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「イヤイヤ期」から「してあげる期」に突入
どうやら子どもが「してあげる期」に突入したようだ。そんな「期」は聞いたことがないかもしれないが、自分が勝手につけた名前なので当然である。
「イヤイヤ期」というのは育児ワードの中ではかなり有名だが、息子はイヤイヤと同時になんでも「したい、する!」と言う「するする期」に突入し、さらに自分以外の誰か(たまに人じゃなかったりもする)に「してあげる」といいはじめる「してあげる期」の中にいる。
子どもの発達は日々グラデーションを描くように重なり合って進んでいくので、ある日突然大きな変化が訪れるというよりは、気がついたら何かちょっと前とは違うことをし始めている、という感じだが、それを細かく刻んでいくと様々な特徴のある時期になっていくような気がしている。
この「してあげる期」だが、具体的にはこのノートを書いている日は「父さんにお薬飲ませてあげる」と言ってビタミン剤などの入っている棚を開けて整腸剤の大きなビンを持ち出すと、その中身を自分の手のひらに乗せるように言い、「ここから食べて」と指示された。「ありがとう」とお礼を言ってそれを飲むと「もういっかい!」と言ってまた飲ませようとする。それを引き受け続けるとエンドレスにお薬飲ませプレイが続いていくわけで、これを続けたら整腸剤の飲み過ぎでおなかの具合がどうにかなってしまいそうである。
先日知人の家を訪れた時には、そこにいた猫に対して何度も「にゃあちゃんにごはん食べさせてあげる」と置いてあったカリカリを持って追いかけては口元に差し出し、猫も渋々それを受け入れるということがあった。さすがの猫もその圧に辟易して逃げ出すと、息子は「おなかいっぱいなのかなあ」などと言っている。そして自分の「してあげたい」気持ちが叶わなかった場合はまた「イヤイヤ」状態に戻ることになる。
「イヤイヤ」に加えて「するする」が出現し、さらに「してあげる」に発展しているわけだが、これは他者との関係性の中で自分自身の役割や立ち位置を確認しようとする、いわゆるアイデンティティの獲得のための第一歩なのではないかと思う。
自分以外の誰かに何かをしてあげるということは、他者とのコミュニケーションのスタートである。これは子どものみならず、大人にも全く同じことが言えるのではないだろうか。
誰かの役に立つことをしてあげれば喜ばれ、気に入られて良好な関係が築ける可能性は高くなるし、都合の悪いことや不快なことをすれば嫌われたり関係を失う結果になってしまうだろう。
しかし、それは誰に教えられるものでもなく、自分自身で行動した結果を引き受けることでしか得られない経験値である。猫にごはんをあげることは悪いことではないけれど、お腹がいっぱいでくつろいでいる状態の猫にとっては、正直あまり気持ちの良いものではないかもしれない。ちょっかいを出し続ければ逃げられたりするだろうし、いずれは引っ掻かれてケガをするかもしれない。それはそっくり人間同士の関係にも当てはまることである。
そう思うとこのような時期に、心配になってあれこれ子どもの行動を過度に規制してしまったりすると、他者に何かをすることに対して否定的なバイアスがかかってしまい、ゆくゆく引っ込み思案になったり、逆に理性的な歯止めが効かなくなってしまうのではないかと考えるようになった。
自分の子どもの頃を思い出すと、良くも悪くもその頃に周囲の環境から受けたものの結果が、今の自分に大きな影響を与えていることを実感できる。
子どもは猫に引っ掻かれたりすることもあるかもしれないけれど、そこから猫に対する想像力や思いやりが生まれるかもしれない。それこそが他の誰のものでもない、子どものアイデンティティではないだろうか。それを大切にしていきたいと思う「してあげる期」である。
(by 黒沢秀樹)