイスがまた。やわらかくて食べやすいので、噛む力や飲み込む力、胃腸などが弱っていても食べられそうな感じはします。
生物の個体としては、栄養摂取ができなくなって(食欲や消化能力がなくなって)最後を迎えるというのがひとつのスタンダードですものね。臨終にウニというのは人間らしい、しかも選ばれし人間の最期という感じがします。すごい。
— SAITO Ukyo (@ukyo_an) July 22, 2022
妄想寄りではなくリアルよりの「最後の晩餐」となると、理想の病中食みたいな話になってきますね。ゲル状などでやわらかいものなど。やわらかいものといえば、先ほど話題に出た「茶碗蒸し」や「プリン」も、弱っていても食べられそうですし実際人気がありそうです。しかし敢えての「ウニ」がいいですね。
涙と笑いが一緒になった最期ですね〜私もそういうのを目指したいです。
私の父の最期は、日本酒が飲みたいというので、酒を含ませた脱脂綿で唇を湿らせてあげました。とても嬉しそうでした🍶
私は最後の時、何を食べるかというより、誰かと一緒に食べたいです。— ポチ子 (@mousou_pochiko) July 22, 2022
最期の飲み物に日本酒……ポチ子さんから、これまたいいお話です。
まさに選ばれし人の最期ですね。悲しいお別れの時の中にも心穏やかで幸せな瞬間があったと記憶にとどまるのですから、お父様は最後の日本酒を楽しみつつ、同時にとても大きなプレゼントを残されたことになりますね。最後の食事は誰かへの贈り物にもなるんだなあ……
— SAITO Ukyo (@ukyo_an) July 22, 2022
「最後の晩餐」は、自分の最後にしても人類の最後にしても、その時を共有した人に思い出を残すものですね。自分が食べたいものばかり考えていてそういう視点が欠けていました。
こんな時にもお酒!って、家族は呆れましたけどね。今でも家族の笑いのネタになってます。明るくて楽しい父からのプレゼントですね!
— ポチ子 (@mousou_pochiko) July 22, 2022
お話を聞いただけでいいものをいただいた気持ちになりました。
ポチ子さんのお父様のような、此岸に残る側の気持ちが落ちつき良い最期が出来た方の徳にあやかりたいです。
悲しいという感情そのものが、個のパーソナリティ喪失に感じる気持ちが起源だろうと、作家の森博嗣さんがエッセイで書かれてました。
ウニや日本酒で少し柔らかに。
— トリフィド【いさましいちびの博物愛好家】 (@tri_triffid) July 22, 2022
ポチ子さんのお父様の人徳を感じますね。
喪失が悲しみの母であるように、去る人を見てこそ、自分の去り方に思いを馳せるようになるのでしょう。たくさん贈られ、ちゃんと受け取った人は、最後を恐れなくなるのでしょうか。
だんだん向こうの世界に引越す人が増えてきましたが、個性が強かった人のことほどよく思い出しますね〜
— ポチ子 (@mousou_pochiko) July 22, 2022
人生は引っ越す前のひと暴れ。一句できちゃった。
個性の強い「最後の晩餐」とはどんなものがあるだろうかとつい楽しく妄想してしまいます。
キリスト最後の晩餐のメニュー
ぐっちーさんからは「最後の晩餐」の中の「最後の晩餐」といえばアレ、およそ2000年前のあの晩餐についてコメントです。
レオナルド・ダビンチの最後の晩餐に描かれているキリストはどんな晩餐を過ごしたのだろう
弟子に囲まれ楽しかったのか、最後である事をわかって食べていたのか、
このメンバーでよかったのか— ぐっちー (@mousou_guccy) July 22, 2022
いつもよりも早めにご紹介しますが、今日のページトップの絵がまさにレオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』(を少々加工したもの)です。
寓意の込められた絵ということはさておいて見ても、いかにもあまり楽しそうではないですが……?
分かりませんね〜ただ、良い弟子に囲まれていたことは確かなんじゃないですかね。彼らがキリストについて書き残したから最後の晩餐も描かれたわけですから。
— ポチ子 (@mousou_pochiko) July 22, 2022
この後、描かれた弟子たちのほとんどがキリストの教えを布教し、書き残し、そして殉教したのですからすごいですね。
この中に裏切り者がいる! という告発(予言)が飛び出すサスペンスフルな晩餐も、75日くらいで忘れ去られるのと記録に残ってベストセラーになるのとではだいぶ違いますからね😀
— SAITO Ukyo (@ukyo_an) July 22, 2022
「犯人はこの中にいる」とまず宣言して「さて」と指名する、名探偵の登場するシーンの起源はこれなんじゃないかと思います。うろ覚えだったのでいつものアレ(検索)で聖書協会のホームページを見つけ、確かめたのですが、ありました。新約聖書の中には弟子が書いとされる「福音書」が四つあり、そのすべてに最後の晩餐の様子が書かれています。それぞれ少しずつ相違はあるのですが、どういうシーンかといいますと、
キリストがおもむろに「あなたがたのうちの一人が、わたしを裏切ろうとしている」と宣言。すると弟子たちはパニックにおちいり、「主よ、まさかわたしのことでは」と口々に言い始める(そんなにみんな裏切ろうとしていたのか?)。キリストは「裏切るその者は不幸だ。生まれなかった方が、その者のためによかった」と言う。
その後、はっきりとイスカリオテのユダを裏切り者と指名するシーンが「ヨハネによる福音書」だけには書かれています。「わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ」とまず言った上でユダにパンを与えるという怖いシーンです。
確かに超ロングセラーのサスペンス物語ですね。
— ポチ子 (@mousou_pochiko) July 22, 2022
改めて読んでみるとけっこう怖いです。その後、ユダの裏切りだけでなくペテロがイエスを三度「知らない」と言うことを予言したりと、とにかく楽しさ要素限りなくゼロの食事です。
キリストの最後の晩餐メニューは、レファ協に調査結果が。この時、もう、ユダの裏切りや、ペテロの裏切りを予言してたわけで、みんな、お腹キリキリしてそう。
レオナルド・ダ・ヴィンチ作「最後の晩餐」のメニューが知りたい… | レファレンス協同データベースhttps://t.co/Sd7zHW8EcC
— トリフィド【いさましいちびの博物愛好家】 (@tri_triffid) July 22, 2022
えっ、メニュー!? パンとぶどう酒だけじゃないの?
そうそう、鰻を食べたみたいですよね。蒲焼きのように開いてない、ぶつ切りの、煮込みかな?
臭みがあって脂っこそうな料理、お腹がキリキリしてたら食欲沸かないでしょうね。— ポチ子 (@mousou_pochiko) July 22, 2022
ウナギですと!?
予言していたのか
イエスだけが知っていたのではなかったのですね
そうであればなおさら気まずそうですね
味わうところではないですね— ぐっちー (@mousou_guccy) July 22, 2022
どうもイエス・キリストは「人類最後の日が来るとわかってしまったら周囲の人に言わずにはいられないタイプ」だったと見受けられますね。
食事時は避けて欲しいところです。
所変わればで、南米クスコの大聖堂に描かれた『最後の晩餐』では、かなりメニューが違うようです。焼きクイ(モルモット)とか…https://t.co/IFjvYsnxSa
— トリフィド【いさましいちびの博物愛好家】 (@tri_triffid) July 22, 2022
そうか、あくまでもレオナルド・ダ・ヴィンチの絵の中の「最後の晩餐」メニューがウナギだったらしいというお話でしたね。
再現されてるレストランがありました。
ウナギ×オレンジ🍊、食べ合わせは微妙な気が…新たな芸術鑑賞!ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」に描かれた料理を期間限定で再現 https://t.co/PTirUwBfAY
— トリフィド【いさましいちびの博物愛好家】 (@tri_triffid) July 22, 2022
うん、食べてみたいようなみたくないような?
揚げたウナギの酢漬け、までは間違いなさそうなんですけれどオレンジがどうなるのか微妙ですね……
ところで、再現されるのはお料理だけでしょうか。裏切り者告発トークとかはなしで。それも面白いのか!?😆
— SAITO Ukyo (@ukyo_an) July 23, 2022
あの胃が痛くなりそうなサスペンスフルな晩餐を再現、という趣向もそれはそれで面白いのか?
トリフィドさん、ポチ子さん、ありがとうございます!
ところで、各地で『最後の晩餐』のメニューはご当地風にアレンジされて絵に描かれている様子ですが、日本ではあまりアレンジされていません。日本人は換骨奪胎が大得意と言われているというのに、そしてキリスト教の文化は日本にも伝わっているというのに、イエスが着物を着ているとか、ウナギの蒲焼を食べているとか、そういう絵は見たことがないです。
あ、でも立川でバカンス中のあのイエス様ならばウナギの蒲焼くらい食べているかも?
最後にもう一度、ページトップの絵『最後の晩餐』についてひとこと。
よくぞこの絵からウナギを見つけ出したなあ〜!!
ビックリしませんか?
ではでは今回はこのへんにて。
次回のエッセイのテーマは「ウシ」です。妄想旅ラジオ第55回「ウシ」では、ポチ子さんとたまさんが実は**が嫌いという衝撃告白が! 衝撃は言い過ぎかもしれませんが、う〜ん、確かに日本でこの告白をするのには結構勇気がいるかもなあ、と日本の**文化について考えた回でした。ウシの話ももちろん、予想外のバラエティに富んでいて面白いです。予習がてら、ポッドキャストもぜひ聴いてみてください!
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