ようやく最近になって子どもを乗せるためのチャイルドシートのついた電動自転車を手に入れたことは前回書いたが、子どもを乗せて移動することに特化した自転車の進化には素晴らしいものを感じる。もはや自転車というよりもバイクに近い感覚である。
荷物を乗せるための大きなカゴ、しっかりとしたチャイルドシート、低重心で倒れにくく、踏み込むと即座にアシストがかかるがトップスピードはそんなに出ないように考えられたギア比と、万一バッテリーが切れても走れるギリギリの重さ、オートライトやハンドルロック、最新式のものには自動車と同じようなキーレスシステムまで採用されているらしく、使う人のことを細やかに考えた進化には日本ならではのものを感じる。価格もバイクが買えるくらいの値段がするのでなかなか手が出せずにいたが、これで車を使わずに出かけられる手段がひとつ増えた。
そんな自転車に乗せて走っている時に、息子がこんなことを言った。
「今日はいい天気だね、風が気持ちいいね」
「そうだね」
「新鮮な空気も吸えるしね」
「・・・新鮮な空気!?・・・今、新鮮な空気って言った?」
「うん、そうだよ。新鮮な空気」
新鮮な空気という言葉をどこで覚えたのは謎だが、4歳の息子から天気と新鮮な空気の話をされることは、じぶんにとっては新鮮を通り越して驚きである。その後果たして意味がわかっているのかどうか確かめようと思い、
「ねえ、新鮮ってどういうことか知ってる?」と聞くと、しばらく考えた後、
「しんせんは・・・・水分のことだよ!」という答えが返ってきた。
「水分?。。。そうなの?」
「うん、すいぶんはチクッとする花のことだよ!」
「チクッとする花?それが新鮮ってこと?」
「・・・・ねえ、グミ休憩していいでしょ?グミ、一個だけグミ!今グミ食べる!」
そこで会話は終了し、リュックからレモンのグミを一粒取り出して与えると、自転車を降ろすと同時に息子はすぐに走り出してしまった。
新鮮という言葉の意味はまだどうやら理解してはいないようだが、とにかくそのような新しい言葉をどんどん覚えて話すようになってきた。
「休憩」という言葉はきっと自分が使っていたから覚えたのだろうと思うが、それがグミと合体した時に「グミ休憩」という言葉が生まれた。自転車に乗ればグミ、横断歩道を渡ればグミ、バスに乗ればグミ、何かといえば「グミ休憩」を日に何度も要求されるわけだが、こんなにグミばかり食べさせていいのかと思うことはもちろんある。
グミ。それはもはや育児に避けては通ることのできないもののひとつである。同じ歳くらいの子どもの養育者の持ち物検査をした場合、かなりの確率でカバンの取り出しやすい場所からグミが発見されるのではないかと思うほどである。
自分の幼少期にはほとんどグミはなかったので、そもそもグミとはどういうものなのかをちょっと調べてみると、思いがけない事実に出会うことになった。
実はグミはドイツ発祥のもので、強く噛む必要のなくなった食べ物が増えたことで子どもの歯の病気が増えたことから、噛む力を強くして病気を防ぐことを目的として開発されたものらしい。
お菓子の食べ過ぎは良くない、甘いものは食べさせるべきではない、などといろんな考え方があるとは思うが、グミはその発祥のイメージから子どもに食べさせてもあまり罪悪感を感じずに済む特異な商品だったのである。
以前書いた自分のメロンの呪いを参考に考えた結果、子どもの頃に満足するまで与えられなかったものほど、大人になってもその呪縛に囚われ続ける可能性が高いと自分は思っている。
たとえば以前なら自販機の前に座り込んで買ってもらえるまで絶叫していたリンゴジュースも、せがまれた時にためらわずに与えていたら、いつからかもう自販機をスルーしてしまうまでになってしまった。もちろん好きであることに変わりはないが、きっと何かが息子の中で満足する領域まで達したのだろう。
定番のひとつであるレモングミが今の息子のお気に入りだが、ある日、季節ごとにコンビニなどの店頭に並ぶラインナップが変わることに気がついた。日々繰り返す育児の作業の中でこのことに気がついた時、育児にも季節感を感じさせてくれるグミの製造メーカーの方々に感謝の気持ちさえ湧き起こってきた。季節の変わり目をグミで感じられるようになれるのも養育者の特権のひとつかもしれない。
グミはおいしくてかわいいので自分も好きだし、グミをずっと食べ続けている大人もいるかもしれないが、きっと息子はそのうち今ほど欲しがることもなくなっていくのではないかと思っている。
その時に「ああ、またこのグミの季節が来たのか」と買わずとも思い出せるような自分でいたいと思っている。
(by 黒沢秀樹)