ツキヨタケ〜いつもと変わらぬ日常に、突如として起こった悲劇とは

「妄想旅ラジオ」ポッドキャスター ぐっちーが綴るもう1つのストーリー「妄想生き物紀行 第15回 ツキヨタケ〜いつもと変わらぬ日常に、突如として起こった悲劇とは」

軽トラのラジオからはEarth, Wind and FireのSeptemberが流れていた。9月になるといつもこの曲が流れるけど、本当は12月の歌なのにと思いながら、山道を走り続けた。
「このあたりの山はおじいちゃんの山なんだよ」
と、夫が息子に話しているのを聞いたことがある。いずれ息子に相続することになるかもしれないこの山にどれほどの資産価値があるか不明である。とはいえ、春には山菜採り、秋にはキノコ狩りができることは都会で生活していた頃には考えられない贅沢だ。

夫とは東京の大学で知り合い、結婚してしばらく会社勤めをしていた。しかし、子供が小学校に上がる前に夫の実家の農業を継ぐため山形に移住した。かれこれ10年近く、この田舎町で生活していることになる。今では息子は高校1年生となり、隣町の高校に通っている。隣町まではバスで1時間かかるため、毎朝7時には子供を近くのバスターミナルまで送っていくことが日課となった。

農家の朝は早く、日の出前から収穫を始め、朝食を摂った後袋詰め作業にかかる。私は朝食の準備と子供の世話で収穫には出ないが、袋詰め作業が終わった野菜を直売所に持っていく役割だ。今朝もいつもと同じように食事の支度をして、義父母と夫が朝食を摂っていると義父が言った。
「朝晩がだいぶ涼しくなってきたから、そろそろキノコの季節かな」
続けて夫が
「そうだ、今日直売所に出荷した後、キノコを採ってきてくれよ」
そう私に言った。
以前に何度かキノコ狩りについて行ったことがあったが、一人で行くとなれば今回が初めてだ。不安もあったが、一人で自由に行動できる時間は貴重だと思い、承諾したのだった。

山道を登り、いつもの場所に軽トラを止めて山に入った。山といってもキノコが採れる場所は林道が見える程度の近場である。そこでいつも採っていたヒラタケを見つけ、すぐに夕食分以上を採ることができた。少し多かったかと思ったが、明日の朝も食べられると思いそのまま持って帰ることにした。ヒラタケは枯れた木の幹に自生していて、傘は5から15センチ、表面はすべすべしていて大型のシメジに似ている。

9月は野菜出荷の最盛期で、市場に野菜を出荷した後もいろいろと忙しい。夕食は息子も帰宅した夜8時頃になってしまう。特にこの時期夫は伝票類の整理で、家族と同じ食卓を囲むことは少ない。夕食は義父母が食べる和食に加え、息子が食べる肉類を余分に作らなくてはならないので私も忙しい。メニューはサンマの塩焼き、自家製ナスの煮浸し、大根の漬け物、豚肉の人参巻き、そして今日採ってきたヒラタケの味噌汁だった。

夕食を終えた後、私は義父母に持病の薬を飲んだか確認し、一息ついてテレビを見ていた。午後9時30分頃、義父は風呂から上がり、義母に風呂を勧めようとしていたその時、突然「ううっ」という、うめき声とともにトイレに駆け込み、嘔吐した。
「お義父さん大丈夫ですか?」
そう声をかけたが、扉の向こうからは何度か嘔吐する音が聞こえた。
しばらくすると、今度は義母が吐き気がすると訴え、洗面所で嘔吐してしまった。
立て続けに嘔吐の始末をしていると、自分も吐き気を催してきたが、我慢できる程度だったのでなんとかこらえた。そこへ2階で勉強していた息子もおりてきて、なんだか気持ち悪いと訴えたのだ。

これはただ事ではないと思い、夫に連絡して義父母を近くの病院に連れて行ってもらった。その時、夫は今日私が採ってきたヒラタケの残りを手にしていた。そして私と息子は軽トラで義父母を追った。時刻は午後10時30分を過ぎていた。

病院に着くと救急車が止まっていた。すると病院の中から2台のストレッチャーが運び出され、その救急車に乗せられようとしていた。そしてその後から中年男性が出てきてストレッチャーに乗せられた2人に声をかけている。よく見ると夫と義父母だった。夫によると、医師に症状を話したところ食中毒が疑われることから、意識ははっきりしているが、念のため隣町の救急病院に搬送されることになったらしい。夫は救急車に同乗し、私は後から搬送先の救急病院に軽トラで向かった。途中私と息子は吐き気を催し、一旦路肩に止めて側溝に嘔吐してしまった。

隣町の救急病院に着いたのは日付の変わる直前だった。すでに義父母は診察をすませ、点滴を受けていた。私と息子も診察を受け、義父母と同様に点滴を受けることになった。この時、医師から
「今日あなたが採ってきたキノコはヒラタケではなくツキヨタケでした」
と告げられた。

4人とも脱水症状が見られたため翌朝6時頃まで点滴を受けていたが、検査の結果、全員正常値に戻った。そして朝9時には食事を摂ることができるようになり回復したが、大事を取ってもう1日入院をして自宅に戻った。

義父が嘔吐したと夫に連絡した時、夫はすぐに食中毒を疑ったという。そして翌日まで残しておこうと思っていたキノコを手に取り、裂いてみたところ根本付近が黒くなっていたそうだ。ツキヨタケは根本付近が黒くなることで見分けることができるらしい。そのことを知らなかった私は一家をこのような形で傷つけた。多量に食べると死ぬこともあるらしく、取り返しの付かない事態になっていたかもしれない。夫は「1人で行かせた俺も悪い」と言ってくれたものの、私は二度とこのような過ちを繰り返してはならないと固く心に誓った。

あとがき

今回の物語は2009年9月に山形県で実際に起きた食中毒事件をもとに、妄想力を働かせながら作文しました。家族構成と症状の時間経過は史実ですが、その他はフィクションです。

さて、毎年秋になるとキノコによる食中毒が発生します。2002年から2006までの5年間で、植物性自然毒による食中毒は409件発生しており、そのうちツキヨタケによるものが77件発生していました。また、県別でみると、新潟県が21件、山形県が13件と東北地方に多いことがわかります。

他人の山、国有林での山菜採り、キノコ狩りは窃盗にあたります。犯罪および食中毒に注意したうえで楽しみましょう。

<編集後記>

※このエッセイ「妄想生き物紀行」は、ポッドキャスト番組「妄想旅ラジオ」の第15回「ツキヨタケ と関連した内容です。ポッドキャストはインターネットのラジオ番組で、PCでもスマホでも無料でお聴きいただけます。妄想旅ラジオは、ぐっちーさん、ポチ子さん、たまさんの3名のパーソナリティーが毎回のテーマに沿って「生き物」「食べ物」「旅」について話す楽しいラジオ番組です。リンク先に聴き方も詳しく載っていますので、ぜひ合わせてお楽しみ下さい。

ぐっちー作「妄想生き物紀行」第15回「ツキヨタケ〜いつもと変わらぬ日常に、突如として起こった悲劇とは」いかがでしたでしょうか。

今回もお読みいただきありがとうございます、編集担当オーナー雨こと斎藤雨梟です。

こんにちは!

妄想生き物紀行に初めて菌類が登場です。 きのこ好きの私としては、妄想旅ラジオの「ツキヨタケ」回でも「待ってました!」と思ったものでした。そのラジオ放送とは打って変わって、今回は出だしからもう何かが起こりそうなドキュメンタリー調創作。緊張しましたね。

不思議な光るきのこ、ツキヨタケ。明るいところでは光らず、色合いも地味でヒラタケなどの食用キノコに似ているため食中毒事件が絶えません。クサウラベニタケと並んで日本の二大食中毒きのこです。ちなみに「クサウラベニタケ」は、「裏側が紅色の臭いきのこ」という意味です。なんだか酷いですよね。それに引き換えツキヨタケの命名の風雅なこと。

Twitterでぐっちーさんと話そう企画

というわけで、今回もTwitterでぐっちーさんとツキヨタケについてお話ししましょう。きのこや毒きのこについて、食中毒について、妄想旅ラジオの「ツキヨタケ」回についてなどなど、関連する何でもぐっちーさんとあれこれお話しようという企画です。きのこのお話ができると思うときのこ好きとしてはワクワクが止まりません。みなさんも、ぐっちーさんのエッセイを読んでの感想、質問、ツッコミなどあればぜひ!

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ぐっちーさんとお話ししたもようは、来週こちらのサイトでまとめてお伝えします。Twitterでいただいた質問やコメントは記事内でご紹介させていただくことがあります。どうぞよろしくお願いいたします。では、Twitterでお会いしましょう!

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