カニの謎
子どもがカニになっている。このところ恐竜、カエル、電車など様々なものになりきって奇声をあげたり飛び跳ねたりしていたが、新しいバリエーションがまた増えたようだ。
しかし、なぜ急に「カニ」なのかは謎である。カニになるのはいいのだが、このカニはハサミ(人差し指と親指)でつねるので厄介である。2歳8ヶ月にもなると小さなハサミにもなかなかの力があり、しかも手の甲や足の付け根などの微妙に痛い場所を狙ってくるので困ったものである。そしてこのカニには「痛い、痛い!」と言うとさらに喜ぶと言う習性がある。
このような場合に養育者はどう対応するべきなのか悩ましいところだが、今のところ自分もカニになって同じようにつねり返すくらいしか方法が見つかっていない。
子どもはその成長に合わせて様々な言葉や行動を投げかけてくるが、そのバリエーションが爆発的に増える9歳くらいまでの時期を発達の臨界期というらしい。時折何を言っているのかわからないこともあるが、確実に何かを言語化して伝えようとしているのである。
簡単に言うとある時期からその瞬間に食べたいもの、見たいテレビアニメ、なりきっている動物などの名前を叫んだり、やって欲しいことのリクエストをしてきたりするわけだが、言われるがままにどんどん食べさせて良いものか、テレビをずっと見せていて良いものか、カニのハサミにはさまれたままで良いものか、悩みは尽きない。
多くの養育者が不安に思う「これでいいのだろうか」と言う問いの真っ只中に自分もいる。
さらにこれから続くであろうわがままや奇想天外な要求にどこま答えていったら良いのだろうかと考えてはみるものの、体力も気力も、さらに経済力もついていける自信が全くないわけで、ふと気がつくとどこか誰も知らない遠い国に行ってしまいたい気持ちが湧き起こってくる。これはあまり良いことではない。
そこで先々のことはともかく、今すぐに実行出来る大まかな基本方針、と言うか気の持ち方のようなものを自分の中で定めることにした。それは、「物心がつくまではなるべく子どもの言うことを聞いてみる」ということである。そう考えたのにはそれなりに理由がある。
自分の子ども時代のことを思い出すと、してもらったことよりも、出来なかったことの方が大人になるまでずっと引きずっていたような気がするからだ。
メロンの呪い
例えば食べ物で言うならメロンである。子どもの頃の自分はメロンが大好きだった。今、息子がぶどうゼリーに夢中なのと同じように、メロンは特別な食べ物であり、それがあること自体がイベントのようなものだった。その頃のメロンは高級品であり、なかなかお腹いっぱい食べられるような機会は巡ってこなかった。大人になってからも満たされなかったその「メロンの呪い」のようなものは解かれることはなく、安価なものでもメロンというだけで特別なものであると言う意識が抜けずにいた。
ある日、意を決して無意識にずっとやってはいけないと思っていた「メロンを好きなだけお腹いっぱい食べる」ということを実行してみることにした。もう大人になった自由の身である、メロンを好きなだけ食べたって誰に咎められることもないのだ。
安く売っていたメロンを見つけて丸ごと一個をお腹いっぱいになるまで食べると、あっさりとそこで呪いは解けた。それ以来、メロンが入っているケーキをつい選んでしまったり、クリームソーダにやたらにときめいたりすることはなくなり、なんならスルー出来るほどに心の余裕が生まれた。
これは幼少期の影響が大人になるまで残っていた例だろう。もし小さい頃に満足いくまでメロンを食べていたなら、こんなことにはならなかったはずである。
反対の例としては素麺がある。これはあまりに頂き物が多く、塊になって残っているものを食べ続けることにうんざりしていたので、あまり良いイメージを持っていなかった。食べ方を間違えなければ素晴らしくおいしいものだと感じたのはずいぶん大人になってからである。食べ物ひとつをとっても幼少期のイメージというのはかなり大きいのである。
そんな自分もつい子どものことが気になって、欲しがるものを「そんなに食べたらお腹こわすよ」とか「ごはんが食べられなくなっちゃうでしょ」などと言ってしまいがちだが、ごはんが食べられなくなるのも、おなかをこわすのも自分ではなく子ども自身である。ぶどうゼリーを食べすぎておなかをこわしたり、ごはんが食べられなくなったとしても、その経験を積むことによって自分に合った食べ方を身につける方が長期的にはよほど大切だろう。
こういう思いに至ったのはこのサイトのオーナー、風木一人さんが出版に協力された『子どもを信じること』と言う本を送っていただいたことも大きい。これは医師で臨床心理士でもある田中茂樹さんと言う方の書かれた実に素晴らしい本で、すぐに誰も知らないどこか遠い国に行きたくなってしまう自分の連載と比べるとはるかに専門的な知識と現実的な考察に溢れていて、育児中の方には是非お勧めしたい。
その中に「自分の話を聞いてもらえた子どもは、自分の意見を言える人になる」「自分の話を聞いてもらえた子どもは、相手の話を聞ける人になる」という言葉があった。
養育者が子どもに言うことを聞いてもらうためには、まずはそれが出来る大人が子どもの話を聞くことなのである。こんなに当たり前のことをどうして気がつかなかったのか、と考えさせられた。
なんでも子どもの要求を叶えられるはずはないけれど、その気持ちを聞いてみる、ということは出来るのではないか、と思っている。
(by 黒沢秀樹)
2月23日(火・祝)15:00〜16:55
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